「第100回全国高校野球選手権 甲子園の16日目 !!」
高校野球
多くの話題を呼んだ100回目の大会も最終日、決勝は「金足農−大阪桐蔭」の顔合わせになりました。
決勝の始球式は、1969年決勝で延長18回引き分け再試合の死闘を演じた松山商の井上明さんと三沢の太田幸司さんの2人でした。
あの試合とは何だったのか? 私も小学生だったので確かな記憶は残っていませんが、「あと1球」で三沢のサヨナラ勝ちという場面が繰り返されたことは覚えています。
※1969年8月18日
▽第51回大会決勝
松山商
000 000 000 000 000 000│0
000 000 000 000 000 000│0
三 沢
(延長18回引き分け再試合)
(松)井上−大森
(三)太田−小比類巻
▽再試合
松山商
200 002 000│4
100 000 100│2
三 沢
(松)井上・中村・井上・中村−大森
(三)太田−小比類巻
当時、不思議に記憶に残っていたのが太田投手の剛速球に食らいつきながら必死で捕球していた小比類巻英秋捕手の姿です。元々、控えの外野手だった小比類巻さんは、主将で正捕手だった河村真さんが骨折のため出られなくなったことで、小中学校の頃少しだけ捕手経験のあった小比類巻さんが代役の急造捕手になりました。並の捕手ならミットにかすりもしなかったと伝えられている太田さんのストレートを捕球するのは並大抵のことではなかったようです。実際、1年生の控え捕手に受けさせてみると、ボールが通り過ぎた後でミットが出ていたそうです。今大会で吉田輝星投手のボールを受け続けた金足農の菊地亮太捕手も同じように苦労し続けたそうですが、一人の剛腕が凄い球を投げたとしても、捕球できる捕手がいなければチームになりません。野球は9人が各々の役割を果たして初めて成り立つ競技。改めてそんなことを思い出しました。
当時の松山商は「一人の投手にこれだけ苦しめられるものなのか?」と思ったそうですが、昭和の時代、9人で戦い続けるのが当たり前の野球でした。今大会の金足農の戦いぶりを見ていると、良し悪しは別として古き良き時代の懐かしさに浸れることとなりました。
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それでは、決勝の試合結果です。根尾くんは「医者の道はひとまず置いておく。ショートに専念する」とプロ入りを示唆しましたね。
▽決勝
金 足 農
001 000 100│ 2
300 360 10X│13
大阪桐蔭
(金)吉田・打川−菊地亮
(大)柿木−小泉

最強の銀河系軍団はやはり別格の強さでした。例えば、甲子園の初戦でこの2チームが対戦していたらどうなっていたかと考えないでもありませんが、それなら、創志学園の西投手が桐蔭と当たって創成館との試合のピッチングをしていたらと考えるのと同じで、「たられば」はありません。
敗れはしましたが、大会NO.1右腕は間違いなくその輝きを示しました。吉田投手のこれからにも引き続き注目したいと思います。
甲子園が終わり、季節は一気に秋へと向かっていきますね。
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