ガイドの返品は受け付けませんので、最後までお付き合い下さいませ!発車オーライ♪                                        

2018/9/29

松浦武四郎が見た黒松内  後志総合振興局

10日ぶりに失礼します…
元気にしています(わかっていると思いますが…)
地震後、初めての出張(修学旅行)にも行ってきました。
その前には、久しぶりに黒松内町へもおじゃましました^^

今年は、北海道近代化150年「北海道命名150年」ということで、松浦武四郎人気炸裂!
私の中の今年のテーマも松浦武四郎…ということで〜
黒松内歴史探訪ツアー「松浦武四郎が見た黒松内」(黒松内町観光協会主催)に参加してきました。
かつて武四郎が歩いたという「黒松内山道」を実際に歩きながら、町の歴史を紐解くのです。

「駅逓と黒松内の歴史」と題する文化講演会にも参加しました。
お1人目の方は「黒松内に分住した仙台藩亘理伊達家臣たち」について、亘理伊達家第20代目当主伊達元成さん。そして、もうおひと方は「歌棄カクジュウ佐藤家と黒松内」について、先日「寿都歴史写真集」をご出版された作家の山本竜也さんです^^

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9月22日13:00
町役場防災センターコミュニティーホールで、最初に「交通史 松浦武四郎と黒松内」について山本竜也さんがレクチャーします。

生涯において6度、蝦夷地を探査した武四郎ですが、彼が黒松内町に来たのは第5回目の調査の時。1857(安政4年)4月に箱館を出発し、5月には黒松内〜石狩川上流へ…更に天塩川上流〜増毛、石狩、白老、有珠、国縫、箱館帰着と146日間の旅?をしていますが、8月に黒松内の「花岡旅館」に1泊されたそうです。
武四郎40才の時でした。
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武四郎が来る1年前に開通したのが、今回歩いた「黒松内山道」。
長万部を起点に黒松内〜熱郛(ねっぷ)〜作開(さっかい)を経由し寿都、歌棄に至るおよそ10里の道です。
安政元年、幕府が2度目に蝦夷地を直轄してから、ようやく西蝦夷地(日本海側)にも目が向けられるようになり、日本海側の各場所請負人が箱館奉行の命令で道路開削することになりました。この時、歌棄・磯谷の場所請負人 枡屋栄五郎と父親の枡屋定右衛門が費用を出して、安政3年5月に着工、わずか1年程で完成したというので驚きです。(この山道の開通により、箱館から歌棄へは4日間で行けるようになったそうです)その功績をたたえ、枡屋親子は幕府から名字を許され「佐藤定右衛門」「佐藤栄五郎」(「カクジュウ佐藤家」)と名乗るのです。


それでは早速バスに乗り、町の歴史に詳しい北村英芳さんと山本竜也さんの案内で町内をめぐります。
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以前、「寿都鉄道をめぐる旅」の時もそうでしたが…
この日もドシャ降り(多分、どこかに雨男がいるのだと思われます…)

最初に見学したのは、安政4年に武四郎が泊った「花岡宿」跡地。
出発してすぐの民家横に、記念碑が建っていました。

黒松内は天保4年(1833年)に福山(松前)の花岡利右衛門が、この地に定住したのが和人の始まり。利右衛門は木貸宿を営むかたわら、1人から13文の渡賃を取り朱太川の渡船業もしていたと…私たちの原稿にはあります。笑

明治2年、北海道本府建設のために札幌へ向かう開拓使・島義勇の一団、明治4年には伊達邦成の家臣13戸が移住して駅逓を開設、開拓を行っているのです。

ということで、ここが「黒松内発祥の地」です。
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道道9号を朱太川(アユの塩焼き、食べたい…)の流れを眺めながら「黒松内山道」と並行するように北上します。やがて、道路沿いに大きな看板が見えてきました。

「制札壱番の地」と書かれています。
ここは珍しい「一字一番地」(いちあざいちばんち)
その面積478uで「全国1ミニサイズの字区域」。
安政3年の黒松内山道開削から130年を迎えた記念に、昭和62年11月13日に看板を建てました。
(制札に記された文字も当時もまま)

制札とは、黒松内山道を自費開削した佐藤定右衛門と栄五郎親子の功績を通行人に知らせるため、箱館奉行が建てた立て札のことです。

確かココ…昔、漬物工場があった所?
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話は変わりますが…
「中の川」バス停小屋の中に…お地蔵さんがあるのです…
その名も「のっぺら坊地蔵」
1体は首がポロリ(ガムテープでくっつけてるという噂…)
おっかなくて、夜は1人で歩けませんね…
なんにも知らずにバス停に入ったら…ギョッとしちゃいます…あはは。
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お地蔵さんのいわれについては、ちゃんと話を聞いていなかったのでわかりません…汗
どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、教えて下さいませ。
(写真もぶれぶれ…)
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まるで「いじめ」のように雨の勢いが増したところで、作開地区へ移動。いよいよ山道の一部を歩きます。だって、そのために来たんですもの…
かつて「九十九折山道」と呼ばれた旧山道を、武四郎になった気分で歩きます。
この日のために、北村英芳さんが草刈正雄をして下さったんですって…
頭がさがります。ありがとうございます^^
近くに住んでいたら、お手伝い…できたかなぁ…かえって邪魔か…?
いや、無理かなぁ〜自分の家の庭もボーボーだもの
(話が逸れました)
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北村さんを先頭に、ゆっくりゆっくり歩きます。
札幌市の円山登山とよく似た道です…
良く晴れた日に、落ち葉を踏みしめて歩くとフカフカ気持ちいいだろうなぁ〜
そんなことを思いながら歩いていました。
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「これ、ブナの木ですか?」という質問があり、一同足を止めて見上げる…の図。
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足元に割れたお茶碗が…
なぜ、こんなところに??
江戸時代のお茶碗かも(な、はずないわ)…と、ひとり妄想してみる…
多分、晴れていたら…しゃがみこんで拾って眺めている…
そして、どんどん追い抜かされて一番後ろから走って追いつく…の図
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10分も歩いたかなぁ〜
いや、歩いていないな…
突然パッと視界が開け畑作風景が!遠くにはお墓も見えます。
昔、この辺りに「金木宿」があったとか…
「安政2年、青森県人の金木新吉を中心に7人が移住し漁業の出稼ぎのかたわら農業も始めた」と…私達のガイドブックに書いてありました。汗
明治4年には旧斗南藩(旧会津藩)が帰農した村で、元は別手村と言っていましたが「新しく開く村」を意味して「作開」としたそうです。


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明治維新後、会津藩から斗南藩に移り住んだ人達が、明治4年この作開に入植(20戸、130数人)この頃、斗南藩は他にも瀬棚、山越内(八雲)、余市などに分散入植しているのです。

見えているのは、かつての説教所(観音寺)のお墓かしら…?
観音寺には榎本武揚のサイン板があるのだとか…
とうことは、榎本武揚も「黒松内山道」を歩いているのですね

そういえば途中「観音寺」というバス停も見つけました。
いつか榎本武揚のサイン板、見てみたいです。
ここ、リベンジ。
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会津藩士の墓も、ひっそりと建っていました。
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山道を下り、道道へ戻ります
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秋ですね!
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その後の交通の変遷については…
黒松内観光協会発行の冊子「くろまつない」(P6‐P7)に、山本竜也さんが詳しく書いています。ぜひ、お手に取ってご一読くださいませ^^

黒松内町観光協会HP→コチラ
(ここに問い合わせると入手できるかな?)

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今年の4月にOPENした「beech cafe」(ビーチ・カフェ)さんで、ひと休みです^^
ひと休み、大好き!
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「道産食材で作った食をお楽しみください」とリーフレットにありました。
ふあふあシフォンケーキと熱々紅茶で「ほっ」。
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生みたて卵にお野菜の販売もしていました。
私はオレンジとチョコチップ入りのスコーンを購入。
翌朝の朝食になりましたよ(空港行の連絡バスの中でモグモグ…)
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再びバスに乗車
窓から見えた赤い鳥居は「熊野神社」??
だとすれば、ここが斗南藩士(旧会津藩)が移住したところ。
と…いただいた資料に書いてあります…笑
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雨があがりましたよ!
青空に美しい虹がかかりました。
うわ〜
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さて、歌棄です…
道筋に、3軒並んだ立派なお寺さんを見学します。

最初は「教立寺」(浄土宗)
昔、長万部〜歌棄間の山道で強盗が出て危険でした。そこで対策として閻魔大王、地獄の検査役の像をまつり、地獄変道相図を保存したそうです…
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窓越しに見ることができました…あはは。
怖い〜〜
左手前の白い人(口は真っ赤)が、地獄の検査役かしら…
ぶるぶる…

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お次は「西光寺」
京都東本願寺の設計者、伊東平左衛門の設計(すごいなぁ〜)
ケヤキの大木がお見事でした。案内板には「明治26年、本堂完成記念に5本植えた」とあります。昭和50年に記念保護樹林に指定されています…

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そして「龍昌寺」(曹洞宗)
寿都でいちばん古いお寺で、安政6年(1856年)に始まる…とHPに書いてあります。
本堂前の素掘りの彫刻が、これまた素晴らしいのです。

中国の学者が幼い頃に友人と遊んでいて、友人が大きい水ガメに落ちてしまいました。とても貴重で高価な大きなカメを割り友人を助けたのです。カメを割ったことをとがめられたりせず友人を助けたことをほめられたという「人の命は何よりも大事」という教え…だったかな?確か…
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カメを割って友人を助けています
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明治時代の石仏ですね…
説明がありましたが…よく聞いていませんでした…
ただ、周りの皆さんが真剣に写真に写していたので、マネして撮りました。ははは
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おしまいは「カクジュウ佐藤家」

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佐藤学芸員さんが案内して下さいました。

では、仕事用のガイドブックから半分だけをそのまま記載(バスガイド風に読んでみてね)

皆さま、左に道の文化財指定「漁場建築・佐藤家」が見えてきました。。
佐藤家は正式には「カクジュウ枡屋佐藤家」と申しまして、義経の家臣・佐藤忠信公の末裔と言われております。初代の定右衛門は寛政12年、陸奥国信夫(しのぶ)群飯坂町に生まれ、31才で蝦夷地に渡り松前町で「枡屋」の看板を上げて衣料品の店を経営、そのかたわら南茅部・椴法華で「鱈場」の請負人になり、箱館では海産物商として活躍しておりました。
ところが、2代目・伊三右衛門(枡屋栄五郎)は奥地の開発に意欲を燃やし、嘉永2(1849)年に現在の地に移住、翌3(1850)年に漁に必要な画期的な鰊の建網を考案し「行成網」(いきなりあみ)と名付けました。
やがて嘉永5(1852)年、念願叶って歌棄・磯谷場所の請負人になり、運上屋を取り仕切る身分に出世し佐藤家はますます繁栄します。(福山城築城の時は金百両を献金した?)
明治を迎えてまもなく場所請負人制度は廃止されましたが、その後もこの歌棄を本拠地として漁場経営を続け、最盛期には68カ統、約2000人を雇用したという大きな網元でした。
この建物がここに建てられたのは明治24(1891)年頃、3代目・栄右衛門の時代でした…

と、ここまで。

このあと、家の構造や秘蔵品などについての案内が続きます。
聞きたい方は観光バスに乗りましょう^^

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土台の青みがかった石は、福井県の「しゃくたに石」
建築の時はわざわざ富山から大工43人を招いたと言います…
北前船で運ばれてきたのでしょう
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学芸員さんの、かわいいお見送りで出発地点へ戻ります^^
丁寧な案内を、ありがとうございました。
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さて、第2部の文化講演会です。
最初に「黒松内に分住した仙台藩亘理伊達家臣たち」と題し、亘理伊達家第20代目当主伊達元成さんから…
ふむふむ…メモメモ…
来年4月にオープンする「だて歴史文化ミュージアム」に行かなくては^^
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伊達元成さん…
昨年秋の「リメンバー修学旅行」の時に、バスに乗り込み案内をして頂いて…
ちゃんと覚えていてくださいましたよ(車内で配った「おやつ」のことも…笑)

あの時の伊達さんのお話は、仕事で生かされているんです。
伊達家の武士としてのプライド、運…
伊達邦成は頭がよくキレて、家臣を大事にしてきた。
家臣がしっかりついていくのは、それだけ器が大きく人間味のある人物だったんだろーな。
フロンティア精神にあふれ、新しいことにどんどん挑戦!
当主がアイヌ文化を理解し共同しながら町づくりにあたったのも、開拓に成功したことに関係があるのかもしれませんね。

多分、読んでいる方は何を書いてるのか意味がわからないと思いますが…
私の伊達邦成さんに対するイメージです(今回の講演内容とは関係がありません)

現当主・元成さんもとてもお上品(御殿様ですもの)で知的で…
けれど、会話をするとユーモアあふれ楽しい方でした。
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ラストは山本竜也さんが「歌棄カクジュウ佐藤家と黒松内」についてお話して下さいました。
地形的にも日本海と太平洋を結ぶ最短ルートとして「黒松内山道」がつくられ、のちに鉄道も開通し交通の要として賑わいをみせた黒松内町。
その山道開削に私費を投じたのがカクジュウ佐藤さん…
山道が開通した翌年には、蝦夷地探査で松浦武四郎も歩き黒松内町の旅館に1泊した。
その証拠になるものも見つかりましたと…

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会場では、山本さんの各種出版本の販売も…
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山本竜也さんの「寿都歴史写真集」絶賛発売中です!
詳しくはコチラをご覧くださいませ…

充実した1日でした。
お世話になった皆さまに感謝申し上げます。
ありがとうございました^^



おまけ
帰りにこんな名前のバス停をみつけました(車窓からパチリ!)
「老古美」(おいこみ)

最近、いろいろ追い込まれて(老古美)、頭がハゲそうです
この界隈、面白い地名が多いデス…
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2018/10/2  7:37

投稿者:花子

砂糖味さん
おはようございます!
一緒に参加できたら、楽しさが倍加したのになぁ〜
札幌から黒松内に行くよりも函館からの方が近いようですよ…
無料の高規格道路もありますしね…

「松龍」のラーメン?気になります。笑
今回、唯一つ心残りだったのが「すずや」さんの和菓子が買えなかったこと。以前、購入した「あゆ」(お菓子)がとっても美味しかったから。今度は季節を感じさせる練りきりが食べてみたかったです。まる

2018/10/1  18:14

投稿者:砂糖味

これは色々な意味で行きたかった集まりです。黒松内付近は仕事で数度訪ねたことがあるきりで、私にとってはどちらかというと空白の地域。
まえから、訪ねたいと思っていたラーメン「松龍」さんもあるし・・・

2018/9/30  9:53

投稿者:花子

山本さん
おはようございます。
わかりやすくテンポの良い案内は参考にしたいです。
「教立寺」では山本さんの若さが実証されましたね。皆さん、良い写真が撮れて感謝していると思います^^ ありがとうございました

2018/9/29  22:43

投稿者:山本

遠い所をお越しいただき、また、丁寧なご紹介をいただき、まことにありがとうございます。雨が非常に残念でした。

http://minami-siribesi.world.coocan.jp/


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