おじさんのスポーツおたく奮戦記?

岡山スポーツをまとめて応援するおじさんの気ままな戯言です。お気軽にお立ち寄り下さい。
背景を変えてみました。ベーシックなissanで勝負です(笑)
晴れの国から、岡山スポーツの応援をメインに様々な話題も拾っていこうと思います。
今後ともよろしくお引き立て下さいませ。

 
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投稿者:issan
>だいちゃん様

昭和49年選抜の池田高校は「さわやかイレブン」と呼ばれ部員11人で奮闘し、その時も準優勝しました。中村高校は部員12人ということで「二十四の瞳」と形容されました。

両校に共通するのは「エースと四番がしっかりしている」ことでしたが、何よりまとまりが良かったですね。丁度、私の高校から大学にかけての年代でしたから、ほぼ一部始終視ています。それと、岡山県代表がいずれも対戦しているという共通点があるので、より鮮明に覚えています。

池田と準々決勝で対戦した倉敷工は土壇場で追いつき延長の末に敗れましたが、レフトに入っていた兼光の軌跡のバックホームと同点に追いついた併殺崩れは執念と言えました。彼は、その夏からエースとなり、翌春の中京、東海大相模との死闘に繋がっていきます。

お互いに初出場で準決勝で中村と対戦した岡山南は、キャプテンの三崎が最初の打席でセイフティバントを試みた時、右手の人差し指を骨折しました。それをひた隠しにして試合に出づけた彼は、外野フライをシングルキャッチしているさまを解説者から「基本を無視した雑なプレー」と酷評されましたが、最後まで事実を明かすことはありませんでした。トップバッターの彼が出塁できなくて得点力の下がった岡山南は敗れましたが、昭和の頃は「死んでも舞台を降りない」根性が賞賛された時代でした。

それらを思い起こしても、山沖投手は凄かったと記憶しています。監督から「三振を取るな。三球で終わらせろ」と指示されていたのですが、バットに当たらないという投手でした。大学、阪急での活躍はご存知の通りです。

「9人いれば野球はできる」と言われた時代だからこそ起こり得た快進撃だと思います。
投稿者:だいちゃん
四国の話ですが、最近、私は、動画サービスで昭和の映画をよく視るのですが、先日、高峰秀子さん主演の「ニ十四の瞳」を視ました。(観たことありますか?)

ご存じのように小豆島の話で、主人公(原作者がモデルとか)の大石先生と12人の教え子たちの師弟関係に涙したのは、言うまでもなかったですが、😂同時に、野球⚾️ファンとしては、やはり昭和52年センバツ準優勝の、高知県の中村高校を少し、想起しました(笑)

エースの山沖さんは、専修大学からプロにも進まれたのですよね?

高校時代やプロの印象は、issanさんに残っていますか?

本当に地方のそねまた地方の、部員も少ない高校が決勝進出とか、昭和は、たびたびあったのですよね。

しかし、昭和52年という時代、まだまだ、文学青年でなくとも、普通に、名作のタイトルをわかっている時代だったから、「ニ十四の瞳」というキャッチフレーズが、野球ファンにもしっくりきたのでしょうが、今の時代は・・・

「部員12人の快進撃❗️」

それだけ、でしょうね😅

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