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2016/4/14

里山小学校と永井博士  九州そぞろ

長崎市立里山小学校(里山国民学校)

原爆が落ちた8月9日は夏休みで学校に子供は登校していなかったのですが、校区内の児童1581人の内1300人、教師28人が亡くなっています

校庭内に、永井隆博士ゆかりの「あの子らの碑」が建っています。
原爆資料館は無料で、校舎裏にある防空壕は予約をすれば見せてもらえるそうです

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「原爆雲の下に生きて」(昭和24年8月刊行)
永井博士が、爆心地から700メートルのところにある里山小学校の被災児童の手記をまとめたもの。
「約1600人の児童のうち300人が生き残ったが、中には孤児になったりケロイドを残している子も多く、友達から「原子」と呼ばれたりした。それでも生きている子は幸せだった。
博士は子供達がもらった原稿料の一部を出し合って、死んだ友達の慰霊碑を建て、この学校に学ぶ多くの後輩たちに戦争のみじめさと、平和の尊さを訴えようと相談した。子供たちはみんな賛成した。費用の不足分は博士が出した…」(長崎市永井隆記念館パンフレットより)
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「あの子らの碑」
毎年11月に、山郷小学校の生徒、職員がこの碑の前で慰霊祭を行い、除幕式のために博士が作詞した「あの子」の歌を合唱しています。
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「昆虫の楽園に」
この丘には原爆で亡くなられたお兄さん、お姉さんがしずまっておられます。わたしたちは、この丘のセミやコオロギなどをつかまえません。亡くなった方々にたくさんの虫の声をきいてもらうためです


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「如己堂」(にょこどう)と「永井隆記念館」へ
永井博士が白血病の療養と執筆をしていた2畳1間の建物で、昭和23年に長崎市浦上の人達やカトリック教会の協力により建てられました。
「己の如く人を愛す」という言葉からとり「如己堂」
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記念館も見学します(撮影OKです)
永井博士について、詳しく知りたい方ははコチラ(←ここ)からどうぞ…

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「この子を残して…この世をやがて私は去らねばならぬのか!母のにおいを忘れたゆえ、せめて父のにおいなりとも、と恋しがり、私の眠りを見定めてこっそり近寄るおさない心のいじらしさ。戦の火に母を奪われ、父の命はようやく取りとめたものの、それさえ間もなく失わねばならぬ運命をこの子は知っているのだろうか?…」(「この子を残して」より)

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記念館に入る時、品の良い老夫婦と一緒になりました。
ご主人はスーツ姿に中折れ帽子…首からカメラを下げています。

私のカメラを指さし「オリンパスだね…見せて」と。
その方は…なんとクラシカルなライカ!
カメラのアクセサリーもオシャレでした。

今、思い出してもステキなご夫婦でした…
カメラも…笑

おまけ
この日から「あ〜〜ながさき〜の鐘が鳴る〜〜」が耳にこびりついて離れません…




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