2010/9/27

大正百年祭のすすめ  日記と歌論

かなしくも指導性には骨粗鬆を來せし戰後五十年祭


平成七年・一九九五年とは阪神淡路大震災とオウム事件の年であつたが、戦後五十年の節目でもあつた。
陛下は殊のほかの思ひ入れおありのやうで、折から修交百年の区切りを迎へたブラジルからの訪問要請を断られてまで打ち込まれ永遠平和の誓ひを新たにされたのだが、昭和の明治百年祭が民族の叙事詩を謳ひあげて以後の高度成長への弾みとしたに比べると鬱陶しい謝罪史観を更に固定化し真に責任ある指導性又それを体現する指導者の登場を困難にしたとしか思へぬ。一連の平和ボケ積み重なつた末に現下の国辱状況があるかと何とも唇寒い。
再来年は大正百年を迎へる。すなはち明治天皇崩御後百年でもあるからその辺で大正百年祭をもたれて、ものごとを根差しから考へる機会を国民に与へらるべきではないかと思ふがこれについては別の機会に。
「軍」のない国はあなどり避けがたく、経済発展のみの片肺国体では国は生き残れぬとは結局不滅の原則だらうか。
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