ガイドの返品は受け付けませんので、最後までお付き合い下さいませ!発車オーライ♪                                        

2011/3/14

母から息子達へ  

大きな地震がありました
地震による物や心の被害は計り知れません。
今も、地震・余震が続いています。
どうぞ、一人も多くの命が救われますように・・・


こんな状況でしたが昨日は仕事でした。
おとついは、前泊でしたが息子には「学校(部活)を休むよう」に言い実家の父の家に泊まらせてもらいました。夫はシステムの復旧?だとかで会社に泊まる予定だったのです。
電話も通じず不安でした。

私は宿で、一度布団に入ってから夜中になにがあっても良いようにと思い直し、服を着て寝ました。
被害の少ない北海道にいても、家族のことが気になり落ち着かない一夜を過ごしました。
あらためて、家族の大切さを実感。同時に、被災者の方々を思うと胸がいっぱいになりました。

ガイドの仲間や友人からも東北にいる姉の安否を気遣うメールを頂きました。
同時に、東北方面の親戚と連絡が取れないというメールも届きました。
携帯メールが使えるようになったのは12日の夜から
パソコンのネットは夫いわく、13日14時過ぎから・・・家の電話もその時から開通
山形にいる姉も母も親戚も無事、仙台にいるガイドの同期も無事でした。
けれども・・・未だ安否が不明な方、救助を待っている方がいます。
全てが解決するまで、心の問題を考えると解決することはないと思うので
心から喜ぶことが出来ません。

今回は兵庫県からの高校生でした。
彼らが1才、あるいは生まれた年に阪神淡路大震災がありました
もしかしたら、親御さんはようやくの思いで震災の中を生き延びたのかもしれない。
赤ちゃんだったので記憶にはないかもしれないけれど・・
彼らのほとんどが被災者だと思う

阪神淡路大震災が遭ったとき、私は体調をくずして入院していた
息子は生後4ヶ月
私が薬を飲む関係から母乳から人工乳に切り替えたが、なかなか飲んでくれず・・・
困り果てた母は、息子と一緒に泣いたと後で話してくれた。

高校2年生になって修学旅行を楽しんだ彼らは、東北・関東大震災を北海道で体験し、まだ解決できていない被災地の上空を家路についた

今、生きてるのは偶然ではないのだから命を大事にしよう

勉強も大事だけれども、なにがあっても生きていく「生きる力」を身につけることはもっと大事って話をして、自然ととも生きてきたアイヌ民族の「生きていく知恵」を紹介した。

世界中の人が国境を越えて、諸問題を越えて援助にきてくれている
空港に向かう途中の高速道路で、物資を届ける陸上自衛隊の車を何台もみた

今、人のために何ができるのか・・・

心を整理して一緒に考えてみようと話した。

ガイドというよりも、ここは母親になりきっていた。
でも、18歳の生徒さんたちに一番伝えたいメッセージだった。
息子に話すように、語りかけた。


今日、息子は定期試験の答案用紙を持ち帰る日だが
そんな結果、どうでもいい。

どんなことがあっても、力強く生き延びてほしい
母の願いはそれだけ・・・


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おまけ
今日からしばらくの間、おひるごはんは「おにぎり」にします。




2011/3/16  22:16

投稿者:ポインセチア

毎日テレビを見ては胸が切なくなって涙があふれます。
私の実家も、一時期宮城県にいた事があって、その町も被災しています。
無力感で一杯になってしまい、ご飯を作る元気もないです。
少しばかりの寄付と節電とあとは何をしたらいいんだろう。
今こそ、日本中が一つになってこの危機を乗り越えましょうね。
書いていても涙がこぼれます。泣きたい時は泣くといいそうです。

2011/3/15  9:17

投稿者:砂糖味

こんな災害は史上稀有のこと。どう対応したらよいのか、きちんとわかる人などいないでしょう。
原子炉対策本部は東電本社ではなく、現地に置くほうが効率的で、この対策本部に総理が加わると、ほかの重要事項がおろそかになることが考えられ、二重にミスを犯しているのかもしれません。
しかし、混乱の中の決断を色々批判するのは間違いで、修正を加えながらよい方向に持っていくのが現実的なのだと考えます。
花子さんのいうように、次の世代に「生き抜く力」を伝えていくことが私たちの仕事ですね。これが意外に難しいのですが、日頃からそうい姿を見せるということでしょうか・・・

2011/3/14  21:17

投稿者:どらじゃ

今回の地震、連「絡が取れない不安」が増大していました。
便利になったけれど、リスクは大きいこの世の中を改めて実感しました。

「生きる力」は誰にでも必要なことです。「生き抜く力」と言ってもいいと思います。それを身に纏うためには「人」が必要です。
無縁社会と言われていますが、日々の生活で人と関わり、楽しいことも悲しいことも、いろいろなことを感じ取り、糧にしていかなければいけないと思うのです。デジタルでは絶対に学べばないものだと思っています。

僕は4月から契約社員から正社員になります。
職場はまさに「生きる力」「生き抜く力」を目指す仕事です。

これから、被害に遭われた方々のために私たちの出番が必ずやってきます。その時、何の迷いもなく出来る限りの支援をすることができるのか、日本人は試されているような気がします。

2011/3/14  16:58

投稿者:スズメ

生きていて欲しいです

ガイドの後輩が宮城県の亘理町鳥の海に結婚して 移り住みました

その後輩のご両親も気候も良いことから 亘理町に移住しています

同期みな 心配していますが安否確認もできません

今日の新聞に亘理町の写真が一枚だけありました
水浸しで 家もたくさん壊れてました…

一日を大切に生きる!
平凡な日常が幸せって事を痛感しています

一人でも多くの人が助かる事を祈り 北の大地から一日も早く安心して生活が出来る様に祈ります

私が出来る事は募金と節電ぐらいですが 協力します!

2011/3/14  16:16

投稿者:あーちゃん

どんなことがあっても、力強く生き延びてほしい
母の願いはそれだけ・・・

そうです この加奈子さんの文字を読み涙しています

2011/3/14  16:05

投稿者:クーニィ婦人

花子さん、ご心配を頂き有り難う御座いました。元気を頂きました。
花子さんご家族に何事も無く安心しました。花子さんのブログを拝見し、言葉の一つ一つ全く其の通りとうなずきながら拝見しました。「夏涼しく冬暖かく住みよい町・いわき」と、人に自慢にもしていたこのキャッチフレーズは何処へやら・・・です。いわき人にとっては正に「青天の霹靂」でした。我が町は海岸から3・40分離れた所で津波の被害は有りませんでしたが山が崩れ、瓦が吹き飛び石垣が崩れた程度で済みました。ライフラインとしては水道・ガスが停止されてはいますが海沿いで災害に遭われた方を思うとこの位の我慢は出来ます。仙台に住む息子は青森出張中で新幹線で帰るにも帰れずレンタカーで同僚と仙台に戻ったら停電で部屋は真っ暗、部屋はメチャクチャだったとか・・・今漸くPCで連絡が出来るようになったので安心です。今、何が忙しいかって?給水車まで行って何度も何度もお水を頂いて来る事です(笑)「備えあれば患いナシ」と反省しきり・・・。後の祭りでした。今までに大震災を被災された方々のお気持ちが恐ろしい体験を通してよく分りました(-_-;)親子の絆も今まで以上に強くなりました。電話は地域によって通じたり通じ無かったりで・・・今は、海岸線に住む友が心配です。長々と失礼致しました。

花子さん本当に有り難う御座いました。御礼まで。

2011/3/14  15:11

投稿者:ごんちゃん

花子さんのご家族が無事で本当によかったです。
花子さんもご存知の通り、私の業界は心配する時間を与えてくれません。
いろんなことを処理しなければならず、いろんな決定をしなければならず
時にはお客様に怒鳴られます。
今回ほどこの業界で仕事してる自分が情けなく感じたことはありません。
今回ほどお客様に心底申し訳なく思ったことはありません。

でもきっと 被災地のみなさんに役立つことができるのもこの業界だと思います。
他社よりも自治体とのつながりが強い我が社こを
役立つことをしなきゃならないと思います。

今の自分ができることで 被災地のみなさんの役に立ちたいと思います。



2011/3/14  9:25

投稿者:hisami

生きることの意味
命の重さ
色々考えさせられますね
これから復興に向けてみんなで力あわせないとね!


http://hello.ap.teacup.com/inthesea/


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