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2011/5/20

ちょっとイシカリ@サメ様  石狩振興局

「ちょっとイシカリ」まだまだ続きます

「能量寺」が安政5年(1858年)に建てられた浄土真宗大谷派では一番古い石狩市にあるお寺です
札幌方面から来て「石狩観光センター」の手前、石狩消防署の向かいにあります。

どこかで昔、聞いたことがあったな〜と思ってると目の前に「能量寺」
寺の前で「ちょっと止まって!」
言われるがままに、寺の前に車を止める母
「ちょっと、前にずれて!写真撮れない(車が写ってしまう)」
言われるがままに、黙って移動する・・・かわいそうな母

で、撮った写真がコレ(たいしたことない)


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石狩は、最初定住する和人が少なく、幕末になってからお寺が建てられるようになったそうです。
そんな中でも、江戸時代に建てられた能量寺、金龍寺、法性寺、曹源寺、全てが本町地区に建てられています

では、石狩市で一番古い神社は?というと「石狩弁天社」です
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今からおよそ300年前の元禄7年(1694年)に松前藩家臣の山下半右衛門がサケの豊漁と海上安全を願って松前神明社に石狩弁天社の御神体を歓請したことに始まります。

当時、山下半右衛門は石狩川を交易船に乗って積み荷を調べたり、船乗りや船頭を監督する仕事をしていましたが、将来石狩が藩にとって重要な場所になると予想し社を建てると決めたのです。
「弁天社」には厳島大明神、稲荷大明神、妙亀法鮫大明神の三神がまつられており、お祭は8月15日に行われていました。

珍しいのは、かつての石狩川の主「チョウザメ」が『妙亀法鮫大明神像』という神様としてまつられていること。
『サメ様』と呼ばれ、本町地区の人たちに親しまれ、お祭りは11月1日にもあり、弁天社のお祭りは戦前は年2回行われていました。

「弁天社」の社殿は、最初は弁天町1番地(現在の八幡神社の場所)に建てられたのですが、社殿の内部はケヤキ、ヒノキ材などを使用しており建築様式からみて新潟地方の寺、宮大工の手法がみられ、らん間の竜の彫刻や唐草模様も見ごたえがあるそうです。なんと!安政5年には、松浦武四郎も石狩を訪ね「川端に弁天社あり。社殿美々立たり」と日記に書いています

武四郎は、チョウザメを見て・・
またまた「どってんこいた」のだろーか・・・(遠い目)

後に弁天社は、石狩場所請負人である村山家の所有地だった現在の場所に移されました。


↓八幡神社に残る、弁天社へ奉納された鳥居
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↓手洗石(寛政元年の文字が!)
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ところが、明治後期になりサケ漁が衰退すると、豪商たちは次々と石狩を去っていきました。
サケ定置網の漁業権を村山家から買い受けた吉田庄助はその時「弁天社のお祭りも続けてもらえないだろうか」と依頼されたそうです。
2つのお祭りは本町地区の漁民たちによって細々と続けられ、昭和23年には「弁天社」も村山家から離れて漁民が中心になり、守られることになりました。年2回の祭りも1回に減らし、11月を弁天社の祭りと決めました。(厳島大明神の8月15日よりも『サメ様』の方が漁民にはなじみ深かったようです)

しかし、昭和51年の終わりごろ、弁天社の祭りをサケ漁の時期をはずして、再びお盆と同じ8月15日に祝うようにしました。更に平成5年には創建300年記念大祭が盛大に行われました。そして、これを機に弁天社に奉納されている遺物や建物を守り、明治期のように町民みんなの祭にしよう!と盛り上がったとき・・・
この年(平成5年)の12月・・・
なんと!石狩川河口に体長1.4メートルのチョウザメがのぼったのです!
弁天社の主、チョウザメが24年ぶりに帰ってきたのです!(「石狩百話」より一部抜粋)

『サメ様、お帰りなさ〜い』

作り話のような、ほんとの話です!

↓これは、平成16年5月に石狩川河口から1キロ上流で捕獲された「チョウザメ」
体長2.3メートル、体重は100キロ以上もあったそうです。
「石狩観光センター」で見ることが出来ます。
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おまけ
《石狩川のチョウザメ》
享保2年(1717年)は幕府にチョウザメを献上していました。
巨大チョウザメは、サケ漁の時期になると網を破ったので、無事に漁が出来るように石狩河口で「サメ」を神様としておまつりました。
みんなでおまいりしたところ再びサケが取れるようになったので、以来「豊漁の神様」としてあがめるようになっとさ・・・めでたし、めでたし

明治末までは盛んに溯上し、初夏になると市場にチョウザメがならんだそうです。
また、河口にはロシア人がキャビアを取りに来ていたそうです。

「いくら」と「チョウザメ」のコラボって・・・どんなんだろ・・・(かなり遠い目)



2011/5/28  14:23

投稿者:花子

yoyokakaさん
こんにちわ!
卵は・・・ロシアが持っていった?
のかな〜
「チョウザメ」の話題は満載でも、キャビアを食べたって記録がないんですよ・・・
日本人の口には合わなかったのかな〜
私は、いくらの方が好き!というか・・・
キャビアは、ほとんど食べたことがないのでほんとの味(おいしさ)がわかりません・・・

2011/5/20  14:45

投稿者:yoyokaka

明治の頃はチョウザメ捕獲して卵はどうしてたんでしょうかね。

http://yoyokaka2.blog10.fc2.com/


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