北原鈴淳尺八教室in八王子  音楽

  
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  指導者  鈴慕会 大師範

            
            北 原 鈴 淳







音楽歴  
長野県飯田市立追手町小学校5〜6年で器楽班に入り、小太鼓を担当。

東中学校2年から飯田高校の吹奏楽班でユーホニュームを担当(5年間)

大学の三曲研究部で琴古流尺八を始め、故二代青木鈴慕・人間国宝(2018年8月21日死去)に師事
      
1972(昭和47)年1月 浅草国際劇場の「艶歌のすべて 北島三郎ショウ」 で10日間「仁義」「盃」「誠」を尺八伴奏
      
1976(昭和51)年 渋谷東邦生命ホールで尺八リサイタル
曲目「みだれ」「一定」「箏四重奏曲」「詩曲」「鹿の遠音」「千代の鶯」

1991(平成3)年 NHKFM放送「邦楽のひととき」
に「明治松竹梅」出演
その後も「末の契り」「泉」など出演

      
2007(平成19)年 北原尺八教室をめじろ台に開設

2016(平成28)年、芸歴(芸道・竹道)50年を迎えた

稽古場 東京都八王子市めじろ台2丁目
      (京王線めじろ台駅徒歩6分)
     
      電話 042−668−1278
(お問い合わせは午前8時〜午後8時まで)

稽古日 日曜日・月曜日・火曜日・木曜日(午前10時から午後5時までの予約制)        
    ご希望により他も可能な日(午前中など)があり、ご連絡下さい。
月謝   
月2回、5000円 (1回約50分間)
月3回、7000円 (1回約50分間)
月4回、8500円 (1回約50分間)
ワンレッスン、3000円 (約1時間)

その他、ご希望により特別ワンレッスン2時間を設けます。(5000円)

入門料 3000円(ホームぺージご覧の方は半額の1500円)
      入門者には自費出版のCD1枚差し上げます。

初心者から対面式で一人一人指導します。まずは基本の音出しから。
 古曲を中心に宮城曲、現代邦楽、歌謡曲までご希望にも応じます。

琴古流本曲 三谷菅垣・雲井獅子・虚空鈴慕・鹿の遠音 など

地唄筝曲  黒髪・千鳥の曲・笹の露・残月・八重衣 など

宮城曲   春の夜・春の海・初鶯・泉・虫の武蔵野 など

現代邦楽  風動・詩曲・一定・萌春・出雲路・箏四重奏曲 など

その他ご希望により 童謡・唱歌・歌謡曲(著作権法に触れない曲)など

体験レッスン 500円(約60分) ご予約ください

初めての方には、安価な樹脂製の尺八「悠」(¥11000+税で、良く鳴ります)を取り寄せます。竹製欲しい方は、別途ご紹介します。
取りあえず、貸し出し用のプラ管あります。

練習の状況により箏や三絃と時々合奏練習をして、年に一度は稽古場でおさらい会をします。

1976年北原康夫尺八リサイタルより、
杵屋正邦作曲・尺八独奏曲「一定」(いちじょう)が聞けます。
長澤勝俊作曲
「独奏尺八のため詩曲」
上記、青色線をクリックしてください。

金曜日・土曜日は箏・三絃教室も開いています。
こちらのホームページをご覧ください。
http://ivory.ap.teacup.com/koto8/


近況と雑感(1/21) 

17日NHKテレビ朝7時45分からの「さわやか自然百景」は、「長野 伊那谷」だった。
南アルプスが出て瞬時に故郷だと分かった。

天竜川、ニホンカモシカ、二ホンザル、鳥などが映されたが、懐かしい風景だ。

今年の正月にその故郷の妹から、干し柿と干し芋(いもんぼし)が届いた。誠にありがたい。甘味があってとても美味い。

一方、新聞には飯田市遠山郷の和田小学校が出ていた。小学生が減り、このままでは何年か後には小学生がいなくなって廃校になってしまう。

そこで小学4年生が「移住してほしい」と作文を書き、それをチラシにして首都圏に郵便配達するそうだ。作文には「校庭にはサルも来ます」だって面白いな。

正月用の純米酒「田酒」1升は飲み干した。ビールも何種類か買ってプレミアムエビスが残り1缶となった。エビスビールと言えばサッポロビールの製造である。

中学生の時の修学旅行は東京で、その頃は恵比寿にあったサッポロビール工場の見学に行った。ホップの匂いが充満していた事を思い出す。

見学記念にサッポロ缶ビールの空き缶で作った「貯金箱」をくれた。
まさか担任の先生は、本物の缶ビールじゃあ無かったのかなあ。

あの星印のデザインは鮮明で、しばらくは確かに貯金箱としてお金を貯めた。
だが、高校卒業して東京に出てからは、処分してしまったのだろう。手元には無い。

コロナ禍がなかなか収まりそうも無い。このままではオリンピック開催も難しい。
都心の観光地も人が減り大変だ。

今頃になるといつも思い出すのは、昭和47年1月の浅草国際劇場での「北島三郎ショウ」へ出演した事だ。

調べたところ1月14日から1月23日までの10日間で、平日は1日2回公演、土日は1日3回公演とハードだった。従って49年前の今頃は公演中だった訳だ。大入り袋にはハッキリ1月23日千秋楽の印刷がある。全公演満席の大人気だった。

もう開演時間は何時に始まったか思い出せないが、昼休みには仲見世に通って昼食をとった。
ある飲食店に入った時「北島三郎ショウ」を見た観客らしい家族がおり、つい声をかけてしまった。「今の北島三郎ショウの尺八を吹いたのは私です。いかがでしたか?」と。
今考えるとアピール性が強かったなと思う。

その頃の仲見世の混雑状況は凄かった。昼食を終えてかろうじて次の公演に間に合う程だった。
ステージでは紋付き袴の着物姿なので着替えが必要で、支度も忙しい。

今は閑散とした浅草の状況をテレビで見るだけだ。


門下生の皆さんへ

来る23日(土)のテレビ朝日の「題名のない音楽会」は「和楽器でビートルズ」です。
尺八5重奏で「イエスタデイ」、箏で「オブラディオブラダ」その他「ヘイジュード」など。

「イエスタデイ」や「ヘイジュード」は尺八で演奏しやすく、何故か尺八に合っている。
私も若い頃、盛んに練習して、ライブでも演奏して来た。

尺八の稽古は1メートルくらい離れてすれば良い、と実験結果が出た。

自宅では箏・三絃は、リモートでも稽古をしている。ご希望があれば考えます。

リモートで思い出したが20年ほど前、先代青木鈴慕先生に弟子が「そのうちに先生の稽古が九州にいながら受けられる時代が来ますよ」と言って、先生は「本当か?」と目を丸くしていた。
それが、この事である。



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緊急事態宣言と営業時間短縮  随想・徒然竹

1月7日に政府から緊急事態宣言がなされ、百貨店、スーパー、飲食店など軒並み営業時間短縮に追い込まれた。

NHKテレビを見ていると、画面の上部に各百貨店などの営業時間が表示され、ほとんどの店が応じている。

振り返れば、私が会社に入社した時のスーパーの営業時間は午前10時から午後6時30分であったから、まさに昔に戻ったようだ。

当時のT百貨店の営業時間は10時から6時で、毎週定休日があった。

私のスーパーはT百貨店の子会社で勤務時間は9時45分から6時45分までで、当然定休日は毎週あった。

事務員だったので、夏ごろには未だ明るいうちに退社出来て、上司も独身だったので週3回くらい近くの居酒屋で飲んでいた。

その後は経済もどんどん発達して、だんだん営業時間は長引き、定休日もほとんど無くなり、社員はシフトで休みを決めていった。

そんな訳でテレビの画面を見て、懐かしさで当時を思い出した。
まさかこういう時代になるとは、予想だにしなかった。

昨年から続くコロナ禍で、飲食店などの閉店が続いている。

おさらい会などの後、門下生をよく連れて行っためじろ台駅前の「バーミアン」が1月11日に閉店した。誠に残念である。

「バーミヤン」や「ガスト」「夢庵」「藍屋」などは「すかいらーくグループ」である。

以前勤めていた会社は、まだ「スカイラーク」という店舗がある時に、テーブルや椅子を納品しており、最盛期は次から次へと出店で売り上げは凄かった。もう40年ほど前の話である。

テレビを見ていたら知っている店が出た。

八王子の高尾から陵南方面、甲州街道沿いにある「魚心亭(うおしんてい)」である。
大将がコロナ禍の中、海鮮丼にこれでもかと丼からはみ出すほどの大盛りの刺身を乗せていた。

私は何回か行っているのだが、最初に入った時の注文が「まかない丼」だった。注文に対して大将が「うまかないけどいいか?」と聞かれてびっくりした。

どうも名物大将らしく、次に行った時は「うまかない丼下さい」と言ってみた。笑われた。イやな客だね私は。
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最近、物が壊れる  随想・徒然竹

最近、物が壊れる。

身の回りで物が壊れる。何かの前兆だろうか。

その@、10月に右上の虫歯を治したばかりなのに、12月始め突然口の中に硬いものをかんで、吐き出した。金属の詰め物だったが、その時は何故か他人を疑った。

自分のは鏡をのぞいたが異常無いと見なして、その金属を一度は捨てた。翌日どうも私の右下の詰め物のようだと拾いなおして、後日歯医者に行った。
結局その場所で、詰め物をクリーニングして、はめなおした。

そのA、結婚する時に買った腕時計は、5〜6年後T百貨店で電池交換の際、無くされてしまった。
それで、同等の新品の腕時計をくれたのだ。

その腕時計も経年劣化で、新宿で商売をしている頃、電池交換のサービスを請け負っており、メッキも出来たのだ。それで金メッキをしてもらって、きれいになった。

それも今では大分剥げて来たので、腕が見えない冬にだけ使用していた。
5日図書館からの帰りに長袖をめくって時計を見たところ、ガラスが無く、針は止まっていた。

しかもこの時計は4日前に電池を交換したばかりであった。何という不運だ。
100年は持たなかったが、約36年間休まず動いてくれたのだ、感謝する。

その後、ついでがあったのでその時計店に伺って、事情を話し「もうこれはダメだ」と言うことで、店主に「何か部品として使えるならば使ってください。電池も新しいし」と渡すと、お礼として?長さ10センチの携帯用LED照明をくれた。これは便利な「懐中電灯」である。

そのB、べつに壊れた訳ではないが、洗面所の点灯管が突然つかなかったり、翌日にはデジタル体重計の電池が切れた。その前、電話機子機のバッテリー切れで新品を取り寄せた。急に変化が身の回りで起こっている。

12月18日バスに乗っていて追突事故にあった。
八王子に行く予定で、めじろ台からバスに乗り、2停留所目の前の信号待ちで止まっていたところ、「ドン」とバスが前のめりになった。

エンジントラブルかなと思っていると、車内放送があり、追突事故らしい。後部座席にいたので後ろを覗くと、乗用車が止まっていた。80歳くらいの爺さんがぶつけたようだ。

私はあわてて降りて、後部を見ると双方へこみは特になかった。
ちょうど白バイが走っており、パトカーも割と早く来たが処理に時間がかかると思って、めじろ台に向けて歩き出した。振り出しに戻ったのだが15分位かかった。

予定を変更して西八王子行きのバスに乗った。冷静に考えれば、大した事故ではなかったので、それ程時間はかからなかったろうにと思い直した。

軽い衝突だったので、幸いむち打ち状態にもならず、あの時猛スピードでぶつかっていたら、一瞬で命を無くしたと思うとゾッとする。

24日、しばらく使って無かったプリンターで印刷しようと思ったら、インクジェットの黒がほとんど無く、印刷できなかった。あわててネットで調べたが、どこも掲載されていなかった。

買って2年程だからまだあるはずだ、と八王子に出かけてヨドバシカメラで購入出来た。
プリンターの品番を調べてあり、従業員に聞いたらすぐに見つけてくれた。自分で見つけるより早い。

しかし、機械に弱い私はセットの仕方に四苦八苦。メーカーのネット上の説明でやっと取り付け完了。やっとの思いで印刷できた。

又新年早々、歯と歯の間にピスタチオの殻が挟まり、自分では取れなくなった。

バカな私は新聞を読みながら、ピスタチオとナッツ類を食べていたのだが、たまたま手にしたのを見なかったら、ピスタチオの殻までかんでしまった。

あわてて吐き出したのだが、その時は気がつかなかった。

しかし、歯の裏側に飛び出した小さな殻は自分では取れなかった。非常に気持ちが悪い。触ると舌が痛い。

これはすぐ歯医者に行かなくてはと、予約なしで診てもらった。結局歯を少し削り除去したのだが、詰め物をする事になった。こうして段々歯が削られていくのかとうんざりする。
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高尾山頂の変化  散策・ハイキング

12月7日、今年最後の高尾山行きである。
トップページからここへコピーをしたつもりが、操作ミスで消えてしまい、再びアップする。

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この日はたまたまリフトが運休で、ケーブルカーで登った。
知らなかったが偶然にもこの日は薬王院の新貫首の入山式で、ケーブルカーに同乗した。まさかこの日で同じ時間に遭遇するとは思わなかった。

中央が佐藤秀仁僧正(50)である。

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貫首の交代は27年ぶり。前任の大山隆玄大僧正(86)は体調不良で退任した。


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この日は高尾山頂上から「もみじ台」に行く予定を立てていた。
高尾山頂上から見える富士山と、もみじ台から見える富士山はほとんど同じだったので、もみじ台の写真をアップする。

紅葉はまだまだ綺麗だった。


11月16日は高尾山の琵琶滝コースを登った。
迫力のない映像だが、いよいよ沢を登るところである。

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このところ雨はしばらく降っていないが、結構道中は水に濡れていた。
やはり行楽日和で、次から次へと登ってくる人が絶えない。

最後の階段はヒイコラ言って、休み休み登ったから、かなりの人々を見送った感じだった。

やっと11時40分頃頂上に着いたのだが、残念ながら富士山は見えなかった。
紅葉は今盛りなり。

頂上を越えた所のいつも行く広場の椅子に座れて、おにぎりと朝私が作った玉子焼きを食べた。
玉子焼きは白だしとみりんを入れたが、少し白出しが多かったようだ。

高校の頃の弁当は母が作った玉子焼きが旨かった。塩と砂糖、それに日本酒が入っていたが実に旨かった。あの味は市販のものでは食べられない。

帰りは薬王院経由のリフトで帰ったが、ゴールデンウィークのようなものすごい人だった。


こちらは11日の高尾山である。


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ここは薬王院から登ったところの鳥居で、紅葉真っ盛りである。




高尾山頂上もモミジが今一番で、登山客も平日にも関わらず、混雑していた。(午前11時頃で、たまたま人が写らなかった。)

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今年何回か登ったが、やっと一番の富士山が見えた。


好天に恵まれた10月26日、高尾山に登って来た。

やっと晴れ間が続き、土曜日曜を避け、空いていると思った月曜だったが、皆がそう思ったのか、予想より混んでいた。

山行きに青のチェック柄のシャツを買った。何故山行きにはチェック柄が多いのか、分からない。(調べると自然に無いから目立つ為とか、汚れが目立たないからとか、らしい)

皆を見ると、やはり半数位がチェック柄である。

いつもの通り、往復リフトである。前日に足の筋トレをした為か、翌日なんともないのである。

それでも登りはゆっくり、休み休み登った。11時過ぎに山頂。少しづつ紅葉が始まっている。

高尾山頂に着くと必ず標識を見る。ほとんどの人が写真撮影をするから、独占して人を写さないのは難しい。毎回感じるのが、この標識の経年劣化だ。


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この撮影は2015年4月。急いで撮ったら下側しか写っていない。標識はとてもきれいだった。

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これは2016年11月撮影。下側が剥げてきた。

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そしてこれが2020年10月26日である。比較すると、かなりの汚れ具合が分かる。

日本遺産になり、皆が集まるので、早いところペンキを塗り替えて欲しいな。

山頂からいつも富士山を見るのだが、残念ながら雲がかかって全然見えなかった。

余談だが、最近のテレビでの芸能人は「全然いい」と発言するが、全然良くない。

なんでもヤバいの連発も、出川の影響か、やめてもらいたい。本当にヤバいから。

この日は14000歩であった。万歩計には万歳、万歳と手を挙げる表示があった。


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西新宿最新情報  散策・ハイキング

12月11日その後の新宿を見に行った。

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ここは先日チェックしていた、新宿中央公園の「むさしの森」での食事である。
ワンプレートで提供されたのは、ロコモコハンバーグで美味しかった。

すかいらーくが経営とは、イメージが違った。その後にオーダーした「アメリカン」が来たのだが、それが通常の2倍くらいの量があったので、飲みきれなくて残してしまった。

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座った席から見た中央公園であるが、目の前は西日を避けるブラインドがあり、外側にもテーブルがある。
芝生はここの所だけ「冬芝」で、冬でも枯れずに青々としている。

コロナ禍もあり、テーブルはしっかりアクリルで仕切り、隣が見えないし、座椅子もしっかりとしていた。一人一人パソコン用電源も完備だ。

以前商売していたビルの隣にあったF医院のビルが更地になっており、いつも通った同じビル内にあった寿司屋さんが閉店した。
行くたびに変化する新宿である。


所用で9月18日新宿に出かけて、西新宿を見学して来た。かつて私の店舗があった所である。
11時頃新宿駅に着き、歩いて都庁前にある住友三角ビルに向かった。ここは通勤コースだった。

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エントランスはしばらく工事をしていて、やっと今年完成したのである。
奥に見えるのが本来の三角ビルで、その外側がきれいに完成。

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言わばビル前広場がビルの中に入った形だ。
地下一階にはホールが出来て、コンサートが出来るし、震災時には非常用に避難所になるそうである。

このビルでは、かつて朝日カルチャーセンターで青木鈴慕先生が尺八を教えていた。

第一期生が卒業して鈴慕会に所属した内の2人を、ある事情により私が直接教えることになった。(40年も昔の話である)
驚くことにその内の1人は、昨年まで明星大学の学長を勤められた。


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レストランも充実しているようだ。B1にはタリーズコーヒー、あるでん亭などがある。
「ヤ クン カヤ トースト」はシンガポールの店で、我々がシンガポール旅行の朝食でいただいたのと同じ店らしい。

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こちらは新宿中央公園の東側が新装になった。しばらく工事中だったが7月16日に開店した。
建物右側は1階「スターバックス」。左側は「むさし野Diner」。

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期せずして(最近私のブログに多い)10月2日テレビ朝日の「じゅん散歩」で高田純次が「むさし野Diner」でパンケーキを食べていた。とても美味そうだった。

今までは何も飲食店は無かったので、都民の憩いの場所となるであろう。右上は都庁。

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芝生もきれいに敷き詰めた。うがった見方をすれば、東京オリンピックに間に合わせたのであろう。

ここは春になると「桜」見学の場所となるが、大した本数は無い。
近くの会社員が、新入社員を集めて研修や歓迎会など行っている事がある。


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公園後ろのビル右側は「ハイヤット リージェンシー 東京」、左側が「第一生命ビル」でツインビルになっている。

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一面芝生で、気持ちが良い。ただ何年かすると踏みつけられ、無残にも剥げたり、草ぼうぼうだったりするから、管理が大変である。
それは自宅でもって実感しているのである。

公園を横断して熊野神社に出た。今年のお祭りはコロナで中止となった。
昼食はかつての行きつけのハンバーグ、ステーキ店の「バッファロー」。西新宿6丁目にあり、私の店舗のほぼはす向かいにあった。

11時30分開店で、開店と同時に入らないともう満席になるくらいの人気店である。
予想通り、3人目で店内に入れた。

帽子にマスク姿で入ったが、ご主人はすぐに分かってくれた。
いつも通りの「ハンバーグと白身魚フライ」を注文。
ここは「水」の代わりにコーヒーが出る。途中で継ぎ足してもくれるし、頼めば水もくれる。

ここのは本当に美味しくて、食べログなどでも人気である。
「お元気でね」と言って店を後にした。ご主人も団塊の世代である。

再び新宿西口に戻ると、コロナ禍の影響かパチンコ店が2点閉店しており、行きつけだった飲食店も閉店中。
新規開店した店も、コロナで1年も持たず閉店した所があり、新宿に限らず八王子もそうだった。
国の施策で何とかしてあげたいものだ。
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古関裕而と朝ドラ「エール」  音楽

作曲家古関裕而(1909年〜1989年)モデルのNHK朝ドラ「エール」が終了した。

朝ドラを最初から最後まで見たのは、初めてである。
最終回には感激した。NHKホールで出演者が古関のヒット曲を歌ってくれたのだ。

私の好きな「イヨマンテの夜」がやっとフルコーラスで聞け、「モスラ」「栄冠は君に輝く」「高原列車は行く」や「長崎の鐘」も聞けた。

ドラマは古関裕而と妻の物語で、窪田正孝と二階堂ふみが立派に演じた。

特に二階堂ふみは迫力ある、感情の激しい「音」役を演じたのは良かった。

ただ全編を見ての感想は、出演者の恋愛から結婚の場面が多すぎた。もう少し古関の曲を流して欲しかった。

今年はコロナの影響もあって撮影が減らされ、私が最大の興味を持っていた「オリンピックマーチ」の作曲場面や、国立競技場でのオリンピック開会式の模様があまりにもあっけなかったのは残念だ。

改めてYouTubeで「オリンピックマーチ」を聞いたが、名曲だ。

NHKの「ビッグショー」を見たところ、作曲家の服部良一も出演していて「マーチじゃ古関さんにはかなわない」と言わしめた。

NHKのスポーツの番組では必ずテーマ曲として「スポーツショー行進曲」もおなじみだし、昔買った行進曲のレコードには軍歌「若鷲の歌」なども、マーチに編曲されてた。

服部良一も「青い山脈」などの名曲がある。

それにしても古関裕而が作曲にあたり、ピアノなどの楽器を使わないで作曲したことには驚嘆した。天才は頭の中で曲が出来上がっているらしい。

気に入ったドラマや映画が終了すると、寂しさで○○ロスとか言うそうだ。
私も朝ドラロスになったみたいだ。
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ガーデニング そのC  趣味

庭木の剪定は2年に1回、八王子市のシルバー人材センターにお願いしている。

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左から貝塚イブキ、金木犀2本である。その奥には柘植がある。
これら大きな木はお願いして、サツキやツツジは私が出来る。

いつも来て頂いているKさんに任せているが、かなり思い切った剪定である。

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「なんとまあ、セミの抜け殻ではありませんか」金木犀の葉にしがみついており、雨でも落ちない。

Kさんは高齢になり残念ながら、今年でリタイアすると言う。
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フランスパンの美味い店  グルメ・クッキング

めじろ台の「ルトン」に行くとフランスパンが出る。オリーブオイルに付けて食べると美味しい。(期せずして京王線の雑誌、「あいぼりー」にルトンが大きく紹介された)
それに触発されて、美味しいフランスパンを探し求めた。

めじろ台に「ファリーヌ」を見つけ、八王子セレオの食料品売り場の「ボンバドゥル」も美味しい。

それ以前に「サンジェルマン」の「エクセルブラン」も美味しい。
フランスパンではなく、山型のパンだが、サクサクとして旨く、それをわざわざ買いに行くのである。

つきみ野にいる頃は「中央林間とうきゅう」にあったのだが、今は閉店してる。
「サンジェルマン」を見つけたのは新宿タカシマヤ、立川高島屋、府中の元伊勢丹の一階で、元々は「東横食品工業株式会社」が創業し「東急フーズ」に社名変更後、JTに買収された。

店舗はどんどん増やしているらしく、橋本アリオにも入店した。

「エクセルブラン」は製造後しばらく「カナダ産のある地方の小麦粉を使用」と厳しかったはずが、今では国内産のようだ。

バターが一番合って本当に美味しい。ぜひ買って欲しい。
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芸能人・作曲家の死亡  音楽

「僕は泣いちっち」を歌った守屋浩が9月に81歳で亡くなった。
1959年のヒット曲だから、私が11歳の時である。

この曲は大学の同級生の親友の十八番だった。「〽僕の恋人東京へ行っちっちーーー」
新潟県出身の彼と、長野県出身の私とは気が合った。

二人は共有する思いがあったのか、上京してこの歌に魅せられた。彼とは疎遠となったが、何故か思い出される。

今度は10月7日、作曲家の筒美京平が80歳で亡くなった。
ヒット曲は「ブルー・ライト・ヨコハマ」「また逢う日まで」「さらば恋人」「魅せられて」他多数ある。

私のバカ話である。当時会社勤めで会社の慰安旅行があり、私が幹事で120名をバス4台に乗せ熱海方面へ行った。その時の宴会は私が司会で、余興は各店(スーパー)の対抗であった。

私は総務部の代表として、「ジュディ・オング」の「魅せられて」の物まねをした。

歌はカラオケで部下の若い女性が歌い、衣装は総務のおばさんがレースで、それらしく作ってくれて、当日は口紅も付けて華麗に(?)舞い、踊った。

そして見事に優勝したのである。証拠の写真もある。とても他人には見せられない。

そのまま舞台から会場内に飛び降りて、駆け回ったところビールまで浴びせられた。苦い思い出である。

今年はベートーヴェン生誕250年でNHKの「らららクラシック」などで特集している。
私はクラシック音楽の中でベートーヴェンが一番好きである。

彼の不屈の精神に共感する。
交響曲、ピアノ協奏曲、ピアノ独奏曲など数多くあるが、何といっても私は交響曲の「田園」が好きである。

二番目は「エグモント」序曲、三番目が「運命」、四番目は「第九」、そして「英雄」である。

大学生の頃「田園」のレコードとスコアを買って、田舎でステレオを聞きながら指揮者の練習をした程である。これを聞くと高校生までの田舎を思い出す。一度はオーケストラを指揮してみたいな。

「エグモント」序曲は私が高校生の時、ブラバンのライバル校の当時「飯田長姫高校」が女子高校の文化祭で演奏をした。これを聴いたときに、凄くかっこいいと思った。未だに好きで時々、YouTubeで聞いている。

「運命」は何と言っても最初の「ジャジャジャジャーン」である。譜面では最初は休止符で始まる。その切迫感が凄い。

しかし、ベートーヴェンの曲は「しつこい」。特に運命は、終わったようでなかなか終わらない。
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最近見た映画  映画

9月8日は調布まで出掛けて映画「パヴァロッティ」を見た。
ドミンゴ・カレーラスと三大テノールと言われた。
彼はイタリアで生まれ1935年〜2007年に亡くなった。全盛期の歌唱や私生活など、インタビューにも答えて、作品が出来上がった。

歌はヴェルディ作曲リゴレットより「女心の歌」、「誰も寝てはならぬ」の他、「オ・ソレ・ミオ」は三大手テノールと共演するのだが、「オ・ソレ・ミオ」には恐れ入った。

カデンツァで節を長く引っ張り、ドミンゴ・カレーラスはびっくりして、二人とも真似をした。そのしぐさが面白かった。

歌はもう完璧だ。素晴らしい美声で、正しい発音に高音。特に「ハイC」と言われる音の高さは、すごい。ジュースと間違ってはいけない。ハ長調のドで私の最高音がEなら、さらに5音高いCである。もう圧倒的な声量で皆を魅了する。芸術は素晴らしい。感激した。

パヴァロッティが歌う会場はどこも満員。もてる故、私生活では離婚、再婚、愛人など波瀾万丈の生活を送ったが、最後に最愛の4歳の女の子を残して、亡くなったのは悲しい。

15日には映画「ミッドウェイ」を見た。
1941年12月ハワイ諸島の真珠湾(パールハーバー)に日本海軍(山本五十六大将)が奇襲攻撃をかけた。

爆撃機の空中戦が凄い。パイロットになって自分が操縦しているかと錯覚する。
戦争は悲惨である。二度と日本は戦争をしないように言っておく。

期せずして日本軍の組織論的研究「失敗の本質」の本を、高校の同級生から貰って読んでいた。この中に「ミッドウェー作戦」の項もある。
かなり売れていると新聞に出ていた。

10月13日映画「実りゆく」を見た。長野県の農家の息子がお笑い芸人を目指して上京、と予告編を見て興味を持っていた。

ロケ地も知らずに見たところ、なんと我が飯田のすぐ近くの松川町のリンゴ園が舞台だった。
南アルプスを望むいいロケーションである。内容は素晴らしく、感動するし、面白かった。

父親役は田中要次。飯田弁を話していた。彼は木曽出身だから違和感は無い。
息子役は漫才コンビ「まんじゅう大帝国」の竹内一希。

この映画も、田舎(飯田)を捨てて(?)上京した私にも共通するものがある。ある場面では涙も出た。実話に基づく映画だ。

松川町には、果樹園を営んでいる私のいとこ(撮影場所のすぐ近所らしい)もいるし、前松川町長は高校の同期生である。

彼に早速メールをしたところ、返信では「改めて郷土の素晴らしいことを、痛感しました」とあった。

皆さんもぜひ見て欲しいな。
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