北原鈴淳尺八教室in八王子  音楽

  
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  指導者  鈴慕会 大師範

            
            北 原 鈴 淳







音楽歴  
長野県飯田東中学校から飯田高校の吹奏楽班でユーホニュームを担当(5年間)

大学の三曲研究部で琴古流尺八を始め、故二代青木鈴慕・人間国宝(2018年8月21日死去)に師事
      
1972(昭和47)年1月 浅草国際劇場の「艶歌のすべて 北島三郎ショウ」 で10日間「仁義」「盃」「誠」を尺八伴奏
      
1976(昭和51)年 渋谷東邦生命ホールで尺八リサイタル
曲目「みだれ」「一定」「箏四重奏曲」「詩曲」「鹿の遠音」「千代の鶯」

1991(平成3)年 NHKFM放送「邦楽のひととき」
に「明治松竹梅」出演
その後も「末の契り」「泉」など出演

      
2007(平成19)年 北原尺八教室をめじろ台に開設

2016(平成28)年、芸歴(芸道・竹道)50年を迎えた

稽古場 東京都八王子市めじろ台2丁目
      (京王線めじろ台駅徒歩6分)
     
      電話 042−668−1278
(お問い合わせは午前8時〜午後8時まで)

稽古日 日曜日・月曜日・火曜日・木曜日(午前10時から午後5時までの予約制)        
    ご希望により他も可能な日(午前中など)があり、ご連絡下さい。
月謝   
月2回、5000円 (1回約50分間)
月3回、7000円 (1回約50分間)
月4回、8500円 (1回約50分間)
ワンレッスン、3000円 (約1時間)

入門料 3000円(ホームぺージご覧の方は半額の1500円)
      入門者には自費出版のCD1枚差し上げます。

初心者から対面式で一人一人指導します。まずは基本の音出しから。
 古曲を中心に宮城曲、現代邦楽、歌謡曲までご希望にも応じます。

琴古流本曲 三谷菅垣・雲井獅子・虚空鈴慕・鹿の遠音 など

地唄筝曲  黒髪・千鳥の曲・笹の露・残月・八重衣 など

宮城曲   春の夜・春の海・初鶯・泉・虫の武蔵野 など

現代邦楽  風動・詩曲・一定・萌春・出雲路・箏四重奏曲 など

その他ご希望により 童謡・唱歌・歌謡曲 など

体験レッスン 500円(約60分) ご予約ください

初めての方には、安価な樹脂製の尺八「悠」(¥11000+税で、良く鳴ります)を取り寄せます。竹製欲しい方は、別途ご紹介します。
取りあえず、貸し出し用のプラ管あります。

練習の状況により箏や三絃と時々合奏練習をして、年に一度は稽古場でおさらい会をします。

1976年北原康夫尺八リサイタルより、
杵屋正邦作曲・尺八独奏曲「一定」(いちじょう)が聞けます。
長澤勝俊作曲
「独奏尺八のため詩曲」
上記、茶色線をクリックしてください。

金曜日・土曜日は箏・三絃教室も開いています。
こちらのホームページをご覧ください。
http://ivory.ap.teacup.com/koto8/


お知らせ掲示板(11/21) 



芸術の秋です。11月17日(日)は代々木上原にある「古賀政男博物館」のホールで行われた柳内調風門下演奏会に行って来ました。
柳内先生は、箏・三絃・さらに尺八も演奏され、作曲もされます。

柳内先生の作品が多かったが、皆上手に演奏していました、中には70歳位の父と40歳位の息子さんのデュエットがほほえましかった。
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2019/10/10

立川流落語と小痴楽  文化・芸術

9月17日(火)上野広小路亭に、立川流の落語を聞きに行ってきた。
ここには3回ほど通った。いずれも談四楼と談修が出演する時に限って行っている。

飯田市の長昌寺で共演?してから、縁を持ち、お二人に諏訪の酒「真澄」を差し入れて、談四楼師匠からはお礼のハガキをいただき、談修師匠からは真打昇進時の名入れ手拭をいただいたこともあった。

談修師匠(以下談修)は8月26日に日本橋社会教育会館で「談修インザダーク」を公演しており、それも聞きに行っていた。

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上野と言ってもJR御徒町の方が近い。開演は12時だから、その前に駅前ビルの9階にある吉池食堂で昼食を取った。

11時開店と同時に入店して、窓側の見晴らしの良い席を確保した。
目の前にスカイツリーである。

さんま定食を注文したが、やはり小ぶりであった。

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上野松坂屋の目の前に上野広小路亭はある。

立川流とは立川談志(1936年〜2011年)が、1983年に落語協会を脱退して創設した落語家一門で、落語の定席に出られないため、独自に切り開いて落語を演じている。

予定通り15分前に着いて、受付であらかじめ予約していたので1500円を払う。
受付は談四楼の弟子、半四楼であった。

靴は脱いで持ち、2階の靴箱に入れた。

3階の会場はもう7割くらい入っていて、最終的には70名くらい入っていたと思う。
今は落語ブームで、落語家もかなり増えている。

12時から前座が一席、女性だった。やはり若く、慣れないので早口で抑揚が無い。

出演は、だん子(談四楼弟子)、志の彦、こはる、志らべ、ぜん馬(仲入り)志のぽん、志の春、平林、談四楼、談修で、演目は古典あり、創作ありで人それぞれだった。

前回は前座だった、だん子はご存じ「まんじゅう怖い」をやった。
二つ目だが、かなり上手くなってきた。

こはるは古典「芋俵」をやり、高い声で元気よく、見た目は男性かと思って調べたら女性だった。
10月1日には飯田市人形劇場で落語をやったそうだ。スケジュールみると売れっ子だと分かる。

ぜん馬は「おばけ」の話を老練の上手さで演じた。「さこみちよ」が奥さんだとは。

志の春は創作で、爆笑。幼稚園で落語をしたら、途中でおにごっこが始まり、気が付いたら誰もいなかったと。

平林は「防犯落語」で、警視庁から表彰されており、直前にNHKテレビでそのことが放送されたのを私も見ていた。

おれおれ詐欺がばあちゃんに電話をするのだが、それを信じて、逆に孫からかかって来た電話は「うそだ」「だまされないわよ」と。皆さん気をつけて。

談四楼は結婚式でかなりの司会をやってきており、多い時には1日に3回も会場を飛び回ったと言う。最近の女性司会者の物まねが上手かった。

お通夜ではハッキリしゃべらず、もやもやと「この度はーーー」で良いと。極端に「たびはーーー、たびはーーー」で良いとは笑ってしまう。

談修は大相撲のかつての横綱「谷風」を題材にした「佐野山」。谷風がたった一度の八百長したと言う話を演じた。

今大相撲ブームで9月には長野県出身の御嶽海が優勝した。いよいよ大関に向けてダッシュだ。

立川流には志の輔、志らく、談春など売れっ子の落語家がいる。
志らくの「落語進化論」を今年読んだが、志の輔はとにかく落語を覚えるのが早く、とんとん拍子に真打になったそうである。今やNHKテレビの「ガッテン!」で有名だ。

談春の「赤めだか」も読んだが、談志の家のメダカが赤かったというところから題材を取っている。テレビドラマにも良く出る。

談志の家と言えば、志らくは談志の家を改造して住んでいる。弟子は18人もいるそうだ。
以前テレビ朝日の「ビフォーアフター」で改造を見たが、「何と言う事でしょう」立派に改造された。

談春の方が志らくより入門が早かったが、真打は志らくの方が早かった。それでも志らくは談春のことをお兄さんと呼ぶそうである。

志らくがTBSテレビの「ひるおび」のコメンテーターに出るようになったなー、と思ったら9月30日から、TBSテレビ朝8時からの「グッとラック」の司会ときたもんだ。

10月4日には、柳亭小痴楽が浅草演芸ホールで真打昇進披露興行を行うってんで行って来た。(あれ、言い方がおかしいぞ)

実は、私は昨年70歳になり「シルバーパス」の権利を得て、都営地下鉄やバスは無料とのことから、今年は申し込んだ。

新宿からは都営大江戸線、都営浅草線を利用して浅草まで無料で行ける。
予定通り11時に浅草駅に着き、かねて調べておいた「むぎとろ本店」でランチをした。

1000円でむぎとろと、おかず2品(日替わりで、この日はモツ煮込みと玉子焼き)が食べ放題。混んでいたがすぐに入れて、私は1回だけで美味しく腹一杯。しかし隣の席の若い女性群は全員が、まるでギャル曽根。

浅草演芸ホールは11時40分からだから、急いではいた。幸い直前について、開演に間に合った。

柳亭小痴楽真打昇進披露興行の10月上席前半のこの日は、柳亭信楽、マジックの山上兄弟(生で見るのは初めてで、小さい頃はテレビで良く見た)、三笑亭可風、三遊亭遊喜、ナオユキ(初めて見るおっさんがピンでしゃべる。受けに受ける)、講談の日向ひまわり。

桂歌春(出て来たところで「待ってました」の掛け声。「うれしいですね。待ってましたとは。これが終りに言われたら、たまったもんじゃあない」)

漫才の宮田陽・昇、三笑亭可楽、ボンボンブラザーズ(笑点で見たことがある兄弟?の曲芸。客が投げた帽子を頭で受ける)、桂米助(隣の晩ごはんで有名で、生は初めて見る。巨人軍等のスポーツの話だった。昔、海外旅行で王選手が「ミーツー」と言ったら長嶋選手は「ミースリー」と言ったとか笑わせる)

仲入り後に真打昇進披露口上。大看板になるように先輩に言われる。

三遊亭小笑、柳亭楽輔(柳亭痴楽の弟子。小痴楽の師匠である。柳亭痴楽の有名な綴り方教室の物まねをする。「柳亭痴楽はいい男、あってもなくてもいい男」)

三遊亭遊三(ご存じ時そば。実に美味そうにそばを、すするしぐさが絶品。言葉がハッキリと分かり易く、聞きやすい。見た目は爺さんだなと見ていたが、81歳だと知ってその元気さにびっくり)

江戸家まねき猫(昭和に活躍した江戸家猫八の娘。やはり親譲りでニワトリ、鹿の鳴き声も上手い)

柳亭小痴楽は古典。演題は分からなかったが、船をこぐシーンや殺陣など、もう役者であった。イケメンでもあるし、(痴楽に似なくて良かった)ドラマに映画に今後は出て来る人で、大御所は痴楽を継いでもらいたいと言っていた。期待されます。
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2019/9/15

浅草サンバと、きた散歩  芸能

8月31日(土)は浅草サンバカーニバルに行ってきた。
先ずは浅草寺にお参りで、お線香の香りを身につける。
暑さこの上なく、汗だらだらだった。外国人の浴衣姿も多い。

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毎年夏に行われるが、浅草サンバカーニバルは5回目の見学だ。午後1時開始だからその前に、近くの寿司屋でランチ寿司を食う。

その後、いつもの老舗の喫茶店でコーヒーをと思ったら、「先ごろ閉店しました」の表示。

早い人は11時頃から沿道で並んで座っているが、どうせ混むからいつも立って見ている。

それでもいつも見る松屋の前に12時40分頃行ったところ、5列目位で爪先立ちをしないと見えないくらいだった。

新聞によると50万の人出らしい。

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こちらはマカオのダンサーで、車に乗るのはトップダンサーだ。
カメラ(デジカメ)は頭の上にかかげて撮った。

暑くてマカオの宣伝用「うちわ」を配っていたのでいただいた。煽っても汗だらけ。
持参した水はもうぬるま湯だ。周りのおじさんは皆冷えたビールである。

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何枚も撮ったのだが、動きが早くアッと思ったとたんに後ろを向いたり、通り過ぎて何も写っていない時もある。

こちらは日本人。たまたま正面で撮れた。沿道のおじさん達のカメラの放列はすごい。
やはり一番前は恥ずかしくてとても私は行けそうもない。

サンバはコンクール方式だから皆真剣である。トータルで考えれば総合芸術である。

きれいな御嬢さん達や音楽、太鼓の音に満足して、背伸びして右足がつりそうになったので1時間くらいで、見切りをつけて列を離れた。

それでもせっかくだからと、浅草をくまなく?散歩して来た。

さて、日にちは変わって9月10日(火)西新宿5丁目へ「きた散歩」に行って来た。

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クイズです。ここは何でしょう。

大体の予想はつくと思うが「MAX」という、老舗の喫茶店である。

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店内から見ると当然、窓ガラスのMAXは逆さになる。

実はここは映画「新聞記者」で撮影された喫茶店である。

手前の光ったテーブルに女性新聞記者と官僚が座り、取材するシーンに使用された。

映画館で家内と見ていた時に、予想だにしなかったが、すぐ新宿の「MAX」と分かり、あわてて家内に知らせた。

ここは以前も書いたが映画「釣りバカ日誌」の最終映画でも、西田敏行と岸部一徳が話をするシーンに使用された。その時は収録に一日かかったそうである。

私は日替わりメニューの「ガテマラコーヒー」を飲んだ。酸味があり、私には向いていなかった。マスターや奥さんは以前から懇意にしていたので、しばらく話し込んだ。

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こちらは並びのビルの一階である。十二社通りに面しており、左側が「ラーメン天華」、右側は「丼丸」だ。実はここ「丼丸」の前の店舗だったのが、我が印章店だったところだ。

9月21日は新宿熊野神社のお祭りで、店頭には提灯が飾られている。以前は「照美堂」の名入れ提灯もあったが、今はもう無いだろう。

もう止めて9月末で5年にもなる。早いものである。
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2019/8/25

津軽三味線 輝&輝  音楽

7月14日(日)ラドンナ原宿で行われた津軽三味線デュオ「輝&輝」(キキ)のライブに行って来た。
ラドンナ原宿はミュージックレストランで、原宿にある。

家内、娘と行ったのだが、新宿で軽く昼食を取ってしまい失敗したと思った。

ラドンナは食事を取りながら演奏を聴くライブハウスで、他人の食事が美味そうだったのだ。
我々は、コーヒーなどで済ましたので、私は反省をした。

ライブは12時から始まった。輝&輝は白藤ひかりと武田佳泉(かなみ)の2008年結成のデュオで、共に数ある津軽三味線のコンクールで優勝の経験のある、若手実力派の演奏家である。

最近は売れっ子で、毎日のように演奏会があるし、NHKテレビ火曜日の「うたコン」にも出演していたから知っている人もいよう。

今回は武田佳泉の「三十路祭」と題して、30歳をお祝いしての演奏会だった。


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不思議な縁であるが、私は9年前に通りすがりの新宿西口広場で、白藤ひかりの津軽三味線を聞いていたのである。


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2010年、これが偶然私の携帯で撮った写真で、いずれ出て来る人だと大事にしていた。したがって私は9年振りに彼女に会った事になる。
その上、娘が何年も前から輝&輝のライブに行っていたのだった。

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そんな縁で行って見ると会場は満席。もちろん我々は1か月前に予約をしていた。

第一部は民謡を中心として、津軽じょんから節や、熊本出身の民謡歌手「平山美里」を迎えて、おてもやんを聞く。可愛くもあり、美声である。

輝&輝の色違いの浴衣も良いし、太鼓まで交互にたたいていた。

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こちらのゲストは民謡の「先生」と呼ばれていた、梁川氏(NHK出演者名鑑によると福士豊桜)で斉太郎節を、きれいな透き通った高音の声で、上手に歌った。

今度、私もカラオケ店で歌おうと思う。

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第二部は服装も洋装のドレスに変わり、ピアノ、パーカッションも交えてノリの良い演奏をした。

武田佳泉の誕生日祝いにとメンバーがメイプルウィスキーをプレゼント。「うれしい」とだきしめる。

修了後は白藤ひかりさんと面識のある娘は話をしたが、私も「9年前新宿の西口広場で聞きました」と喜ばせた。

♪♫♩♭♯♮♪♫♩♭♯♮♪♫♩♭♯♮♪♫♩♭♯♮(音楽の記号)以下話が変わっていきます。

ところで私は津軽三味線と縁が深い。かなり演奏会を聞きに行っていた。

津軽三味線と言えば初代高橋竹山(1910年〜1998年)で、私が20歳台の頃、渋谷のジャンジャンで脚光を浴びていたので、レコードを購入し当時、川崎市のアパートで毎日出勤の前に聞いていた程である。

竹山は北島三郎の「風雪ながれ旅」のモデルであるし、映画「竹山ひとり旅」(林隆三主演)はDVDを借りて見た。

昨年、映画「津軽カマリ」(カマリ=匂い)を見たが、初代高橋竹山とその弟子たちの話や演奏が聞けた。
二代高橋竹山がメインで出演しているが、彼女が竹与を名のった頃からの知り合いである。

当時、尺八を教えていた預かり弟子の親類が竹与さんで、大和市つきみ野に住んでいる頃、自宅にいらっしゃった。

その竹与さんに未だ小さかった娘が、だっこされた写真もある。

そのおかげで、初代高橋竹山と竹与さんの演奏会を新宿厚生年金会館で聞いたのは貴重だった。
竹山の話す津軽なまりが懐かしい。

津軽三味線は叩き三味線と弾き三味線があるが、竹山は弾き三味線である。
野太くも繊細なきれいな音色で、感動した。

竹与さんは二代高橋竹山を許され、渋谷ジャンジャンでの演奏会を聞きに行ったし、CDもいただいた。

津軽三味線の大御所は、木田林松栄(?〜1979年)、三橋美智也(1930年〜1996年)、山田千里(1931年〜2004年)、沢田勝秋(1944年〜)などがおり、若手では木乃下真一(1965年〜)、上妻宏光(1973年〜)、踊正太郎(ようしょうたろう)(1977年〜)、吉田兄弟らがいる。

踊正太郎は全国大会で優勝もしているが、つきみ野の町内のKさん宅の敷地内に「やまぼうし」なるプチホールを作った時に聞きに行った。

さらに女性デュオの「あんみ通」がいる。1999年結成。
安仲由佳と金田一公美である。

公美ちゃんは私の大学の先輩M氏の仲間の金田一氏の姪で、最初は大田区のアプリコホールに聞きに行った。

(M氏とは不思議な縁で、大学生の時に長野県の寮に入っており、その時の先輩でもある。2006年には稲荷町龍谷寺で、柳家福治の古典落語勉強会をM氏が企画した時に私は、尺八演奏を頼まれて何曲か演奏をした。その時は他に相撲甚句、かっぽれの踊りなども出演して、打ち上げもご一緒出来た)

津軽じょんから節やテイクファイブ、オリジナルまで演奏。公美ちゃんは歌も上手い。

次は渋谷クラシックス、そしてめぐろパーシモン、お江戸日本橋亭まで聞きに行った。
毎回ゲストが変わり、箏や笛、長唄三味線も楽しめた。

さらに演奏会後はM氏や金田一氏らと飲み会で、楽しさは倍増した事は事実だった。

六本木のバーでは尺八のゲストが私ではなく、ブルース・ヒューバナー氏。
彼は芸大出で上手く、二代青木鈴慕師にも習ったと言う。
休憩時に話を聞いたところ、青木先生は「厳しいね」と言って笑っていた。

知り合った金田一氏からあんみ通のCDを2枚もいただいたし、私が西新宿の印章店を経営していた関係で、年賀状の印刷を何年も承った。
さらに、公美ちゃんの母から封筒の印刷を何回か頼まれた事もある。

上妻宏光は「題名のない演奏会」に良く出演するし、サントリーホールで藤原道山の尺八リサイタルで共演したのを聞いた。誠に器用である。

公美ちゃんと上妻氏は同じ先生に習ったそうで、そんな関係か、私の店に奥様が見えて、シャチハタネームの特注をされた。

「上妻」と聞いて私は条件反射で「あの津軽三味線の上妻さんですか?」と。

こうした縁も尺八をやっていたお蔭である。
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2019/5/8

カラオケ店  音楽

このブログを書きだしたのは平成で、完成が令和とは。

若い頃は「スナック」でカラオケを楽しんでいた。

会社勤めの頃は一次会で飲んだ後、二次会でよくスナックに行きカラオケで歌を歌った。
ある所では店内の音響機器で「カセットテープ」に録り、その場で聞かせてもらったが、私の歌はヘタで二度と聞きたくはなかった。

その後、自営業をしていた新宿では、新宿駅西口のパレットビルにあった「日本海庄や」が経営するカラオケ店「歌うんだ村」の会員になり、何回か通った。

ある時、友人と「日本海庄や」で飲んで同じフロアの「歌うんだ村」へ行こうと思い、飲み会の前に予約をしておいた。飲み会を1.5時間として1.5時間後にカラオケの予定だった。

ところが「日本海庄や」でコース料理を頼んでしまった為、混んでいたようで、最後の料理が来ない内にカラオケの時間になってしまった。仕方ないから理由を言って代金の精算をして、あわててカラオケに行った事があった。

そこには何回か通ったが、会員カードは作って1年で有効期限が来てしまう。そこは期限が切れても無料で更新出来た。

その後に新宿西口では「カラオケマック」を見つけて会員になった。
ここには随分と通った。何しろ24時間営業だから、いつ行ってもカラオケが出来るし、いつも割引券をくれるので安い。

私一人で行くときには尺八を持参して2時間予約して、最初の1時間はたっぷり歌を歌い、残りの1時間はカラオケで尺八演奏するのが常だった。

何回も友人などを連れて行った事があるし、飲んだ後にも小1時間歌う事もあった。

私は今現在、歌うリストを作り、それによって選曲をしているから効率が良い。
一人なら恥ずかしくないと時々採点してみると、最高で三橋美智也の「古城」が91点だった。

よくテレビでカラオケバトルを見るが、99点とか、中には100点も出るからすごいね。
新妻聖子は本当に上手いと感心するし、感動する歌手だ。
最近では吉木りさが、タレント部門で優勝したが、小さい頃から民謡で鍛えていた。やはり基礎が大事で、音程、リズムの正しさが必要だ。

カラオケ店で自分一人だとマンネリしてきて、若い人と一緒だと「ミスチル」などの知らない曲を歌われるので新鮮だ

新宿の自営業をやめてから自宅近くを探したところ、高幡不動駅近くに「歌うんだ村」を見つけた。

ここで又新規に会員になり、カードを作製したが、すぐに店名が「ファンタジー」に変更になった。しかし、カードはそのまま使用できる。

何回か通ったが、今度は少し足を延ばして、西八王子に行ってみたところ「シダックス」を見つけた。
会員になり二回ほど通ったところ、昨年「カラオケ館」に変わってしまった。
そのまま会員カードは使用できるらしいが、八王子に行った時に「カラオケ館」を見つけて、そこでも会員カードを作製してしまった。

それでいて今度は西八王子に「カラオケの鉄人」を見つけた。ここも結構安い。
三か月以内の特別優待割引券があるので、早く行かなくっちゃ。

従って、会員カードが五枚もある。

そうした中、4月に王子で尺八演奏会があった時に門下生二人と聞き終わった帰り、「カラオケマック」を見つけ、会員カードと割引券を示して3人で1時間程歌いまくり、居酒屋で喉を潤した。

Yさんは私が23歳の時に教えた門人であり、飲む方だけは継続している。一方、E君は今23歳だから奇遇である。

若い人の歌は元気が良い。「ミスチル」など難しくて、とても歌えない。やはり私は演歌で勝負だ。

カラオケ店では某落語家は、門下生に落語を教えるのに良いとか。尺八の練習にも良い。
近所迷惑にならないところが良い。

余談であるが、3月飯田市で所用があった折に、高校同級生T君を呼び出しスナックでカラオケを楽しんだ。

彼は飯田市でフォークグループ「夕顔」を結成して活躍しており、彼の楽歴40周年記念コンサートに私は招待されて、彼らのオリジナル曲に尺八の伴奏を入れたり、尺八の独奏を演奏させていただいた。

「夕顔」は長野県大会で優勝した事もある実力派で、T君はギターのコードを弾き、歌ももちろん上手い。

そんな縁で呼び出したのだが、もう一人カラオケ好きがいた。O君は高校同期生ばかりか、実は小学校の同級生だったのだ。随分前、高校同期会の二次会のスナックで偶然会い、カラオケが上手いと知ったのでついでに呼び出した。

私も何回か行った、T君行きつけの飯田駅前のスナック「信濃路」へ向かった。
一足早く私が地下一階の店内に入ると10人位の人に「ワー!」と歓迎を受けた。
どうやら、T君が前もって言ってくれたようで、全員が常連さんだった。

やがてT君、O君も来て、早速私はカラオケで尺八を手にして「仁義」でご挨拶をした。
1番を尺八で2番を歌で歌ったところT君は「歌はいいよ」と言われてしまった。

T君は主にフォークを、O君はムードあふれる選曲で、かなり盛り上がった。
お客さんは81歳から85歳が元気いっぱいに歌っていた。

「信濃路」は石原裕次郎を心酔するお客が多い。マスターがそうであるし、マスター自身裕次郎の歌も上手い。

そう思って裕次郎の「北の旅人」の尺八楽譜を持参したところ、運よくT君が選曲したので、あわてて尺八を出して合わせたところ、キーがぴったりでむしろ私がびっくりしたくらいだった。

しばらくするとO君が「いいマイクがある店に行こう」と言いだし、近くのスナックTに移った。
そこは凄かった。画面が4カ所もあり、音響が素晴らしかった。
ママが美人で歌が凄く上手く、O君とデュエットでハモリ、まったくうらやましかった。

O君とは小学校の一度だけの同級会で会ったり、中学、高校同期会で会う事はあったが会話は余り無く、こうして親しくカラオケや話が出来たのは幸いだった。

最後に3人で「快傑ハリマオ」を交代で歌ったのが圧巻であった。やはり同時代に生きた証である。
心残りは、私もフォークを歌ってT君とハモリたかったとT君にメールした。
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2019/2/21

北島三郎と高尾山  音楽

2月3日は節分で、各地では豆まきをしており、毎年北島三郎ファミリーは高尾山薬王院で豆まきを行っている。
私は3年前の高尾山薬王院の節分の豆まきに行ったので、今回は混むだろうから翌日の4日高尾山に登った。

天気よく、都心では20°C近くまで気温が上昇した日である。

京王線めじろ台駅から高尾山口駅までの往復切符と、リフト往復付きで980円だった。

リフトの清滝駅前には北島三郎の銅像が鎮座する。

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再三ブログに書いているが、私が23歳の時に浅草国際劇場で「艶歌のすべて 北島三郎ショウ」の尺八伴奏を10日間務めた。あれから47年経っているが、今日まで「さぶちゃん」が第一線で活躍されているのが嬉しい。

豆まきの喧騒を逃れた翌日の10時前にリフトに乗ったが、ガラガラだった。

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北島三郎は杉苗の大口奉納者である。

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前日の豆まきには、大相撲初場所で優勝した「玉鷲」や、北島ファミリーの原田悠里、北山たけし、大江裕が参列したようだ。

北島三郎本人は息子さんの喪中につき欠席だった。

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薬王院の境内に入ると、手水舎のすぐ左に北島三郎が歌った「高尾山」の石碑があり、右下の手形に手を当てると、歌が聞こえてくる。私は薬王院に来る度に手をかざして聴く。

少し藻が発生して、汚れが出て来たのが残念だ。

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こちらは「若いお巡りさん」の石碑で、作詞者の井田誠一は八王子出身である。
この曲は私が小学生の頃(1956年曽根史朗歌)流行っていた曲だが、今の若い衆は知らないだろう。
調子の良い曲だから、一番だけならそらんじて歌える。

境内では携帯用ストラップを買う予定があった。
実は最近、携帯電話を買い替えたのだが、以前薬王院で買ったストラップが古く、ヒモが切れそうになっていた。

それは「無病息災」を願う、無病にかけて「六びょう」(6個のひょうたん)である。気に入っているから同じ物を求めた。(昔、親父も自宅に本物の大きなひょうたんを飾っていた)


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ゆっくりと新鮮な空気を吸いながら、頂上を目指した。
高尾山頂の標(599.3m)は3年程前に見た時はきれいだったが、今では銅板の汚れや、下側のペンキがはがれてみっともない。

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富士山は最近では良く見えた方だ。最初は11時頃見たが雲がかかり、昼食を済ませた後、もう一度見てもほとんど変わらなかった。
周りは青空で良かったのに、富士山だけが雲がかかっていたのは残念である。

ここで北島三郎に縁があるので、北島三郎をちょっと書いてみたい。
図書館で調べると、彼には自叙伝的な本が2冊あった。それを参考にしてみた。

1936(昭和11)年10月生まれの82歳。(本名は大野穣=みのる)
昭和29年、函館西高校を出て、歌手を目指して上京。
東京声専音楽学校に入学。昭和30年から渋谷で流し。3曲で100円だったそうだ。
住まいは新宿大久保の下宿で3畳間。のちにそこのアパートの大家さんの娘さんと結婚することになる。

「渋谷に流しの上手いのがいる」と評判になり、昭和35年秋、コロンビアレコードの林部長と会い、作曲家の船村徹に預けられた。
昭和37年6月「北島三郎」と名のり、「ブンガチャ節」でデビュー。9月に「なみだ船」がヒットして、レコード大賞新人賞を獲得した。

昭和38年9月にクラウンレコードに移籍して、昭和39年「函館の女(ひと)」が大ヒット。
ここで「函館の女」の逸話を記そう。

「函館の女」はもともと作詩者星野哲郎が「東京の女」を作詞しており、それに作曲者島津伸男が曲を付けた。
しかし、曲の流れからどうしても詞が一行分足りない。

しかも北海道から東京へではなくて、逆に東京から函館へにしたらどうか、という話になり「函館の女」へと詞を変えることにした。

そこで作詩者星野哲郎を呼び、「何とかして欲しい」と頼み混んだ。
星野哲郎はちょうど、小水に行きたくなりトイレに駆け込んだ。
そこで出来た詞が「とても我慢が出来なかったよ」であり、嘘のような本当の話である。

もう一つ、作曲のペンネームは原譲二。「腹が丈夫だった」から名づけたそうだ。

昭和41年に中野に自宅を建て、昭和47年には八王子に豪邸を2億円かけて建てている。
三郎にかけて36部屋あり、すごいね。

昭和46年7月「北島三郎公演」を新宿コマ劇場で行い、以後3月と6月に新宿コマと梅田コマで公演を行うようになった。

私が尺八伴奏を務めたのは、昭和47年1月に浅草国際劇場で「艶歌のすべて 北島三郎ショウ」の10日間だった。

初日は泊まり込みで朝5時起床で芝居のリハーサル。いきなり10時開演とハードだった。
平日は2ステージ、土日曜は3ステージで忙しく、それでも絶頂期の北島三郎の会場はいつも満席の熱気だった。

この浅草国際劇場は中学3年生の修学旅行で、SKDの「東京踊り」ラインダンスを見学したところだ。
我々は3階席のはるか遠い所から、胸をときめかして華やかな舞台を見つめた。きれいな女性が見事な足をそろえて上げるのを見て、恥ずかしさを覚えた。

終演後、担任の先生は1階席で見たそうで、大変うらやましかった。

あれから8年後、私が浅草国際劇場の舞台に立つとは、夢にも思わなかった。
感慨ひとしおである。私は23歳で、北島三郎も35歳と若かった。
しかし、演奏は若さと怖いもの知らずで、上がるような感じではなく、聞いてくれという感じで、堂々と演奏出来た。

北島三郎も浅草国際劇場での公演時の初舞台は、感激したそうだ。

前座は瀬川瑛子の「長崎の夜はむらさき」。その後、私も名前を忘れそうになったが「命くれない」で大ヒット。びっくりしたものだ。

専属司会者は及川洋で実に上手く、名人気質であったと北島三郎も褒めている。
芝居は「沓掛時次郎」でイントロの司会は「信濃路を流れてみせるは白い雲〜」低音で抑揚があり、ぐっと感じるものがあった。

前日に北島三郎、オーケストラ、尺八の音合わせがあり、そこで初めて北島三郎専用の五線譜を渡された。初見で演奏するのである。
「さぶちゃん」は気さくで、最初の「仁義」は舞台の袖から出て来て欲しいと言われたが、畏れ多く丁重にお断りした。

芝居の「沓掛時次郎」の劇中歌の「信州鴉」で演奏するには2尺1寸管が必要であり、私は持っていないので、青木鈴慕先生に出演の許可を取ると同時に2尺1寸管をお借りした。今では考えられないが、気さくに貸していただいた。

この時は慌てて浅草から青木先生のご自宅の新大久保まで行って、尺八をお借りしてすぐに浅草国際劇場に戻った。

尺八の楽屋は特に無く、「大江戸助六太鼓」のメンバー3人と同じ出入口の守衛部屋だった。
尺八の音出しをするもんだから守衛さんは、さぞうるさかった事だろう。

各自夕食後、時間を持て余した太鼓のメンバーが私に麻雀をやろうと言い出し、雀荘に向かった。
大学の寮で少しはやった事があるが、案の定コテンパンにやられた。

この時のゲストは「由利徹」と「佐山俊二」で、劇中の寸劇が面白かった。寝ている由利徹のガマ口を佐山俊二が抜き取ろうとしたが、ゴムひもが付いていて取れない。そこで、佐山俊二がパチンコみたいに手を放すと、股間に当たるという仕掛けで、何回見ても笑った。

何年かしてテレビで同じ物を見たし、私が札幌に旅行に行った時、バスで偶然一緒になり、ある劇場に二人の看板が掲示されていた。

残念ながら私が伴奏した時の思い出は自叙伝に書かれていなかったが、その時の指揮者は演奏しづらかった。何しろ指揮棒が上から来るのでは無く、下から来るので合せるのに面食らった。

開演時に先ず演奏した曲は「仁義」だった。この時はエプロンステージなる舞台の前にせり出したオーケストラボックス内で演奏した。
未だ暗転の中、開演のベルが鳴り終わるのを見計らって、イントロからしばらくは尺八のソロで途中からオーケストラが入ってくる。古典本曲風に演奏出来て、気持ちが良かった。

オーケストラボックスの中から舞台はすぐ左上に見えた。やがて「さぶちゃん」が登場。
それは仕立ての良い白地の紋付に、緑色の袴でバッチリと決まっていた。

「お控えなすって!手前 生国と発するところ関東です」とイントロで仁義を切り、「天に一つの陽(ひ)があるように〜」と歌い出す。私は今でも時々カラオケ店に行って、「仁義」を演奏している。

続いて第二部は芝居の「沓掛時次郎」で劇中歌「信州鴉」もボックスで演奏。

第三部は舞台に上がって「盃」「誠」を演奏。着物は紋付袴である。正面のスポットライトがやけにまぶしかった事が思い出される。

この時以後「仁義」は私の十八番になる。

何と言っても青木先生が気に入ってくれて、鈴慕会の新年会や、日本三曲協会の新年会、さらに現青木鈴慕がヒルトンホテルでの結婚式で、私に「仁義を演奏してくれ」と名誉なことにご指名を受けた。

出席された尺八界、筝曲界の錚々たる大御所達の前での演奏には緊張した。

その後私は会社勤めになり、グループ慰安会で「北島三郎ショー」を見に行ったことがある。
もうその時のバックバンドは「鈴木操とジャズキングス・オーケストラ」となっており、バンマスの鈴木操は尺八まで演奏して、たまげた。
彼は東京芸大出でサックス、フルート、尺八と何でもござれだった。

浅草国際劇場を調べてみたら松竹が経営して会場は3860席。SKDとは松竹歌劇団だった。
1982(昭和57)年に閉鎖して、その3年後の1985(昭和60)年に浅草ビューホテルとなった。

目の前の広い通りはその名残で、浅草「国際通り」と名付けられている。
私は夏に行われる浅草サンバカーニバル見学の折り、45年振りに現地に行って高層ビルとなったホテルを見たが、これ又、感慨ひとしおであった。
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2019/1/22

「この道」の映画  映画

1月19日(土)に映画「この道」を見た。
「この道」と言ったら北原白秋作詞、山田耕筰作曲で有名な童謡である。
ウキペディアには「童謡」とあるが、素人が歌うには難しく歌曲的だ。

〽1 この道は いつか来た道
    ああ そうだよ アカシアの花が咲いてる

2番には、白い時計台だよ 3番には、お母様と馬車で行ったよ と歌われる。

1、2番で場所は札幌らしく、3,4番は故郷柳川らしいが、映画の中では白秋本人がそれぞれ思い浮かべる場所で良い、と言っている。

私は映画に先行して八王子のカラオケ館(歌舞伎町のカラオケ館でなくて良かった)で「この道」を歌ってみたが、上手く拍子に乗れなかった。

帰って調べたら拍子が目まぐるしく変わるのだ。四分の三拍子で始まり、四分の二拍子、四分の三拍子を交互に繰り返すようになっている。

北原白秋(隆吉)は詩人、童謡作家、歌人、であり新民謡や軍歌までも作詞した。
1885(明治18)年〜1942(昭和17)年、熊本県南関町に生まれ、まもなく柳川市に移った。

白秋は俳句の季語である。私も「北原」である縁から、昔川柳でもひねろうと「北原白春(はくしゅん)」を勝手に名乗った事がある。そう「はくしょん」でも良かった。

そんな縁で、私は若い頃(30代)の春、九州一人旅で柳川市を訪ね、「北原白秋記念館」も見学した。彼の生家(商家で主に酒造業)の裏庭に隣接して建てられていた。

柳川市は水郷の街で、船には乗らなかったが川べりを歩いた。しかし冷たい雨が降っておりちょうど昼飯時で、近くに見つけた「ウナギ屋」さんで、うな重を食べたが、実に上手かった。

白秋は上京して、早稲田大学英文科に入学。
次々に詩を発表して話題になり、人気が出た。一方で女たらしで、不倫の上姦通罪で逮捕されてしまう。
それでも懲りずにその相手「俊子」と結婚。だが離婚、再婚を繰り返して3度目の結婚までもした。

しかし、「歌心」があるので、子供と遊ぶのが好きだったり、小鳥も良く観察して「詩」にした。
かなりの自信家で、もう「詩」そのものが「歌」だから「曲」はいらないと豪語する。
そこに近づいて来たのが「山田耕筰」である。

時にはケンカ沙汰になったりしたが、山田耕筰が作曲した「この道」や「からたちの花」の曲は絶賛された。

映画では北原白秋は大森南朋が演じ、山田耕筰はEXILE のAKIRAが演じた。
大森は白秋の感じがしっかり出でいたし、AKIRAも好演だった。

劇中、北原白秋没後10周年演奏会で「この道」を山田耕筰が指揮をして、小学生らが体育館のステージに上り、オーケストラで合唱するシーンがあった。
音楽は後で入れたもので、画面と合わず、指揮と曲がずれたのが気になった。

北原白秋の作品には、雨ふり、砂山、からたちの花、この道、ペチカ、あわて床屋、待ちぼうけ、城ケ島の雨、ちゃっきり節、愛国行進曲(補作)や校歌、応援歌など多数ある。

やはり劇中に「からたちの花」を安田祥子、由紀さおり姉妹がNHKラジオのスタジオで歌うシーンがあったけれど、もっと童謡を演奏会形式で聞きたかった。

与謝野鉄幹役の松重豊、与謝野晶子役の羽田美智子や鈴木三重吉役の柳沢慎吾など、役者はそろっていた。

エンディングはEXILEのATHUSIがせつなく「この道」を歌っていた。
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2018/11/30

北原亭日乗  日記

タイトルの「北原亭日乗」とは、まあ「北原の日記」である。

先日来、樹木希林らの映画を3本見た。樹木希林のは「万引き家族」と「日日是好日」で、その淡々と演じているものの存在感が凄い。演技をしているような感じを見せず、自然体である。これぞ名優である。

尺八もこのような演奏をしたい。箏、三絃の伴奏をぴったりとしているようで、時に主役を演ずるような存在感のある演奏である。

11月26日に見た、もう一つの映画「スマホを落としただけなのに」は北川景子主演の、なんとも恐ろしい事件が起きるのである。内容は想像がつくだろう。
映画の最終場面ではプラネタリウムを見ていた高校生のカップルが、終わって席を立ちあがり彼氏がスマホを落として退場してしまうオチまでついて、笑ってしまう。皆さんも気を付けたまえ。

北川景子は某週刊誌のアンケートによると美人女優ナンバーワンであり、本当に美人である。彼女は大学の後輩であり、親近感もあるので、私は北川景子が「DSK」※1だ。
吉永小百合が未だベストテンに入るようだから、サユリストとしては嬉しい。

さて、今年も師走の声が聞こえてきた。剪定の時季である。
我が家の金木犀のいい香りの終わりを告げた頃、八王子市のシルバー人材センターにお願いして樹木の剪定をしていただいた。(11月29日)

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職人さんはKさんで何回もしていただいているので、心得たものである。
左側は「貝塚イブキ」で右側2本が「金木犀」である。
今年は特に思い切って透いてくれたものである。

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私が用意した45gのビニール袋は8袋にもなった。
面白いことに金木犀の右側のてっぺん近くに、「メジロ」の巣があったのだ。

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拡大してみよう。鳥の巣があるとは少しも知らなかった。上手く作るものである。
時折、庭にはヒヨドリ、ムクドリ、すずめ、鳩などは確認してしていたが、メジロは確認できなかった。

そう言えば以前のブログに書いたが、私が尺八で宮城道雄作曲「小鳥の歌」を練習していた時に外でピーチク呼応していたし、家内が「虫の武蔵野」を練習していた時も、窓の外の縁台にヒヨドリの子供が、きょとんとしていた事があった。
家内の演奏がおかしかったのか、時々首をかしげるのが可愛い。

その子供は未だ余り上手く飛べず、家内がエサを上げようと近づいたら、あたふたとヘタな舞いで近くの小屋のアルミサッシのレールの上に飛んで行った。

※1 「DSK」とは「DAIGO」風に言う「大好き」の事である。
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2018/10/6

青木鈴翁先生の告別式  音楽

8月21日、私の尺八の師である青木鈴翁先生{1935(昭和10)年10月〜2018(平成30)年8月}が肺炎で亡くなられた。82歳。

青木鈴翁先生は二代青木鈴慕であり、琴古流尺八の人間国宝であった。

今年5月に息子さんの彰二氏が三代青木鈴慕を襲名したのに伴い、鈴翁(以下青木先生)と名乗った。

青木先生の告別式が10月3日に青山葬儀場で行われ、午後1時開始の連絡を受けたが、早めにと12時前に到着した。

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式場は「乃木坂」駅から歩いてすぐだった。

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鈴慕会の方々が受付などを担当しているので、懐かしい面々ばかりである。
式場に入ると、青木先生の遺影が大きく飾られ、先生の演奏である、素晴らしい「奥州薩慈」「鹿の遠音」が聞こえて来た。私も購入したレコードを流しているようだった。

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葬儀委員長は筝曲の人間国宝である富山清琴師がつとめ、弔辞をやはり筝曲の人間国宝の米川文子師と、鈴慕会代表の竹内鈴白氏がつとめた。

献笛として鈴慕会のメンバーが「三谷菅垣」を演奏。正面向かって左側が1尺8寸管で、僧侶の裏側が三代青木鈴慕である。

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右側は2尺管である。
マイクの音量が大き過ぎたのは残念に思った。むしろマイクが無くても良く聞こえた。

式場内は満員で、場外にも並んでいたので300人位は出席したのではないだろうか。
最後は全員によるご焼香で、7人ずつ並んで出来た。

私は尺八界、筝曲界にご無沙汰していたので、知人や先生方などを見つけると懐かしさで胸がいっぱいとなった。

式場を後にした時に、大橋鯛山など5人の知り合いがいたので、式場前の「デニーズ」でコーヒーでもと乗り込んだ。
あまりの久しぶりで話が尽きず、一杯だけのコーヒーで1時間30分も粘ってしまった。

先生の思い出は尽きない。今日こうして尺八を吹いていられるのも、先生のお蔭である。

高校時代はブラバンだった。大学合格と同時に三曲研究部に入って尺八を習った。その時の先生が二代青木鈴慕師であった。

2年生の時だった。M大の「お茶の水」にある学生会館での合同練習で、一人づつ「千鳥の曲」を演奏した時、先生に「いいね」と言われ、すぐに「直接習いたいんですが、よろしいですか?」と言い、門下生になった。

この項続く。
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2018/6/25

若手の台頭  音楽

先日(5/30)日本テレビの深夜放送(23:59〜)で「ナカイの窓×楽器の世界」の番組があった。
私は寝ている時間なので録画して、後日見た。

これに若手女流尺八奏者の辻本好美が出演していた。今や尺八界の売れっ子ナンバーワンであろう。

彼女は16歳で尺八を手にして、東京芸大の邦楽科の尺八専攻へ入学。現在は30歳の尺八プロ演奏家である。

美人で上手いとくればメディアに引く手あまたで、海外公演が53回だと言う。
NHKの「正月番組」ではモモクロと共演したり、つい先日のNHKうたコンに出て、福田こうへいの「天竜流し」の尺八伴奏を務め、しかもオーケストラの前でスタンドプレーで、いずれも和服の長い振り袖で演奏していたから、目立つ。

「天竜」と聞けば「天竜川」の事だし、私の地元の飯田市は天竜下りで有名である。
天竜にゆかりのある私に、出演の依頼があったら喜んでお受けするのになぁ、と夢を見た。

「ナカイの窓」では、尺八の紹介で琴古流尺八本曲の「鹿の遠音」の冒頭部分を演奏したり、殺陣の時の効果音としてよく使われる尺八の「ムラ息」で中居達をびっくりさせ、「六段の調べ」の楽譜を見せれば「まるでお経のようだね」と陣内智則・新妻聖子ら。

さらにレディー・ガガの曲「BORN THIS WAY」を独奏して、びっくりさせた。「歌うように演奏している」と評判が良かった。

楽器の値段にも答え、六寸管、八寸管、二尺管も披露していた。

さらにその後はピアノの牛田智大やバイオリン、ギター、パーカッションとコラボレーションをして、絶賛だった。

私は東京新聞だが、番組の投書欄に「ナカイの窓は、とても素晴らしい演奏で良かった」と載っていたから、深夜でも見ている人がいるもんんだなと思った。

芸大と言えば6月20日(水)テレビ朝日の「あいつ今なにしてる?」の番組に芸大の邦楽科の尺八専攻を卒業した人が出演していた。

フリーアナウンサーの馬場典子の友人である、市川佐保子さんだ。
有名女子学院の同級生で、中学3年で尺八を習い、芸大に進学したらしい、とその後が知りたかったそうだ。

市川さんは尺八の才能に見切りをつけ、アメリカ・ニューヨーク州のコーネル大学で日本語の先生をしていた。たまには尺八も演奏してくれるといいな。

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これは5月19日の演奏会のチラシである。場所は調布のグリーンホール小だった。
調布駅近くの「大西楽器店」に楽譜を買いに行った時に頂いたので、興味を持って行って来た。

タイトルは「竹と風の音を楽しむ会」で、サブタイトルが「竹で楽しむ唱歌・演歌・民謡・JAZZ」であった。無料だから損は無い。

平成尺八塾(門傳良男)の主催となっており、18人くらいの出演者がいた。
中学生らしい女性が二人いて、ほとんど出ずっぱりで演奏していた。

曲目は「見上げてごらん夜の星を」で始まり,「聖者の行進」「与作」「星影のワルツ」「竹田の子守唄」「Danny Boy」等だった。

その後は若手の風間禅寿(ぜんじ)が自作の曲をピアノと合奏した。
彼は藤原道山の門下で東京芸大出の尺八演奏家である。

流石に道山ゆずりのテクニックで上手かった。

我が門下にも若手がおり、23歳のE君、33歳のF君がいる。
日増しに上手くなって行くのが嬉しい。

断捨離をしていたところ、かつて私がインタビューされた雑誌が出て来た。
「ビクター6・7」と表紙にあるから、二か月毎に発刊する雑誌であろう。
その中に「ヤング第一線 音に生きる若者たち」のページがあり、音にくわしいヤングの中から4人にインタビューとあり、私が最初に出ていた。

実は自由が丘のとある喫茶店でインタビューを受けたのだが、写真撮影はトイレの中というさえないバックだった。当時は若干25歳の若さであった。

内容は「尺八を握って8年。正座での精神統一のせいか、そこはかとなく落ち着きがある。」

「首振り3年をマスターし、間の取り方や表現力の養成に心を奪われている」「3人の弟子を持つ先生でもある」「サラリーマンとして勤めているが、尺八で身についた根性で辛い仕事を苦も無くやりとげる」

最後の「大学では法学を勉強したが、方角違いで邦楽の世界に魅せられたヤングといえよう」は、実は私のダジャレで言った言葉であった。
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