2006/8/29  18:42

マルキ・ド・サド  ロケットサラダの日記
サディズムという言葉の由来であるサド侯爵は作家である。その作品のほとんどは氏の趣味の世界がふんだんに描かれている。

氏は1740年パリで生誕。幼い頃から母親に虐待された事がきっかけで女性不信に陥る。このことが氏を偏執狂的な行動へと導いたと考えられている。

23歳の時に、由緒あるモントイユ家の娘、ルネ・ペラジーと結婚。しかし結婚式の5ヵ月後にはパリの妾宅で放蕩の罪で投獄される。&女浮浪者を暴行した容疑、娼家で鞭を振るい催淫薬を飲ませた容疑等で入獄。

が、逃走したので当局は仕方なく容疑者欠席で裁判を行い死刑判決を言い渡す。当人が居ないので、なぜか氏の肖像画を燃やして裁判は終わったとの事。

なによりも名誉を重んじる義母のモントイユ夫人は氏の悪事に怒りまくり、死ぬまで氏を目の敵にする。事あるごとに逮捕させ、その度に氏は投獄、逃走、投獄と繰り返す。

更に釈放されたかと思えば今度は精神病院に送られてしまい、なかなか自由の身になれなかった。その結果、74年という生涯のうちに30年も獄中や精神病院で過ごした。

作品はこの獄中で書かれ、釈放され、発表し、評判を呼ぶが、風紀を乱すと言われ、また逮捕。獄中の氏はアナル・オナニーに明け暮れたらしい。

因みにサド文学を日本に紹介したのは、そうです、澁澤龍彦氏で〜す。昭和30年頃からやってたみたい。澁澤氏が初めて世間に大きく知られたのは、昭和35年のサド裁判です。サド侯爵の『悪徳の栄え』を翻訳・出版し、これが発禁処分を受け、検察側が猥褻物販売、同所持罪の嫌疑で起訴したのです。

この裁判は昭和44年10月15日に有罪、罰金7万円という形で幕を下ろしたそうです。この裁判の証言台には、大江健三郎氏、吉本隆明氏、遠藤周作氏、大岡昇平氏、他そうそうたる面子が顔を並べたとの事です。
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2006/8/29  21:22

投稿者:ロケットサラダ
折檻という言葉がサド的ですね〜。上流社会の人たちがどんなのか想像してみると面白そうですね。今度そういう話も記事にして欲しいです。

2006/8/29  20:21

投稿者:し〜
 わかりやすくまとめて頂いて有難うございます。コピペして保存しておきます。
 サド侯爵の母には大変関心をかきたてられます。おそらく彼女も折檻を受けて育ったのでしょう。
 上流社会ではこのような女性は珍しくありません。小学校のクラスメートには歪んだ女性がいっぱいいます。どういうわけだか、私の学年にそのような女性が集中したのです。
 聞けば誰でも知ってる大企業の令嬢たちです。
 ほんっとに怖ろしい小学校時代を過しました。

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