北原鈴淳尺八教室in八王子  音楽

  
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  指導者  鈴慕会 大師範

            
            北 原 鈴 淳







音楽歴  
長野県飯田市立追手町小学校5〜6年で器楽班に入り、小太鼓を担当。

東中学校2年から飯田高校の吹奏楽班でユーホニュームを担当(5年間)

大学の三曲研究部で琴古流尺八を始め、故二代青木鈴慕・人間国宝(2018年8月21日死去)に師事
      
1972(昭和47)年1月 浅草国際劇場の「艶歌のすべて 北島三郎ショウ」 で10日間「仁義」「盃」「誠」を尺八伴奏
      
1976(昭和51)年 渋谷東邦生命ホールで尺八リサイタル
曲目「みだれ」「一定」「箏四重奏曲」「詩曲」「鹿の遠音」「千代の鶯」

1991(平成3)年3月 NHKFM放送「邦楽のひととき」
に「明治松竹梅」出演
さらに1991(平成3)年7月「泉」、1992(平成4)年「末の契り」、1992(平成4)年6月「泉」再放送、など出演

      
2007(平成19)年 北原尺八教室をめじろ台に開設

2021(令和3)年、芸歴(芸道・竹道)55年を迎えた

稽古場 東京都八王子市めじろ台2丁目
      (京王線めじろ台駅徒歩6分)
     
      電話 042−668−1278
(お問い合わせは午前8時〜午後8時まで)

稽古日 日曜日・月曜日・火曜日・木曜日(午前10時から午後5時までの予約制)        
    ご希望により他も可能な日(午前中など)があり、ご連絡下さい。
月謝   
月2回、5000円 (1回約50分間)
月3回、7000円 (1回約50分間)
月4回、8500円 (1回約50分間)
ワンレッスン、3000円 (約1時間)

その他、ご希望により特別ワンレッスン2時間を設けます。(5000円)

入門料 3000円(ホームぺージご覧の方は半額の1500円)
      入門者には自費出版のCD1枚差し上げます。

初心者から対面式で一人一人指導します。まずは基本の音出しから。
 古曲を中心に宮城曲、現代邦楽、歌謡曲までご希望にも応じます。

琴古流本曲 三谷菅垣・雲井獅子・虚空鈴慕・鹿の遠音 など

地唄筝曲  黒髪・千鳥の曲・笹の露・残月・八重衣 など

宮城曲   春の夜・春の海・初鶯・泉・虫の武蔵野 など

現代邦楽  風動・詩曲・一定・萌春・出雲路・箏四重奏曲 など

その他ご希望により 童謡・唱歌・歌謡曲(著作権法に触れない曲)など

体験レッスン 500円(約60分) ご予約ください

初めての方には、安価な樹脂製の尺八「悠」(¥16500税込み=本年1月価格改定)を取り寄せます。竹製欲しい方は、別途ご紹介します。
取りあえず、貸し出し用のプラ管あります。

練習の状況により箏や三絃と時々合奏練習をして、年に一度は稽古場でおさらい会をします。

1976年北原康夫尺八リサイタルより、
杵屋正邦作曲・尺八独奏曲「一定」(いちじょう)が聞けます。
長澤勝俊作曲
「独奏尺八のため詩曲」
上記、青色線をクリックしてください。

金曜日・土曜日は箏・三絃教室も開いています。
こちらのホームページをご覧ください。
http://ivory.ap.teacup.com/koto8/


近況と雑感(5/17) 

美しい五月だ。庭のジャーマンアイリスが満開である。昨年、まとめて移植したのが奏功して立派に咲いてくれた。

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こちらはコデマリ。

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可憐な花だ。

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11日、ついに枝豆の種を蒔いた。いつもの通り、鳥よけにペットボトルをかぶせた。
枝豆は気温20度以上で発芽し、約80日で収穫出来る。それで又一杯だ。

高尾山登頂
昨夜来の雨が上がり、10日高尾山に登った。今年初登頂である。

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ずっと花粉情報を見ており、収まってからと決めたら、この日となった。
往復リフトであるが、新緑に囲まれ清浄な空気を思う存分吸って来た。

GWを避けたこの日は小学生の遠足もあったが、それ程は混んでいなかった。
山頂ではお決まりの標識で写真を撮った。もうすっかり剥げて来た。
太陽がまぶしく、画面が良く見えないので下手な写真となったが、よりによってトリミングが出来ないので、そのままアップする。

運動不足、体力不足で「ヒイコラ」言いながら、やっとの思いで山頂だった。

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雨で空気がきれいになり、太陽が出たのでまさかの綺麗な富士山だった。
11時過ぎ、山頂でおむすびを食べ始めたら、小学生が大勢来たので、あわてて食べ終わって下山した。

高尾駅近くの行きつけの飲食店で、生ビールセット。
いつもいた接客のおじさんがいないので聞いてみたら、昨年8月に80歳で辞めたと言う。毎回「どこのコースで登ったの?」と会話が弾んでいたのに残念である。

高尾山頂上にいる頃、元会社の夜の上司からご機嫌伺のメールと着電が来ていて、下山後電話した。皆さんやはりコロナが心配である。

先日、テレビで「ローマの休日」を途中まで見たので、途中から自宅にあるDVDで続きを見た。オードリー・ヘプバーン主演で可愛い事。やはり何回見てもいい映画だ。

お知らせ

このブログは運営会社の都合により、今年の7月末にて終了いたします。

4月7日、私のブログをblog.goo に引っ越しました。(しばらくは両方とも見られます)
新しいブログはblog.goo.ne.jp/reijun-kitayasuまたは左側のリンク集から見られます。
デザインが変わりましたので、興味をもって御覧ください。


門下生へ
稽古を再開しています。
ご希望の方はご連絡ください。


毎週月曜日のNHKFM午前11時20分に「邦楽のひととき」があります。聞いてみてください。

又、土曜日のNHKFM午前11時より「邦楽百番」があり、一流演奏家を中心とした演奏が聴けます。

さらに毎週土曜日にテレビ朝日で「題名のない音楽会」があり、時々邦楽器が出演しています。




2022年ブドウの育成  趣味

2022年のブドウの成長振りを見てみようと思う。

見こちらはブドウ(スチューベン)である。4月17日現在。

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私が引き継いで14年になる。この時期は剪定を終え又、芽吹いてくれた。
私が剪定をしている時、家人に「剪定のし過ぎじゃあないの」と言われた。

私が14年間も間違くなく剪定をして、上手に育てているのに文句を言われる筋合いはない。


楽譜を読む  音楽

舩川利夫作曲「出雲路」の合奏練習をした。

尺八、箏演奏者で作曲家の舩川利夫は1931年〜2008年、77歳で亡くなった。
島根県安来市出身。16歳で尺八を習い、24歳で上京して箏を古川太郎に習う。
1956年、東京新聞主催の作曲コンクール1位を受賞して、その後も数多くの作品を残した。

舩川先生には生前、浅草国際劇場の「北島三郎ショウ」の尺八伴奏出演でご紹介いただき、お世話になった。私が23歳の時であった。

その時は共演した郡川直樹とお礼にと、千葉県のご自宅に伺ったこともある。

又、私の尺八リサイタルで先生の「箏四重奏曲」を演奏した時に、一か所分からないところがあり、お電話でお聞きしたことがあった。(27歳)

話が前後するが、「舩川利夫作品発表会」にも賛助出演を依頼された。25歳頃だったと思う。
2本の尺八と群の為の合奏組曲「覚」(さとる)で独奏が「山本邦山」と「横山勝也」。あとは尺八4群だった。

私は第1尺八を演奏。非常に難しい曲で、拍子が複雑だった事を覚えている。

1960(昭和35)年作曲「出雲路」の曲に触発されて、2017年11月に出雲旅行に出かけた。
曲は「清水寺の暮色」「祭」「宍道湖の夕映え」となっており、宍道湖の夕映えを見たかったからだ。

「祭」には「安来節」のメロディーが尺八で演奏される。

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出雲旅行の初日は玉造温泉に宿泊したが、夜8時30分から近くの会館で「どじょうすくいショー」の実演が見られると言われたので見に行った。歌は「安来節」だ。

左後ろの小鼓を打っている人が師匠で「どじょうすくい」も演技した。

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この師匠の前にお客さんでやりたい人を募集をして、何人かおばさんが出ていた。
家内が私にも「出れば」と言ったが、遠慮した。

翌日は出雲大社を見て、宍道湖をバスで通りかかった。確かに夕方だったが、残念ながらカメラには写せなかった。

しかし鮮明にその風景が残像として頭に残っているので、演奏にも生きると思う。

今回の合奏練習に付き、CDやYouTubeを見たり聞いたりしているが、完全に合わすのは難しい。

私の楽譜は尺八だけの五線譜を使用している。(ところが自宅を探したら都山流の楽譜が出て来た)
そこでスコアが欲しくなり、関係者に当たってみた。

その結果、舩川先生宅に直接お電話して、スコアを入手した。
そこで分析を始めたのだ。

スコアは公刊されておらず、先生は望んでいなかったらしい。
清書されていないので、先生の自筆で癖があって見づらく、楽譜を修正しているところである。

こうして箏や十七絃のメロディーが分かり、合わせ易くなった。
邦楽演奏は指揮者がいないので、阿吽の呼吸で合わせる。ところが舩川作品はそれぞれのメロディーが単純ではないので、合奏が難しいのである。

合奏練習は約2時間かかった。過去の練習よりも今回は箏の楽譜を分析して、CDも聞き、タイミングを計った為、幾分上手くいったと思う。

タイトルに掲げたように「楽譜を読む」は大事だ。
ピアノも同じで、今回のショパン国際コンクールで第2位になった反田恭平らもそうである。

図書館で雑誌「ショパン」を見た。先のコンクールの上位出場者全員のインタビューが載っていた。

作曲者に寄り添い、楽譜を分析し曲を作り上げる。
反田氏はショパンの生まれ故郷のワルシャワまで行ってピアノを習っている訳だ。大変な努力家だ。

舩川作品には「尺八三重奏曲」や「飾画」もある。

「飾画」は尺八3本に箏と十七絃の五重奏曲だ。
この曲も大学2年時の学生連盟の演奏会で第1尺八を演奏する予定で練習していたが、私の祖父が亡くなり演奏会には出られなかった残念な思いがある。

「尺八三重奏曲」は、やはり大学の4年時に部内の3人で演奏をした。
演奏会には横山勝也先生も来られ、アンケートのところに大学名が「浮世大学」と書かれていたのが懐かしい。

舩川先生の話を思い出す。
私が学生当時の尺八作品は杵屋正邦作曲の尺八三重奏曲「風動」「第二風動」や独奏曲「流露」「吟游」「一定」などが流行り、盛んに演奏されていた。

それで舩川先生は「正邦さんの曲ばかり演奏して、何故俺の曲を演奏してくれないのかなあ」と言っていた。

正邦作品はメロディーがきれいでよくハモり、概ね明るい曲調。リズムも軽快だ。だから演奏しやすい。

「第三風動」を初演の為、青木先生に頼まれ練習で山本邦山宅に行った時、山本邦山先生は「正調杵屋節だね」と言っていた。

一方、舩川作品は複雑なメロディー、拍子、暗い感じで合奏も難しい。楽しく明るいメロディーもあるが、やがて後半になると暗くなってしまう曲もある。

やはり生まれ育った故郷の影響を受けているのかなと思う。

飯田お練り祭り  芸能

3月25日から27日まで、3日間飯田お練り祭りがあった。
6年に一回のお祭りは、飯田では最大のお祭りである。

6年前に行ったのだが、今回は「コロナ禍」の為、行くのを止めた。
紹介の為に6年前の写真を載せよう。

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東野大獅子は約400年の伝統を誇る。
東野(ひがしの)は、私が通った東中学の地区である。

宇天王を前に獅子頭は約30キロで最大級という。屋台は車付きで幌を入れると長さ25メートル。高さ3.2メートル。
獅子頭は重たいので数十秒毎に交代で20人編成。それが4班に分かれている。

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幌の中には6孔の横笛で15人が4班に分かれ、大太鼓、小太鼓も入り、宇天王は12人が交代する。
眠っている獅子を囃子に合わせて、宇天王が手綱を引いて起こす。

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舞いには「まだかの舞」「大門口の舞」「道中起こしの舞」「道中ばやし」がある。
猛り狂うと50メートル位一気に走る。右や左にも舞うので、座布団を持ったスタッフがよける。迫力満点である。

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小さい頃見た宇天王は怖くて仕方なかったが、後年見るのが病みつきになった。

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この大獅子を一人が両手で持っているのが分かる。この頭をくねくね回すのである。

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ひと通りの演技が終わると、ご所望のあった人の前で再び舞う。

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こちらは大名行列で本町3丁目の出し物である。明治5年に始まる。
先頭は「化粧傘」、続いて「先箱」、「槍」と続く。

先ず行列では「エーハリワサートーナー」「エーヨヤサートーナー」と言いながら進んでいく。

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ただ歩くだけではなく、2人だけの所作がある。腰をかがめての演技だから大変だ。

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「槍」は「白車熊」「富士形」「大車熊」がある。

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槍は3人で2本の槍を投げ合う。道路の両端に分かれているので結構大変だ。受け取った人はクルクル回す。

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私が小さい頃は人数が多かったので50歳で定年だと聞いたが、今は本町の住民が少なくなり、熱意ある市民も参加しているようだ。そんな中に高校同期のK君を見つけた。もう毎回出ている。

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「蓬莱大鳥毛」は重量25キロ。重いので持ち上げる方は「ウーン ヨイショ!」と気合が入る。後ろには新装なった市役所が見える。

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「草履」と「傘」が2人1組で所作を行う。
「草履」は空高く投げ上げて、時にはわざと屋根まで放り投げた人もいて、笑いを取った。何回もやっていると指が痛そうだ。皆、指をテーピングしている。

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「傘」の演技は仮に落としても、足で転がせて拾う。
背中に交互に担ぐ演技では、観客が「ヨ ヨ ヨ」と掛け声を出す。

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子供たちの「鉄砲隊」である。
前にも書いたが、本町3丁目は私の実家で、中学生になる春休みに私も妹と参加した。

今年は分からないが、3月の飯田は寒い。雪がちらついた時もあったし、雨にも降られた。

お練り祭りがあると、いつも悲しい思い出が忘れられない。昼のお弁当事件である。

連絡ミスにより、我が家に「休憩場所に弁当を届けて置いて」が伝わってなかったのである。なかなか呼ばれないので2人で泣いて待っていたのだった。

画家の原田泰治が死去  文化・芸術

3月2日、画家の原田泰治が悪性リンパ腫で亡くなったと新聞に記載された。81歳だった。
原田泰治については以前ブログに書いたが、少し書いてみよう。

下の写真は諏訪の「原田泰治美術館」を4年前に訪れた時のものである。

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「原田泰治美術館」を訪れたのは3回目である。父の米寿のお祝いを諏訪のホテルで行った時と、私の家族と来たことがあった。

この時の企画は「美しい日本の童謡・唱歌展」であった。

実はこの原画展は期せずして以前、東京大丸ミュージアムで、展覧会とサイン会があると新聞で見て出かけた時と同じものだった。

大丸では少し並んで画集を購入して「夢 原田泰治」とサインをしていただき、握手する写真を撮っていただいた。(額に入れて大事にしていた写真である)

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この写真を撮ってくれたのが、高校同級のK君であり、彼は原田泰治の展覧会の企画者であった。

K君は「長野冬季オリンピック」の時に、南信州の下條村の中学校体育館で「エール」を送る会があり、その時に私を呼んでくれて尺八の演奏をしたが、それは「峰竜太と原田泰治の対談」の前座で行ったのだ。又、私のいとこの嫁ぎ先とも原田泰治と縁があり、そんな話をしたところ、「それはそれは」とわざわざ眼鏡を取って撮影に臨んでくれたのだった。


4年前に訪ねた時にはK君が「原田泰治美術館」の館長だと聞いて、びっくりしてしまった。

今回、彼に電話したところ「2年前に辞めたから元館長にしておいてくれ」と言われた。

原田泰治の絵は朝日新聞の日曜版を見て知ったが、日本の原風景を子供目線で細かいところまで良く書かれていた。

絵は切手にもなり、シートで購入して親類などの手紙に貼った。

宮城道雄が歌謡曲に  音楽

2月22日のNHK「うたコン」で氷川きよしが新曲「群青の弦(いと)」を歌った。
この曲は筝曲家、宮城道雄を題材とした歌謡曲である。

歌詞には「美しく織りなす箏の音に」とか、稽古の様子の 「千遍(べん)弾きの荒修行」、最後には「月に謳うは春の海」と出て来る。「春の海」はまさに名曲である。

まさか宮城道雄が歌謡曲で題材になるとは思わなかった。
氷川きよしは今年いっぱいで活動を休止すると発表があった。
この曲がヒットして箏の演奏者が増えるといい。

「春の海」は我々は中学の音楽鑑賞曲だったが、娘たちは小学6年生だった。
本来は箏・尺八の二重奏曲である。しかし尺八に代えて、バイオリンやフルートでも演奏された。

我々が聞いたのは箏奏者は宮城道雄本人で、共演者は先ずバイオリンはルネ・シュメーであり、フルートは吉田雅夫、尺八は吉田晴風を聴き比べたと思う。

この時に私は将来、尺八で「春の海」を演奏したいと思ったのだった。

大学に入り、尺八を手にして青木鈴慕師について習い始めた。
多分、大学2年時に「春の海」を習ったと思う。この時はうれしかった。

先生宅は当時、新大久保駅で降りた「柏木」にあった。今の住居表示は北新宿であろう。

先生は人気で、夕方多い時は10人以上が稽古を待っていた。
1人10分としても1時間半以上待つのである。サラリーマンも来るので「学生は3時から早めに来なさい」と言われた。

二間をぶち抜いていたが、余りにも門下生が多く、ついに私が3年時だったか、代稽古として6畳くらいのタンス部屋でおじさんに「春の海」を教えたことがあった。

会社に入社して、友人や部下の結婚式には独奏で、親類などの結婚式などでは妻の箏との合奏で、何度演奏してきたか分からないほどだ。

尺八を手にしてから、如何に宮城道雄が凄いかが分かるようなってきた。
中学だけでは知りえなかった名曲がたくさんある。

好きな曲「春の海」は当然として、「春の夜」は素晴らしい。
NHK「邦楽のひととき」で演奏した箏・尺八二重奏曲「泉」も好きである。

その他「小鳥の歌」「春の訪れ」「比良」「花紅葉」「軒の雫」「和風楽」「遠砧」「高麗の春」「初鶯」「虫の武蔵野」「秋の調べ」「こおろぎ」「鈴虫」「三つの民謡調」「都踊」などを演奏して来た。

失敗した舞台もあり、様々な思いが頭をよぎる。

宮城道雄は編曲でも才能を発揮し、「尾上の松」の箏の手付けは秀逸である。
箏独奏曲の「手事」や箏と十七絃との「瀬音」なども好きである。

百貨店の終焉か  随想・日々是尺八

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ここは新宿西口の小田急百貨店である。今年9月末で営業をやめるという。

現在の本館は14階建てで1967年に開業し50年以上経った。
私が新宿に勤務の頃は地下食料品、文房具、催事、レストランなどを利用した。

跡地には地上48階、高さ260bの高層ビルが29年度に完成予定。新ビルに小田急百貨店が入店するかは未定だそうだ。

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こちらは小田急ハルクである。小田急百貨店の閉店の為、こちらに食料品を中心として移転するらしい。
もう地下街の小田急エースもかなり閉店や移転で、受け入れを準備している。

同じ頃に建設された近くの京王百貨店も同じような経過をたどるから、いつ建て替えをするか分からない。

一方、東急百貨店は2023年春以降、東急本店の解体作業に着手すると発表されていた。

跡地には東急電鉄、東急百貨店、LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)グループの3社によって開発を進める。

隣接するBunkamuraも大規模な改修工事をする。
東急百貨店はすでに渋谷駅前の東横店を2020年3月末に閉店している。

東急百貨店での思い出は尽きない。

私が結婚を決意した時に、東急本店8階のレストラン「コートダジュール」は私の両親と、家内の両親の顔合わせをしたところだった。

Bunkamuraの大ホールで横山勝也の尺八と、鶴田錦史の琵琶による「ノベンバーステップス」を家内と聞きに行ったこともあった。

作曲は武満徹で開場前にロビーで見かけ、私は家内に知ったかぶりで「あれが武満徹だ」と指をさしてしまったところ、武満氏が気が付き、お辞儀をしてくれた。

面識はなかった。今でも思い出すと可笑しい。

私が20代の頃は未だ東横百貨店だった。
渋谷駅の東横店には「東横ホール」なる大きなホールがあって、よく落語なども開催されていた。

ある時、青木鈴慕先生に推薦され、箏社中の賛助出演に呼ばれて、その東横ホールにて宮城道雄作曲「高麗の春」を演奏した事があった。

とにかく大きなホールだったので、演奏していても音が散って、迫力を全然感じ無かった事だけは覚えている。

八王子の駅ビルも「そごう」だったのが、今は「セレオ」である。
府中も伊勢丹が閉店して、専門店街になった。

今、百貨店の独自の営業は難しい。
元々テナントに貸して、食料品は「のれん街」やレストランなど他店に任せている。
社員が専門性を身につけるのも大変である。

今や「ユニクロ」「ビックカメラ」「無印良品」「ロフト」「ダイソー」だらけで、代わり映えがしなくなって来た。


あいつ今何してる  映画

先日、テレビ朝日で「あいつ今何してる」を見た。
それに触発されて、気になっていた元会社の「夜の上司」Kさんに電話をしてみた。

ある人の偲ぶ会で一緒に飲んだのが2005(平成17)年7月で、あれから17年経っていた。

Kさんとは在職中、居酒屋に行ったり、スナックでカラオケをした。
カラオケでは「音程が正しいな」と言ってくれて嬉しかった。

しかしあるスナックでマスターがカセットに録音してくれたのを聞いたら、下手で愕然とした。如何に歌手が上手いかを思い知った。

電話ではKさんは「覚えていてくれて嬉しい」と言い、共通の知人の消息を聞くことが出来た。

「あいつ今何してる」で思い出したのが「サウンド・オブ・ミュージック」のメンバーが今どうしているかなと思ったのである。

下の写真は、私所有のレコードとDVDである。レコードは随分前に買って、何度も聞いた。
DVDは何年か前に購入した。

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サウンド・オブ・ミュージックは1965年公開のミュージカル映画である。

内容はオーストリアの退役軍人のトラップ大佐が家庭教師としてマリアを迎え、やがて結婚してマリアは先妻の子供達7人に歌を教え育てていく。

この作品は第38回アカデミー賞の作品賞など5部門を受賞した。
しかし主演のジュリー・アンドリュースは前年の「メリーポピンズ」で主演女優賞を受賞したのだが、この作品はノミネートされたが受賞は逃した。

私はこの映画が好きで1に上げている。

劇中歌には「前奏曲、サウンド・オブ・ミュージック」「自信をもって」「もうすぐ17歳」「私のお気に入り」「すべての山に登れ」「ひとりぼっちの羊飼い」「ドレミの歌」「なにかいいこと」「エーデルワイス」「さよならごきげんよう」などがある。

夜中に目を覚ますと頭には「ドレミの歌」や「ひとりぼっちの羊飼い」「エーデルワイス」が出て来る。困ったものだ。

そこで気になったのが、あの人は今どうなったかだった。
YouTubeで調べてみたら、2020年に作成された動画が参考になった。

そこで、公開時の年齢から56年後として、現在の年齢を推測して掲載しよう。

マリア役のジュリー・アンドリュースは公開当時30歳ー現在86歳
トラップ大佐役のクリストファー・プラマーは36歳ー91歳没(2021年)
残念ながら昨年に亡くなった。

彼は晩年まで俳優として活躍しており、2014年公開の映画「トレビィの泉」も見た。
この映画はクリストファー・プラマーの妻役がシャリー・マクレーンであった。
シャリー・マクレーンは1960年公開の「アパートの鍵貸します」にジャック・レモンと共演した。エレベーター係で、ジャック・レモンが惚れる役で大変面白い映画だった。
あの美貌もすっかり忘れてしまう程に、おばあさんだった。

話を戻す。

修道院長役のペギー・ウッドは73歳ー86歳没
子供たちは役者名で長女のリーズルは22歳ー73歳没
フリードリッヒは15歳ー71歳
ルイーザは15歳ー68歳没
クルトは14歳ー70歳
ブリギッタは12歳ー68歳
マルタは8歳ー64歳
グレーテルは6歳ー62歳

長女リーズルの恋人役のロルフは21歳ー77歳
修道院のシスターたちは皆亡くなった。

いろいろ調べて行くと、マリア本人が出演している場面はどこか見たくなった。
DVDを見たところ最初の方の、ジュリーが修道院を出た建物の中庭に通行人として、確かにマリアとその娘2人が、左から右に歩いて行くのが見えた。遠くにほんのわずかだ。

ジュリー・アンドリュースは60歳ごろでも、綺麗で人気がありライブで歌っている映像がある。
晩年のクリストファー・プラマーとキスシーンもあり、羨ましい。

話が違うが、このブログは何日もかけて書いて来たのだが、ある日Enterキーを押すところ、誤ってBackSpaceを押してしまったらしく、その日の文章が全部消えてしまった。
時々「変更する」などしておかないと、大変な事になるとつくづく思った。

なれが生じ、半ばキーを見ずに打っているので、消えてしまったのだ。
なれは馴れか、慣れか、熟れか、いろいろな漢字がある。
本当に感じ変換、いや漢字返還に困る。嫌な感じだ。

北京冬季オリンピック  スポーツ・健康

2月4日北京冬季オリンピックが始まった。
種目はスキー、スケートを始め、最近ではスノボ、カーリング、ボブスレーなどかなり増えてきた。

スケートが得意だとは以前書いたが、スピードスケート男子500メ―トルの速さは1位が34秒台だ。
私が全盛期の頃の400メートルが約60秒だったので、約2倍のスピードだ。

陸上の男子100メートルが9秒台だとして、私の全盛期の高校3年生時は50メートル6.9秒だった。単純に2倍してもボルトは私の2倍以上ではない。従っていかにスケート選手が速いかが分かる。

スキーについて書こう。

スキーは高校2年生の冬に担任から「長野県出身者だから将来恥ずかしくないように、スキーとスケート教室を行う」と言われた。(我々の高校は修学旅行は無かったので、その代わりでもある。)

私はスキーを選び、親父の木製の重いスキー板を借り、霧ヶ峰スキー場に行った。
なだらかで滑りやすかった。ボーゲンを習い、斜滑降、直滑降でも滑ってみた。

その後、大学生になった時に当時、飯田市大平に小さなスキー場があり滑った事もあった。

就職して会社でバス一台チャーターしてスキーに行く事になり、私が総務だったので幹事を引き受けた。当時は木曜日が定休日だったので、水曜日の仕事が終わってからバスに乗り1泊した。

行先は先輩が知っていた栃木県の現日光市の「鶏頂山スキー場」だった。(2000年に閉鎖)
道案内はもちろん先輩だった。私は先輩のスキー板を借り、初心者コースを滑った。

同僚は奥さんも連れて中級コースを滑っていたので、誘われて滑ったがコブが多く、転んでばかりいた。そのうちに前の人に突っ込んでスキー板の先を壊してしまった。

リフトに乗った時だった。山の途中でリフトが止まってしばらく動かなくなってしまった。何分待っただろうか。不安になってきたところ、アナウンスがあって「これから救助します」と言われた。

私はちょうど柱と柱の間で、しかも山の中腹だったから、救出はほとんど最後に近かった。遠くに別のスキー場が見えた。

救出時にロープに引っ掛けた長い竹ざおは、それも汚れた竹ざおで伝わって降りたが、泥まみれになってしまった。

私はスキーウエアと言うより、親父がスケート場で着ていた黒く薄っぺらい「アノラック」だったので、先輩から「炭焼き小屋の親父見たいなカッコしやがって」と言われて悔しかった。
その後は「ハイカラ」なスキーウエアを購入した。

帰りのバスは疲れもあり、眠かったが目の前に雪が迫る現象が思い出され、それどころではなかった。

その後は1回もスキーはしてない。と言っても結婚して家内と冬休みにスキーに行く予定だったが、ある事情でキャンセルしたのだった。
しかしスキーウエアはスケートでよく着たので無駄ではなかった。

ラジオの思い出  随想・日々是尺八

朝ドラで「カムカムエヴリバディ」を放送している。
時代はちょうど我々が生活してきた頃で懐かしい。

年代物のラジオが出てきたが、我が家も同じくらい古いラジオがあった。
木製で割と大きかったが、小学校生の頃の夏休みは父が家の前にラジオを出して、ラジオ体操をした。10人くらいの小学生が集まり、毎日ハンコを押してもらった。
この頃、少年剣士の「赤銅鈴之助」を聞き、主題歌も覚えた。

中学生になるとビクターの大きなステレオを買ってくれて、レコードやラジオを聞いた。
レコードの視聴盤の「汽車」の蒸気の音が立体的に聞こえて、左のスピーカーから右のスピーカーに抜けていくのが感激したし、「ベサメムーチョ」や「アイーダ」をそれで知った。

また、夕方のNHKラジオ「一丁目一番地」を聞くのが楽しみで、かじりついて聞いていた。
黒柳徹子が「さえこさん」役で出ており、大変気に入っており、テーマ曲は今でも忘れていない。

高校生になり受験を迎えて「カムカムエヴリバディ」ではないが、文化放送の「百万人の英語」を聞きだした。
冒頭のテーマ曲、ブラームス作曲「大学祝典序曲」も耳に焼きついている。

大学に合格して上京。武蔵境にある長野県の寮に入ったが、「ソニー」のトランジスタラジオを買ってもらった。

良く聞いたのがニッポン放送の「オールナイトニッポン」だ。
軽快なテーマ曲にのり、有名な糸居五郎、斎藤安弘(アンコー)、高崎一郎、高島秀武、亀渕昭信(カメ)がデスクジョッキーだった。
とりわけ「カメ&アンコー」が人気を博した。
この頃、「〽おらが死んじまっただー」の「帰って来たヨッパライ」が大ヒットした。

試験が近づくと何故か聞きたくなり、1つ先輩も「そうだろ、何故かなー」と会話したものだ。

大学3〜4年生の頃、当時の寮母さんの息子が幼稚園生だったので、みんなが可愛がった。

大事にしていたラジオだったが、私は良くFMを聞いておりアンテナを伸ばしていた。
その時ちょうど坊やが部屋に入って来たのだろう。何かの折に彼にアンテナを壊されてしまった。それからFMは雑音が多くなったと思う。

卒業して26年後、寮は老人ホームと併設する形で新築されて、そのパーティーが吉祥寺のホテルであった時の事。
実はあの時の寮母さんと息子さんも出席されて、ばったり会ったのだった。

彼も成長して、もう30歳過ぎで立派な青年になっていた。対面してつい愚痴が出てしまった。
寮母さんに「すいませんねえ」と言われた。

卒業すると練馬のアパートを借りた。木造の狭い4畳半である。
壊れたラジオの代わりにステレオ「トリオ」を購入。「トリオ」を買ったのは多分CMの影響だろう。

会社に入ってから田園都市線の高津に引っ越し、6畳のアパートに移った。

27歳の時に尺八リサイタルを行い、録音はオープンリールだったので、ソニーの「テープデッキ」を購入した。随分立派なデッキで、いい音がした。興奮して何度も聞いていた。

結婚してつきみ野の建売を購入した時には、もっと良いステレオが欲しくなり、義父の知り合いの秋葉原の電気店で「パイオニアプロジェクト7」を買った。(トリオは甥にあげた)
これは随分大きかった。スピーカーが大きい事。

しかし娘が2人生まれステレオ部屋は娘に与えたので、私の部屋にはミニコンポーネントを考えた。

近くにヤマダ電機が出来たので、ビクターの「マイクロコンポーネントMDシステム」を購入。

やがて現在の八王子に引っ越し、パイオニアのスピーカーは処分して、チューナーの入っていたのはコンポーネントの置台にした。今は私の部屋に鎮座する。

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録音の機器は目まぐるしく発展して、カセット、CD、MDと進んできた。
その前にも何台もラジオ、ラジカセ、ウオークマンも買ってきた。
手元のラジオはソニー、尺八の演奏を録音するラジカセはアイワや、大きなダブルラジカセはパナソニックだったが全て壊れて処分した。

上記写真もそのうちMDが使用出来なくなり、新宿のヨドバシカメラまで重いのを持参したのだが、結局部品が無く、修理不可能だった。
しかし、MDだけが使用できないだけで、ラジオは聞けるし、これは又別売りのレコードプレイヤーを接続して聞いている。

写真には写っていないが、この下にパイオニアが置いてあり、その中にレコードやカセットテープ、CD、MD、DVD、VHS、ベータなど入れてあり、良い置台となっている。

やはりMDに貴重な録音をしているので、どうしてもMDが必要である。
上記のMDはA、Bの2か所あり、ダビングが出来た優れものだった。

そこで、もう1台買う事にした。こちらは居間に置いてある。

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これも同じ「マイクロコンポーネントMDシステム」だ。
こちらのMDには「ラジオ体操」が録音してあり、毎日いつでもラジオ体操ができる。
コロナ禍の中で自粛が続くが貴重な運動が出来る。

このコンポーネントは一番下にUSBが付いており、パソコンにダビングするのに便利だ。

会社を卒業?して、新宿で自営業していた頃は、暇だったので、TBSラジオを良く聞いた。
ここでもサンヨーのラジカセ、CDも聞けるのを買った。

平日の午前中は「大沢悠里のゆうゆうワイド」を毎日聞いていた。
朝8時30分から午後1時までの放送だったが、2016年4月に終了した。同時に土曜日午後3時からの放送に変更されたが、ついに3月で終了するそうだ。

番組の中の10時過ぎには「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」もあった。
申し込みのあった商店などに出かけてインタビューをするのだが、リクエストの音楽もマムシの「くそばばー」などのしゃべくりで、なかなかまともに音楽が聞けなかった。

土曜日は「土曜ワイドラジオTOKYO永六輔その新世界」だった。
2000年5月から外山恵理アナが担当して、永六輔が随分可愛がっていた。
晩年には永六輔の滑舌がだんだん悪くなり、かわいそうだった。

外山アナは今金曜日の午後「金曜たまむすび」に出演して、相変わらずかわいい声で、若々しい。

TBSラジオの平日午前中は大沢に代わって伊集院光が担当した「伊集院光とらじおと」だが、やはり3月で終了するらしい。

午後は時々「赤江珠緒のたまむすび」を聞くことがある。

時々、夜寝る前にNHKラジオを聞く時もあるが、だんだん若者向けになってきており、私には早口で聞き取れないし、みんなが同時に喋ったり、笑ってばかりで面白くない。

1957年4月から2008年3月まで続いたNHKラジオドラマの「日曜名作座」なんて良かったなあ。森繁久彌と加藤道子が2人だけで、ナレーターや2〜3人を演じた。

今は「新日曜名作座」で西田敏行と竹下景子がしている。
テーマ曲の古関裕而の曲はいいなあ。

やはりNHKの夜11時過ぎの「ラジオ深夜便」は年寄りが聞いているようだ。
父の法事で田舎に帰った時、90歳過ぎの母の部屋で炬燵に入って寝たが、一晩中「深夜便」がかかっていて眠られなかった。




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