2009/9/22

彼岸つれづれ  日記と歌論

崖際を覗き込む寫眞を一期とし滑落したるうつせみもあり

昨日は人気アニメクレヨンしんちゃんの原作者臼井儀人氏が単独で登山中に滑落死された記事で又これは突然のことといたましく思つて、関連ニュース漁つたところ朝鮮日報 の記事には写真まで出てゐておどろく。
篤実な職人風のよき夫又父であつたらうかと窺へる面ざしで、国内では読者の夢を壊したくないとの理由から公的報道機関の写真撮影を断つてゐた人だといふが、海外に出た折にはある程度融通を利かせてゐたものだらうか。
保存してここに掲載お悔やみの一首も手向けようかと思つたが、日本ではやはり故人の意志を尊重して、葬儀も近親者のみの密葬となるやうであるから、記憶に留め置くまでにする。

生まれ在所からはかなり南に引越して花の時期も在所よりもかなり早いにかかはらず、彼岸花だけはどこも彼岸を期して咲くやうで、一昨日家近くの四辻の草むらに数十本からの群生あるを見て感にうたれ、手折つて仏前に活けようかと思つたが、何か気が咎めてよした。

かはりにつましい食事の歌

すはと寄る濱の氣色をしのび食む解凍したる鰊の卵

鰊が近づく沖を変へるにつれてさびれた鰊場の例なども思ふ。かつての賑はひはなかにし礼氏の名曲の中にのみ息づいてゐるものになつてしまつたか。

更に今日を以て百人一首応答歌は百番までを歌つけ終へたのでその百番目の作者順徳院をしのびたてまつり一首

せめてもの望みは潰えみづからの食を斷ちたまへりし佐渡の院

承久の乱後後継天皇を共に後鳥羽院の親王たる順徳院系統より立てるか、その弟宮たる土御門院系統より立つべきか問題になつた折、乱への関与薄く幕府も配流のつもりはなかりしに関らず自ら望んで土佐に流されたまへる土御門院の皇子に決した経緯もあり、後鳥羽帝隠岐にお隠れ後ほどなく、絶食して命を終へられた方である。

応答歌は説明が略儀に過ぎたので改めて初めより一首づつ画像を添へつつ作者とその時代背景にも説き及びたくは思ふが、或いはこれは別ブログを立てて続けるべきか。
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