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2018/5/2

古市参宮「街道をゆく」  中部・東海そぞろ

伊勢旅日記、終わりそうにありません…
写真の枚数も多すぎて…
ここにUPしただけで、途方の無い枚数にギブアップ気味
読む方も疲れると思うので、テキトウにパラパラ(本じゃないか…)して飛ばしてってくださいね。汗

で「古市参宮街道」を歩きました。
昔から伊勢神宮は外宮から内宮の順で参拝をするのが習わし。
外宮から内宮への道は、明治時代に天皇行幸のための「御幸道路」が整備されるまでは、この「古市参宮街道」と呼ばれた尾根伝いの道、1本しかなかったそうです。

古市の街は妓楼や芝居小屋が並び、お伊勢参りの人で賑わいをみせ、参拝後の「精進落とし」として栄えたのです。最盛期には江戸の吉原・京都の島原と並ぶ「3大遊郭」としても知られ、なんと「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さんも歩き宿泊しています。


江戸時代の「お伊勢参り」は、現代人がNYに行くよりもハードルが高かったのだとか…?
それだけに、参拝後の「古市街道」はパラダイス(精進落とし)だったに違いがありません(って、色々教えてくれたボランテイアガイドさんがボソッと話していたの…パラダイス!パラダイス!夢のパラダイス!)わくわく…汗

「宇治惣門跡」碑
よくわかりませんが…明治維新までここに番屋があったとのこと。汗
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いきなりの上り坂…
「牛谷坂」ですって…
花びらがすべて落ちてしまった桜を仰ぎ歩き始めます。
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わりとすぐに「伊藤小波美術館」
このお方、猿田彦神社の宮司の長女さんですって。京都で絵画の修業をされたそうです。「明治28年ごろには四条派の流れをくむ伊勢の画家、磯部百鱗に師事し、歴史的人物を好んで描いた。上松松園に次ぐ女性画家として有名である。帝展に数々入選する」とパンプに書いてありました。
後で訪ねた資料館でも「美術館へ行ってきましたか?それは残念でした」と館長さんに言われました。
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ね、結構な坂でしょう…
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時間がない割には、遠回りして「桜木地蔵」を見てきました。
途中、2人の方に道を聞きながら…
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まるで迷路のような、こーんな細い道を歩き…
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みつけました「桜木地蔵」
「出世地蔵」として有名だそうで…江戸時代に大岡越前守忠相が山田奉行の時にお参りして、徳川吉宗に見いだされ江戸南町奉行に出世したそうです。また三重ノ海や武蔵丸も毎年参拝して横綱になったそうですよ!「旭大星」も、ここで毎年お参りすると良い…かも。
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いつものようにトイレを我慢していたので、次へ急ぎます…
旧街道は、道が狭い…
路線バスも走っています。バスの運転手さんはこのルートのダイヤを把握しているので、余裕で走行ですね…笑
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本来ここから「月読宮」方面へ向かう道が「旧街道」
「神宮」125の宮を全制覇するには…何日かかるのかなぁ〜
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交差点の向こう側に「古市参宮街道資料館」が見えてきました。
見学の予定はなかったんです。
「麻吉旅館」だけ写真に写したら、バスで駅に向かう予定でしたから…
でも、トイレに行きたいのと入館料無料でしたので入ることに…

大正解でした。
ものすごい資料が満載です!
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交差点の看板
「おはらい通り」でボランテイアガイドさんに声をかけてもらわなければ…
猿田彦神社前から路線バスで「五十鈴川駅」へ向かっていたはず…

簡単に予定を変更できるのも一人旅の良いところ。
相手がいると…そういう訳にはいかないものね。
だから旅は「ひとり」に限ります…私の場合。汗
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中に入ると、いきなりこのパネル
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明治時代の人気芸者さん
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歌川広重の「お伊勢参り之図」安政2年(1855年)
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農作業が終わり新年を迎えるころ、檀家の多くは「構」と呼ばれる団体を組織してお伊勢参りに出かけます。ただ、誰もが行けるわけではなく、くじ引きなどで決まった村の代表者が参宮し「代参」と呼ばれていました。
その他「抜参り」がありました。女性や子どもが中心になり、夫や親に内緒でお伊勢参りに出かけるのです(私よりもイケマセンね…夫に内緒で旅行だなんて。笑)
「抜参り」の人々は、白衣をまとい、腰に柄杓、頭にすげ笠という姿…手形や十分なお金がないままでかけても、旅の途中にある家々が食べ物や宿泊場所を与えて世話をしてくれたそうです。
その通行手形代わりになった「柄杓」です。お伊勢参りを終えた若者を一人前の大人として認める地域もあったそうです。

当時は柄杓を見せると「お伊勢参り」と認められ、関所を通過でき、街道ではごはんや水を無料で頂けました。
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「おかげ犬」と柄杓をもった童子(外宮前参道でパチリ!)
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江戸時代になるとお伊勢参りが民衆の間に広まり、全国各地から人々が押し寄せます。60年に1度「おかげ参り」といって、特に多くの参拝者で賑わったそうです。

「古市三大妓楼」(備前屋・油屋・杉本屋)をはじめ、70余りの妓楼があり、遊女千数百人を数えたそうな…

中でも古市で最も古く創業し、大正時代まで妓楼の代表格として名を馳せたのが「備前屋」。
「伊勢音頭」はじまりの場所でもあります。
志賀直哉の「暗夜行路」の主人公、時任健作が、お伊勢参りをした時に伊勢音頭を観たのが「備前屋」とのこと。
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「杉本屋」
杉本屋は旅館も併設。何百人も泊れる宿泊施設を構えていましたが、江戸末期の3階建て木造建築物は昭和14年の火事で「備前屋」と共に焼失しています。

屋号は「菊紋」
後に菊花は皇室の紋章に制定され、一般人の使用は禁止されます。
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そして「油屋」といえば…歌舞伎「伊勢音頭恋寝刃」のモデルとなった「油屋騒動」の舞台…
1796年(寛政8年)27歳の医師、孫福斉が、油屋のなじみの遊女お紺をめぐり嫉妬…3人を斬り6人を負傷させた事件。その話はすぐに大坂に伝わり主人公の名を福岡貢として、歌舞伎「伊勢音頭恋寝刃」がつくられ上演されたとのこと。今も人気の演目です。
事件後に斉は自ら命を絶ち、お紺は生き延び49歳で亡くなったそうです。

こちら「油屋」の物。
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そして「伊勢音頭恋寝刃」の錦絵

伊勢で歌舞伎が上演されるようになったのは、寛永年間(江戸初期)で、江戸、京、上方に次ぐ繁栄をみせていました。古市界隈には2棟の常設芝居小屋があり、特に上方役者にとっては登竜門として、また、主要な興行地としての位置を占めていました(パンフより)
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また、旅館の資料も…
ありました!「麻吉旅館」
にしても、今も営業してるっていうのがスゴイですよね…
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かつての古市の街なみ
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そして、今の街なみ
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さて、再び旧街道を歩きます…
「寂照寺」
徳川家康の孫、千姫をおまつりした寺。1670年に建てられましたが荒れ放題…。立派に建て直したのが月僊(げっせん)上人。今のお堂は明治23年に建立
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絵を売り寺を再建・貧民救済に尽くした月僊(げっせん)上人像
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ようやく「麻吉旅館」さん
1851年創業。崖の上に建てられているので2階建てにみえますが、実は5層6階の建築です。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも登場します。かつては20人余りの芸者を抱ていました。県下でも指折りの料理店、伊勢音頭の舞台も備え、浮世絵にも描かれています。

泊ってみたかった…
やはり、事前の計画不足でした。
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ここまで来たら「宇治山田駅」(外宮近く)まで歩くしかありません。

「長峰神社」
芸能の神様「天鈿女命」(あめのうずめのみこと)がまつられています。歌舞伎役者も参拝しているそうです。芸子さん達も通っていたのかな〜
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ちょうどこの辺りが一番の高台かな〜
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跨線橋を渡ります。
近鉄線です。

街道が丘陵地に多いのは、大雨の際に水がたまらないように…だそうです(ボランテイアガイドさんが教えてくれました)^^
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跨線橋のたもとにありましたよ「油屋跡」
ここが、殺傷事件の現場です…怖い。ぶるぶるっ
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更に道が二手に分かれますが…そのまま直進し郵便局をかわすと〜
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自動販売機の影に「古市芝居跡」
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坂道を少し下ると…
「備前屋跡」
「伊勢音頭」発祥地ですね!
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どんどんどんどん坂道を下ります
自分でも「なんでそんなに元気なの?」と不思議になるくらい小走り…
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「お杉とピーコ」ではなく「お杉お玉の碑」???
江戸時代、間の山(尾部坂)の途中に多くの女芸人がいて、中でも「お杉とお玉」は三味線に合わせて歌い参宮人の投げ銭をうまくかわして評判に!
すごいな〜「碑」に名前が残る女芸人さん!
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そして、このバス停の向かい側「旅館藤屋跡」
あの弥次さん喜多さんが泊った宿屋跡です。
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「寿巌院」
行ってみました…
頑張って、階段をのぼってみましたが…
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急にくたびれて(おっかなくなって)引き返します
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向かい側に「妙見堂跡」の碑も見えますが…
行きません…
階段を見た途端にギブアップ〜
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「勢田川」を渡り、急ぎ足で「伊勢山田駅」を目指します
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橋のたもとには、立派な「案内板」も設置。
本来は、伊勢山田駅から逆パターンで内宮参拝をするんですよね…
なんともちぐはぐですが…
一応、早朝に「外宮」から「内宮」の参拝を済ませた…ということで許してもらいましょう。
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とてもレトロで大きな「伊勢山田駅」にビックリ!
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時、すでに13時…
急にお腹も空きました…ということで、駅構内のファミマで「手巻きおにぎり」を1本買い列車が来るのを待ちます。ベンチ座り食べます…へへへ
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次は、いよいよ今回の旅のメイン!あの町へ(え?「伊勢神宮参拝」がメインじゃなかったの?)テヘッ

面白くもない文章を、長々と…
根気よく読んで下さりありがとうございました。

次回、もし「伊勢神宮」への旅が叶うなら…
「麻吉旅館」か「御師の宿」に宿泊してみたいと思います。

おまけ
モーニングスイーツ部

ある日のお茶菓子
まさかの「絲印煎餅」と、両口屋さんの「志なの路」(「旅まくら」が有名ですね)
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お土産に外せないのが、やっぱり「赤福さん」
帰りに中部国際空港で買いました。
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