2010/9/18

国家てふリヴァイアサンの宿業  日記と歌論

国家てふリヴァイアサンの宿業か中華思想を自滅の爆竹


尖閣諸島での密漁船拿捕問題をめぐる中国当局の一連の強引かつ傲慢な強弁と一国の大使に対する無礼な呼び出しといふ経過のなかでふと思つたことを。


秋田県沖には舞台島なる地あり。元を辿ればは二千年を越ゆる昔漢の武帝が東海に筏して気侭な船な遊びのつれづれれに立ち寄りし先とかいふ。その實は武帝島なりと。あながち作り話でもないでせう。彼は六十年を越える治世の初期しばらくは皇太后の専制下に逼塞してゐた時期もあり。まして皇太子になる前の先帝末子の身の程であつた時期にはあらゆる気侭も冒険もした筈。その伝説に基づいて果て果ては舞台島まで返還或いは禅譲を要求しかねぬ今回の抗議ですか。


西学に屈して元号を放棄しキリスト紀元を公元にいひかへ漢字を簡体字の刑に処して恥ぢぬ彼らが何をいふかといひたいところですが、それ以前にあまりにも拙速に過去に日本から負はされた屈辱の具体的補償を求めむとするがさつな国家体の「命のあらはれ」にはもののあはれを覚えます。


スターリン・毛沢東の時代と異なり穏健な権力継承の手法を確立した上での今回の「厳重抗議」ですから一段と手強いか、しかし却て「君子は豹変」する余地をみづから破棄する愚行ではあるまいかと危ぶんでゐます。
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