2014/11/28
道内最古のレンガサイロ 渡島総合振興局
八雲町といえば、行ってみたかった「三澤牧場」
ここには北海道最古のレンガサイロがあるんです!
バスガイドの原稿にも登場する有名な牧場です

時計をみると8時過ぎ…
三澤さんに、何にも連絡していないけれど…
わ「行ってみるわ!酪農家は朝、早いから…きっと大丈夫!」(←迷惑な話)
K「わたし、ここにいるわ」(車の中)
で、ピンポーーーン!
「おはようございます!早くから突然すみません・・・・」
で、ご主人が案内してくれました
これです!
よーく見ると「今村牧場」って書かれていますね
ここは、大正8年に今村さんが開いた牧場なんです
八雲町は明治11年に旧尾張藩主徳川義勝が家臣と共に開拓に入ったところ
始めはじゃがいもを作り、そのでんぷんが高く売れたそうですがその後、でんぷんの値段の暴落でいち早く「酪農」へ切り替えました。大正10年の頃だそうです(←と、案内文にあります)
北海道における酪農発祥地の中でも、早くから酪農を志したのです

三澤さんのお母様ヘアタァーさんはドイツ人。ヘアタァーさんは4歳の時、お父様の仕事の関係で北海道に来ています(寒地農業向けのビートのパーセンテージをあげるために北海道が招聘した農業の研究者として十勝清水へ)。ヘアタァーさんは21歳で三澤家に嫁いだのですが、ご主人の正男さんは昭和29年の15号台風の時、青函連絡船洞爺丸で亡くなられました…。ご主人亡き後、長男の道雄さんが2代目を継ぎますがまだ18才。ヘアタァーさんが異国で頑張る様子を昭和30年に「青い目の牧場主」としてNHKが全国放送で取り上げ有名になりました。
(昭和13年に東京の大川さんが経営を引き継ぎ三澤正男さんは牧場長に。終戦後、三澤さんに経営が変わっています)
下と上とで、レンガの色と大きさが違うのわかりますか?
下の方が大正8年、今村文次郎が牧場を始めた当時の物で、旧式のサイズ(一回り小さい)です。レンガの積み方も変わっています。

「昔はね、デントコーンを上からぎゅーーっと押し込んで…」
「今は、外国から機械を導入して下から吹き上げて…」と、わかりやすくデントコーンを刃物で切断する様子を再現してくれる、優しい三澤さん!

記念に1枚、撮らせてもらいました。
三澤さん、カッコイイです!!

「このまえ、土を耕していたら…カツンと当たるものがあってね…昔のレンガだったんだよ」と嬉しそう

鴨やウサギちゃんも、見せてもらいました!
扉を開けたら、慌てて一斉に逃げる鴨(大丈夫、食べないから…)

まったくピントが合っていないウサギ…笑

おまけ
その後、遊楽部川沿いにひっそりと建つ「開拓移住者上陸地碑」を見に行きます
旧尾張藩の人達が北海道開拓に入ることを喜んだ黒田清隆は、汽船玄武丸を派遣援助したそうです。名古屋城に別れを告げ、伊勢湾から船出、途中東京に寄り徳川家に挨拶し函館港から開拓使の汽船ケプロン丸で八雲へ。明治11年10月12日上陸と案内板にありました。


おまけのおまけ
「くら屋菓子舗」の「徳川義勝公に感謝 八雲の慶び」というお菓子
熊石海洋深層塩入りです!



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ここには北海道最古のレンガサイロがあるんです!
バスガイドの原稿にも登場する有名な牧場です

時計をみると8時過ぎ…
三澤さんに、何にも連絡していないけれど…
わ「行ってみるわ!酪農家は朝、早いから…きっと大丈夫!」(←迷惑な話)
K「わたし、ここにいるわ」(車の中)
で、ピンポーーーン!
「おはようございます!早くから突然すみません・・・・」
で、ご主人が案内してくれました
これです!
よーく見ると「今村牧場」って書かれていますね
ここは、大正8年に今村さんが開いた牧場なんです
八雲町は明治11年に旧尾張藩主徳川義勝が家臣と共に開拓に入ったところ
始めはじゃがいもを作り、そのでんぷんが高く売れたそうですがその後、でんぷんの値段の暴落でいち早く「酪農」へ切り替えました。大正10年の頃だそうです(←と、案内文にあります)
北海道における酪農発祥地の中でも、早くから酪農を志したのです

三澤さんのお母様ヘアタァーさんはドイツ人。ヘアタァーさんは4歳の時、お父様の仕事の関係で北海道に来ています(寒地農業向けのビートのパーセンテージをあげるために北海道が招聘した農業の研究者として十勝清水へ)。ヘアタァーさんは21歳で三澤家に嫁いだのですが、ご主人の正男さんは昭和29年の15号台風の時、青函連絡船洞爺丸で亡くなられました…。ご主人亡き後、長男の道雄さんが2代目を継ぎますがまだ18才。ヘアタァーさんが異国で頑張る様子を昭和30年に「青い目の牧場主」としてNHKが全国放送で取り上げ有名になりました。
(昭和13年に東京の大川さんが経営を引き継ぎ三澤正男さんは牧場長に。終戦後、三澤さんに経営が変わっています)
下と上とで、レンガの色と大きさが違うのわかりますか?
下の方が大正8年、今村文次郎が牧場を始めた当時の物で、旧式のサイズ(一回り小さい)です。レンガの積み方も変わっています。

「昔はね、デントコーンを上からぎゅーーっと押し込んで…」
「今は、外国から機械を導入して下から吹き上げて…」と、わかりやすくデントコーンを刃物で切断する様子を再現してくれる、優しい三澤さん!

記念に1枚、撮らせてもらいました。
三澤さん、カッコイイです!!

「このまえ、土を耕していたら…カツンと当たるものがあってね…昔のレンガだったんだよ」と嬉しそう

鴨やウサギちゃんも、見せてもらいました!
扉を開けたら、慌てて一斉に逃げる鴨(大丈夫、食べないから…)

まったくピントが合っていないウサギ…笑


その後、遊楽部川沿いにひっそりと建つ「開拓移住者上陸地碑」を見に行きます
旧尾張藩の人達が北海道開拓に入ることを喜んだ黒田清隆は、汽船玄武丸を派遣援助したそうです。名古屋城に別れを告げ、伊勢湾から船出、途中東京に寄り徳川家に挨拶し函館港から開拓使の汽船ケプロン丸で八雲へ。明治11年10月12日上陸と案内板にありました。



「くら屋菓子舗」の「徳川義勝公に感謝 八雲の慶び」というお菓子
熊石海洋深層塩入りです!



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2016/6/20 11:00
投稿者:花子
2016/6/3 13:04
投稿者:川村宏樹
43年前旅行中に1か月お世話になりました川村です。三澤さんの元気な姿を拝見して、大変懐かしく感じています。
43年前、旅行中に三澤牧場で1か月お世話になりました。元気な三澤さんを拝見して、大変懐かしく感じています。
43年前、旅行中に三澤牧場で1か月お世話になりました。元気な三澤さんを拝見して、大変懐かしく感じています。
こんにちは。はじめまして…
三澤さん、突然の訪問にもかかわらず嫌な顔せず優しく接してくださいました。
ここで、43年前を思い出していただけてうれしく思います。