2010/9/17

糸瓜忌の前々日に  日記と歌論



糸瓜忌の前々日に訪ね行く日本新聞社員の墓を

正岡子規はわが国文化史上の徳人であらうか。俳句に次いで短歌にも革新の功を遂げた文藝上の事跡のみならず、司馬遼太郎が「坂の上の雲」で試みたやうな国運興隆期の根差しを支へた歴史的人物としての光を当てられたりもする。以後の時代時代にもなにかにつけ想起されるに値する人物ではあらう。

午後の早くに所用終へてふと思ひたち田端の大竜寺の墓に詣でてみた。高台通りから西に少し下つたところにあつて、隣接する小学校の国旗掲揚ポールの下に西向きで建つてゐる。
彼が六尺の病床と次の間といつた広さの墓地の中央に子規居士の墓右に母堂の墓左手は累代の墓。三百坪足らずの墓苑のなかでも特に大きいといへるほどではないが、日々供花絶えぬらしきはさすがである。

奥に脇侍のやうにして生前彼がみづから撰した自分の墓誌「日本新聞社員たり月給四十円」
の碑ありその奥に更に断り書きして旧墓誌が銅板陽刻であつたものを立替へに際して石版陰刻にせし旨の断り書きと往時の写真。彼が革新活動の本拠とした新聞といふ以上に日本新聞社員といふ揚言に彼の気概と留まるところ知らぬ彼の野心と活動力のほどしのばれて好きな文章だが今回はじめて実見した。

手を合はすだけでは芸が無いと思ひ持参の茶を墓に注ぎ更に涼気得て使はずに済んだタオルで拭ひとつた。まゐりが今日になつたは明日以降多忙が続くためだが辞世三句の最後に

一昨日の糸瓜の水もとらざりき

とあるその一昨日に当る日に不躾ながら墓を濯ぐ真似などするもその業苦に堪へた気概を忍ぶ一環としたのである。

本来無一物なるものがなけなしの渋茶で洗ふ子規居士の墓

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