北原鈴淳尺八教室in八王子  音楽

  
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  指導者  鈴慕会 大師範

            
            北 原 鈴 淳







音楽歴  
長野県飯田市立追手町小学校5〜6年で器楽班に入り、小太鼓を担当。

東中学校2年から飯田高校の吹奏楽班でユーホニュームを担当(5年間)

大学の三曲研究部で琴古流尺八を始め、故二代青木鈴慕・人間国宝(2018年8月21日死去)に師事
      
1972(昭和47)年1月 浅草国際劇場の「艶歌のすべて 北島三郎ショウ」 で10日間「仁義」「盃」「誠」を尺八伴奏
      
1976(昭和51)年 渋谷東邦生命ホールで尺八リサイタル
曲目「みだれ」「一定」「箏四重奏曲」「詩曲」「鹿の遠音」「千代の鶯」

1991(平成3)年3月 NHKFM放送「邦楽のひととき」
に「明治松竹梅」出演
さらに1991(平成3)年7月「泉」、1992(平成4)年「末の契り」、1992(平成4)年6月「泉」再放送、など出演

      
2007(平成19)年 北原尺八教室をめじろ台に開設

2021(令和3)年、芸歴(芸道・竹道)55年を迎えた

稽古場 東京都八王子市めじろ台2丁目
      (京王線めじろ台駅徒歩6分)
     
      電話 042−668−1278
(お問い合わせは午前8時〜午後8時まで)

稽古日 日曜日・月曜日・火曜日・木曜日(午前10時から午後5時までの予約制)        
    ご希望により他も可能な日(午前中など)があり、ご連絡下さい。
月謝   
月2回、5000円 (1回約50分間)
月3回、7000円 (1回約50分間)
月4回、8500円 (1回約50分間)
ワンレッスン、3000円 (約1時間)

その他、ご希望により特別ワンレッスン2時間を設けます。(5000円)

入門料 3000円(ホームぺージご覧の方は半額の1500円)
      入門者には自費出版のCD1枚差し上げます。

初心者から対面式で一人一人指導します。まずは基本の音出しから。
 古曲を中心に宮城曲、現代邦楽、歌謡曲までご希望にも応じます。

琴古流本曲 三谷菅垣・雲井獅子・虚空鈴慕・鹿の遠音 など

地唄筝曲  黒髪・千鳥の曲・笹の露・残月・八重衣 など

宮城曲   春の夜・春の海・初鶯・泉・虫の武蔵野 など

現代邦楽  風動・詩曲・一定・萌春・出雲路・箏四重奏曲 など

その他ご希望により 童謡・唱歌・歌謡曲(著作権法に触れない曲)など

体験レッスン 500円(約60分) ご予約ください

初めての方には、安価な樹脂製の尺八「悠」(¥11000+税で、良く鳴ります)を取り寄せます。竹製欲しい方は、別途ご紹介します。
取りあえず、貸し出し用のプラ管あります。

練習の状況により箏や三絃と時々合奏練習をして、年に一度は稽古場でおさらい会をします。

1976年北原康夫尺八リサイタルより、
杵屋正邦作曲・尺八独奏曲「一定」(いちじょう)が聞けます。
長澤勝俊作曲
「独奏尺八のため詩曲」
上記、青色線をクリックしてください。

金曜日・土曜日は箏・三絃教室も開いています。
こちらのホームページをご覧ください。
http://ivory.ap.teacup.com/koto8/


近況と雑感(6/15) 

5月26日、私が投稿した文章が東京新聞に掲載された。ブログをご笑覧ください。

肉体改造に取り組んでいる。テレビでライザップのCMを見る度に鉄アレイを持ち出す。
自宅には以前から2キログラムと4キログラムの両方がある。4キロはちょっと重いので通常は2キロを使っている。

2016年にシンガポールのマリーナ・ベイ・サンズに泊まって屋上のプールで泳いだ時の事。
義弟の奥さんに写真を撮られ、義弟とは真逆の貧弱な、ガリガリであばら骨が浮き出て、とても恥ずかしい思いをした。あの時は痩せていて見せられたものじゃなかった。

少しづつ、腹が割れてきたぞ。今に見ておれ、俺だって。オレオレオレー!

小林亜星がこの程亡くなった。88歳である。
彼は作曲家として歌謡曲やCMソングを数多く発表してきた。又、「寺内貫太郎」で役者としても活躍した。

彼の作品で思いが強いのは都はるみが歌った「北の宿から」、幼児向けの「ピンポンパン体操」「あわてんぼうのサンタクロース」は流行った。

CMで印象深いのは「どこまでも行こう」「明治チェルシーの唄」そして、「日立の樹」であろう。
「日立の樹」は「この木なんの木」で有名だ。

本当に気になっていた木だ。そんな木を見てみたいと思っていた。

それが1988(昭和63)年のNCR米国流通業視察団でアメリカに行った帰りに、ハワイに寄る事が出来た。(サンフランシスコで視察団と別れた)

会社の先輩と二人でオアフ島に行き、ツアーを申し込んで、ラッキーな事に「この木」に遭遇出来たのであった。広い公園の中にあり、「モンキーポッド」と言う名前らしい。

CMでは1本の大きな木に見えるが、実際は周りに何本も生えており、そこだけをクローズアップしたようである。でも感激したよ。この木だったのかと。本当に枝ぶりが良かった。

門下生へ
皆さんお元気ですか?早くコロナ禍が終息すればいいですね。
定期的に練習だけはしておいてください。


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黒幕のユーフォニアム  音楽

先月の「題名のない音楽会」に、「地味な黒幕楽器」として、ビオラ、ファゴット、ユーフォニアム、チューバの4楽器が紹介された。

テレビでは「ラデッキー行進曲」を4人で演奏していた。ユーフォニアムは結構、高音域の主旋律を演奏しており、きれいな音だった。

地味ではあるが「黒幕」とは失礼ではないか。辞書によると「陰で指図をする人」とある。政界の黒幕は良いイメージでは無い。陰で支える楽器だ。

元NHK交響楽団の首席オーボエ奏者の茂木大輔氏によると、楽器により性格が分かるなんてえ本がある。ユーフォニアムの演奏者は総じて大人しい。表に出ず主役を引き立てる役だ。

尺八で言えば第一尺八のメロディー吹きでは無く、2尺管当たりの低音だ。

確かにトランペットは金管楽器の花形であり、クラリネットはオーケストラのバイオリンに代わるメロディー楽器である。

私は中学、高校の5年間ユーフォニアムを担当していた。
我々の頃は、ユーホニュームと称しており、小バスやバリトンの改良型である。

何故5年間かと言うと、中学2年時に父兄たちの寄付により楽器を購入して初めて「吹奏楽班」が出来たからである。(1年時は卓球班)

「吹奏楽班」に入るには、試験があった。簡単なリズムが黒板に書いてあり、それを両手を使ってリズムをとった。

担任の先生には「クラスの仕事をしてもらいたいから」と反対された。
友人はそれで諦めた(級長を務めた)が、私は「どうしても吹奏楽班に入りたい」と言って許可された。

楽器選びでは、小学生時にやった小太鼓をやろうとしたら、後輩がもっと上手かったので諦めた。

唇が厚めだから、トランペットはマウスピースから息が漏れてしまう。
クラリネットはリードが吹くときにくすぐったい。

ユーホ二ュームはマウスピースがやや大きく、すぐに音が鳴って、これだと決めた。
運命の出会いであった。ジャジャジャジャーン。

入班を諦めた友人も3年時には「吹奏楽班」に入り、トランペットを担当した。その友人とは高校も同級になって、一緒に「吹奏楽班」で活躍した。

彼は実は、飯田市の長昌寺の住職で立川談四楼とご一緒(私は尺八)の企画をしてくれた人である。

ユーホニュ―ムは中音域を担当する、本当に素晴らしい楽器である。吹奏楽にはあるが、オーケストラではほとんど見ない。それが非常に残念に思っている。

大学に入ってユーホニュ―ムは考えず、持ち運びが出来る尺八と決めていた。

高校を卒業して何年か経ったときに「吹奏楽班」に行って見た時、ユーホニュ―ムのピストンは3個から4個に変わっていた。

我らの頃は、アサガオ(ラッパ状)の部分が長く、大きく開いており、持つのにバランスが悪かった。持ち上げると重いし、膝に乗せると猫背になって姿勢が悪くなる。

中音域だと言ったが楽譜はへ音記号であるから、低音にはなる。
このへ音記号のお陰で、ピアノを弾いた時にスムーズに左手の楽譜が読めた。

チューバは大バスで、その中間の大きさに中バスという楽器もある。
行進する吹奏楽では見栄えのするスーザホンは大バスの改良型だ。

行進曲では、その低音域のグループが大概、ドソミドなどを繰り返し1拍目、2拍目を刻む。

その間にホルンなどが、ウンパウンパとやるのである。
分かったかな?

もちろんそれだけでは無く、対旋律という大事なメロディーを演奏する。
これが大事だ。

タイケ作曲の行進曲「旧友」における対旋律は、すごくきれいだ。
高音から滑らかに下ってきて、再び高音に上がって行く。言葉では難しい。
ぜひYouTubeで聞いて欲しい。

しかしそれだけでは無い、後半には、ちゃんと低音部が活躍する良いメロディーが用意されている。

中学、高校を通じてかなりの行進曲を練習してきた。
大概のメロディーを覚えているし、運指まで分かるくらいだ。

中学では「海兵隊」から「君が代行進曲」「軍艦マーチ」「立派な青年」などを練習した。

高校ではスーザ作曲の「忠誠」「ワシントン・ポスト」「雷神」「士官候補生」「エル・カピタン」「星条旗よ永遠なれ」「海を越える握手」「美中の美」など。

その他、「錨を上げて」「ボギー大佐」「史上最大の作戦」「国民の象徴」「ロレーヌマーチ」「双頭の鷲の旗の下に」。

タイケ作曲にもう一曲「ツエッペリン伯爵」があった。これも低音部の活躍が素晴らしい。ドイツらしく重厚だ。

日本人の作曲では須磨洋朔作曲「大空」やレイモンド服部作曲「コバルトの空」、古関裕而作曲「スポーツショーマーチ」など。(スポーツショーマーチはNHKのスポーツ番組の為に作曲されたそうだ)

前回の東京オリンピックは1964年で、私が高校1年生の時だった。
開会式の行進には古関裕而作曲「オリンピック・マーチ」が採用された。

名曲だが、我が高校は練習しなかった。当時のライバル校の飯田長姫(おさひめ)がかなり上手く演奏していたのを覚えている。

それでもユーホニュームで唯一花形だったのは、高校文化祭3年時での「ベサメムーチョ」のソロであった。

いきなり立ち上がり、メロディーを演奏する。一度も座らない。最後まで立ちっぱなしである。

最後にはカデンツゥア(即興的な完全なるソロ)があり、テクニック的にも難しいが、良く選曲してくれたと感謝している。
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新聞に投稿が掲載される  随想・日々是尺八

5月26日に私が投稿した文章が新聞に掲載された。
初投稿なので、幸運だった。

掲載されたのは東京新聞の「つれあいにモノ申す」のコーナー。
ただし氏名もペンネームも出てないから、誰だか分からない。

文章は次の通り。

別荘
妻が「ここは鳥が鳴くし、緑に囲まれて、まるで別荘みたいね」と満足そうに言った。
ちょっと待って。四季折々の花が咲き、芝生もきれいなのは、私が丁寧に手入れをしているから。私も褒めてほしい。
(夫婦で旅気分・72歳)

となっている。
ほとんど投稿の通りだが、最後の()部分が替えられた。

私は(料理はホメない夫)と書いたのだった。

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参考までに掲載された新聞をご覧ください。
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立川談四楼  芸能

5月23日の東京新聞に「モノ言う落語家」立川談四楼が大きく取り上げられた。

半ページにも及び、本人もその取り扱いの大きさにびっくりしていた。(師匠のブログによる)

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右側の写真は師匠お気に入りの写真で、ブログにも載っている。

左下の写真は上野広小路亭で、かつて私もこの写真をアップしている。
立川流はここを定席としていて、私は何回も通った。

私と談四楼師匠との関係は、度々取り上げてきたから、ここでは省略する。

新聞では落語は「生きるために必要だ」

内容は、緊急事態宣言の中、上野広小路亭の夜席は17人程度。本来なら終わって芸人同士軽く一杯が出来ない。スーパーで食料と酒を買って家飲み。

落語の二協会がクラウドファンディングを始めた。

政治家に対するコメントが鋭い。
アベノマスク批判、犬抱いて座っていたり、ワクチンで電話回線がパンク。上の人が勝手に先に打って、そんな話はないよ。

官房長官は寄席を「よせき」と読んだ。こういう人たちの収入は減らない。
モノを知らない人が、収入の途絶えた人をいじめているんだ。

一番の要望は「補償」だ。
政治家は言葉、です。全く心に響かない。「私を説得してください」
文化芸術、エンタメは「彼ら」に言わせると不要不急。

でも、絶対的に必要なんだ。ビタミンであり、タンパク質。
ドイツの文化大臣も「具体的に生きるのに必要なんだ」

政治家の皆さんに落語を聞いてもらいたい。古典落語の「浮世根問(うきよねどい)」や「やかん」など。

コロナ対策でうまく行っている国は国民の声をよく聞いている。
政治は日常。政治を語るのは「ダセえ」じゃない。(以上新聞より)

飯田で一緒に飲んだ時も、よどみなく「立て板に水」だった。

NHKラジオで土曜日の朝、時々「立川談笑」も話をする時がある。

落語家は本当に話が上手い。政治家も原稿の棒読みではなく、もっと抑揚を入れて、魂を入れて、二ホン国民のためにもっともっと働いて欲しい。
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ビールの飲み比べ  グルメ・クッキング

最近のビールの話である。

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これは発売と同時に販売中止になったアサヒ「スーパードライ 生ジョッキ缶」である。(写真左)

「泡が出る ゴクゴク飲める」「日本初 全開!生ジョッキ缶 」の謳い文句で、予想以上に売れたそうだ。

缶上のプルタブが全面になっており、この生産が間に合わないという。

たまたま手にしたので飲んでみた。泡は確かにクリーミーに出て、生ビールを思いださせた。味は「さらりとした飲み口、キレ味さえる、いわば辛口の生ビールです」と表示してあるが、ウーンさっぱりかな。

私は通常、ビールはレギュラーより小さなものを買っている。

サントリーのプレミアムビールはやはり美味いが、アサヒ、キリンより高い。

そこで私はキリンの「一番しぼり」を買っている。やはり通常はこれだ。

ビールと言えば思い出話がある。

大学2〜3年生の頃の夏休み、父親の紹介で飯田市のキリンビール販売店でアルバイトをした事がある。

そこはキリンビールの特約店になっており、その店から街中の酒販売店へとビールを届けた。

トラックに運転手とアルバイトが2人乗り、樽の生ビールと20本入りの大瓶を何ケースも積んで行った。

飯田市は旧市内の店は近いところに何件もあるから、頻繁に降りて運ぶからつらい。

毎日おかみさんに指示されて、時には木曽方面の大平峠や、大鹿村まで行くのだが、街中と違って道路が悪い。舗装されていない道だとガタゴト走るから、飛んだり跳ねたり随分弾んだ。

そんな田舎に限って、量が多く、ケースを重ねるのに私の力では4段辺りからかなりきつかった。
しかし、アルバイトだから毎日ピクニック気分で楽しかった。

運転手は扱いが荒い。時にはケース上を滑らして、大瓶の栓を壊してビールがあふれ出た事があり、その時のビール臭さを忘れない。

その後45年程経た、今から5年前の飯田市お練り祭りに帰省して、おかみさんに会った。
昔話をして、おかみさんも「いろんな所に行けて良かったね」と笑いながら会話した。

やはり大学生の頃、飯田市で「いとこ会」があった時、キリンビール瓶の絵に「キリン」の字が書いてあると言われ、必死に探した事を思い出す。

キリンラガーが全盛の頃、アサヒが「スーパードライ」を開発して、爆発的に売れた。

そして各社は「ドライ」を次々に開発しだした。ひと頃はまるでドライだらけだった。

その頃、会社の部下の女性の結婚式に招待されて私が祝辞を述べる時、卓上にスーパードライが出ていた。

とっさに彼女をホメようと「スーパードライのように頭の切れが良く」と浮かんだ。
アサヒビールの売り文句は「切れが良い」だった。

ただ、アサヒは「ドライ」にこだわり、他社は新製品の開発で売り上げを伸ばしたが、アサヒは伸び悩んだ。

そこで、生ジョッキ缶の開発である。

果たして、アサヒは起死回生となるか。
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高尾山と五輪  散策・ハイキング

緊急事態宣言されたが27日、好天に恵まれたので高尾山に登って来た。

相変わらず往復リフトである。リフトに乗る階段を上るだけでひーこら大変だ。
リフトから見る新緑、青葉がとてもきれいで、空気が美味しい。

久しぶりの外出だったので、ゆっくり登った。マスクで息が苦しく、汗もかき、時々人がいないところで、新鮮な空気を思いっきり吸った。

思ったよりは混んではいなかった。山頂には小学生の遠足で1グループ70人くらいいた。

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高尾山山頂にある、五輪のマークである。果たして五輪は出来るのかしら。
スマホでトリミングが出来た。

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春はなかなか富士山がきれいに見えない。

山頂を通り越した、いつもの広場の椅子で持参のおにぎりを1ケ食べる。

うぐいすが私を迎えてくれた。よく聞くと「ホーホケキョ」と鳴くのもいれば、「ホケキョ」だけもある。さらに「ホーケキョケキョ」もあった。

うぐいすも訓練すれば、段々上手く鳴けるようになるらしい。

宮城道雄作曲「初鶯」を思い出す。

私がある箏の社中の演奏会で頼まれて演奏した時、何人もの箏が本手と替手が合わず、箏屋さんが「うぐいすが何羽も鳴いていたなあ」と言っていた。

確かに私は誰に合わせていいやら、大変な思いで演奏をしたのだった。

自粛のためか、途中の茶屋が休業しており、さる園も休業。

リフトでふもとに降り、山麓駅前で「天そば」を食べた。
いつもなら、自分にご褒美で「ビール」だが、自粛で酒は無し。もちろんメニューには酒類のところには「販売していません」の表示がしてあった。

壁には「北山たけし 龍神海峡」の大きなポスターが張ってあった。

「北島三郎は来ますか?」とおかみさんに聞いたところ、「昔は来たけど、最近は来ないね」と。その他芸能人の色紙が飾れていた。

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その後、前から気になっていたコーヒー店に向かった。

ここは「高尾599ミュージアム」の前の、「TAKAO COFFEE」である。
元はコンビニエンスストアの店舗だったらしい。

開店してそんなに経過していないが、この辺は湿り気が多く、壁が汚れてきてしまった。
よりによって、前の道路が工事中で写真映りが悪い。

しかし、コーヒーは本格的で店内はコーヒー豆の焙煎で香が良く、素敵なテーブルの配置である。

12時過ぎに入ったが私が一番だった。
本日のドリップコーヒーを注文して、美味しいコーヒーを頂いた。

メニューには我々が見学に行った「磯沼牧場」のソフトクリームも入っていた。

飲み終わる頃には、やはり登山客がわんさかと入店してきた。
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路線バスの旅  旅行

コロナ禍で、人混みを避けるため電車で遠出が出来ない。
毎日、草取りも疲れる。やはり気晴らしに出かけたい。仕方がないから近場で過ごす。

幸い「シルバーパス」を手にして、西八王子駅や八王子駅に無料で行ける。
西八王子には携帯電話会社、八王子にはヨドバシカメラに買い物に行く。

路線バスである。旅ではないが、めじろ台から私が望んだ路線が充実してきた。

新宿まで電車で通って勤務していた頃は、ほとんどバスには乗らなかった。しかし今はバスが頼りで便利である。

テレビでは盛んに路線バスの旅が放送されている。

テレビ東京の「ローカル線バス乗り継ぎの旅」は太川陽介と蛭子能収とマドンナで面白かった。

蛭子さんが番組を引退してからは「ローカル路線バスVS鉄道乗り継ぎ対決旅」は太川陽介がバスチームリーダーで、鉄道の村井美樹が鉄道チームリーダーだった。

村井は某新聞に鉄道に関するコラムを掲載するほどの博識で、その対決は感動さえした。私はひそかに村井を応援していた。
勝った負けたで涙もあり、ハラハラドキドキしながら見ていた。

日曜日の午後4時15分に放送される、テレビ朝日の「路線バスで寄り道&お買い物の旅」は徳光和夫と田中律子にゲストである。
最近は人混みを避けるためか、路線バスを使わず、貸し切りバスのようだ。

まあ見ていると徳さんはいい年をして、昼間からよく食べ、よく飲むものだ。それにバスの中ではほとんど寝ている。

路線バスではなかったが、以前NHKで「キッチンが走る!」の番組があった。(2010年〜2017年)

杉浦太陽君とシェフが一緒にキッチンカーに乗り、全国を回って、地元の食材でその場で料理する番組だった。

ある時は和食、ある時はフレンチ、イタリアンなどのシェフと美味そうな料理を作り、農家の方とも一緒に食べていた。あの番組で太陽君は随分料理が上手くなった事だろう。

私の田舎にもキッチンカーが出向いた時があった。
その時、大横町の麹屋さんの「嶋田屋」が出て「麹商品」を買って行った。

「嶋田屋」さんは本名「井伊」さんで、その頃NHK大河ドラマは柴咲コウ主演の「おんな城主 直虎」を放映していた。

店内には、井伊直虎の末裔の家系図があり、井伊さんは末裔だったのだ。

話は続く。これが言いたい。
実は、嶋田屋さんに入る前に、大横町の街並みが映り、我が実家は嶋田屋さんの目の前だったから、全国に我が家が映ったのである。ほんの瞬間ではある。

テレビの影響・反響は大きく、かなりのお客さんが嶋田屋さんに「麹商品」を買いに来たそうだ。

私が小さい頃、麹屋さんに入って麹を作っているところを見たことがある。蒸気が立ち込め、米にカビが生えていると思った。

さて路線バスの話に戻る。
日曜、夜のテレビ朝日では「帰れマンデー見っけ隊」がある。
タカアンドトシ、サンドウィッチマンらがレギュラーで、ゲストも交えて路線バスに乗り、すごろくでバス停を決めて、飲食店や寿司店を見つけて食べて目的地に行く番組である。

その他にも女子会でバス旅もあるが、とにかく飲んでばかりだ。

本題に入る。
めじろ台から西八王子駅までバスで約15分。
八王子駅南口までのルートは何本もあるが約30分である。

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八王子駅南口にはサザンスカイタワーがあり、その4階に以前はオリンパスホールだったが、4月からJ:COMホール八王子に変わった。

立派なホールで、何回か高校生の吹奏楽や木久扇の落語を聞きに行ったことがある。

4月から、山田駅経由八王子駅南口行きの新たな路線バスが出来た。
先日帰りにこのバスにちょうど間に合ったので乗ったら、何と15分で着いた。

これは渋滞が無く、めじろ台駅の一つ前のバス停「めじろ台南」が最寄りとなったので、かなり時間が縮小されたのである。

乗ったバスは、めじろ台南の前のバス停でほとんどの人が降りてしまい、あとは私一人だけ。

シルバーパスの無賃乗車で、その後は空のバスで申し訳なく思った。
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「スマホ」デビュー  携帯

2月に、ついにスマホデビューした。もちろん初めてのスマホである。

前回購入した携帯電話の賞味期限が切れ、いや2年契約が切れて、晴れてスマホデビューである。

他人より先んじて1996(平成8)年にPHSを使用したのだけれど、スマホでは随分遅れをとった。この24年間いったい何台の携帯電話を使用したのだろうか。

スマホ購入が遅くなったのは、決して安くはない利用料金に躊躇していたからでもある。費用対効果である。

ここで踏ん切りがついたのは、外でもない月額料金が下がって来たからである。さらに携帯電話ではインターネット接続が困難だった。このブログも見られない。

今度のスマホは5分間無料で電話が出来る。

スマホ教室に今まで8回通って、アプリやらメール、LINE、カメラについて習っている。

買ってすぐにこのアイコンは何かなと触ると、3人程誤って電話がかかってしまい、あわてて終了させて、SMSで「間違いでした」とメールする始末。

以前、夜中に電話が鳴ってあわてて出たのだが、スマホを買ったばかりの人が操作を誤ったらしい。まったく同じことを私はしたのである。

スマホ教室は予約制で一日3回行われている。
スケジュール表を見て予約すると、私のスマホに予約受付しました、とメールが来て、ご丁寧にスマホ教室の前日と、当日に確認のメールが来る。

それを当日、教室でスマホの画面を見せるのである。
ある時、「電話のかけ方教室」の定時の10分前に行ったところ、定員3名がもう座っている。私は間違っていないと係員にスマホを見せ話をしたところ、あるおじさんが違うらしい。

ところがそのおじさんが、「俺は店頭で言ったのよ。何回か来て言ったんだ」と激しく抵抗して、挙句の果てに「こんなスマホは捨てちゃうぞ」とか言って、スマホを手に持ち上げた。
「電話の仕方が分からないから来てるんだ」とか。

私が予約制の話をしてスマホを見せて「このような予約のお知らせが来るんです」と言ったが納得がいかないらしいので、「じゃあ、私は帰りますからおじさんそこにいていいですよ」と、なだめた。「いいよ。俺は帰るよ。だけど電話の仕方が分かんねえのよ」

そこで女性の係員が来て他の席に案内して、説明を始めた。
結局は私が座って事なきを得た。

未だスマホ教室に通う予定がある。

さて、20日は彼岸である。
16日に義弟の車で4人で墓参りをした。コロナ禍で本当に久しぶりに行った。
枯れた草や落ち葉を取り除き、墓石を丁寧に洗う。
管理事務所で仏花を買い、花瓶にいける。

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初めてのスマホカメラデビューである。バシャリの音が何とも心地よい。
ここは高尾山のふもとである。やや高台の見晴らしの良い墓地である。

この墓は義父系列と我が家の共同の墓地である。
この中にはもうすでに、義父の祖先、義父、義母が入っており、やがて私が入る予定の墓である。

墓石には書道の先生だった義父の字入れで「天道」と彫ってある。
義父は東日本大震災の4日前に亡くなったからもう10年になる。その直後にこの墓を作ったのである。

左隣は元空き地だったが、いつの間にか墓石が立っていた。それが我が家とほとんど同じ作りだから、参考にしたのだなと思った。

私は常にカバンを持ち歩く癖になっている。取り合えず反対側の墓の所に置いていた。
お参りを済ませて時計を見ると、もう12時10分前だった。

実は12時に行きつけの和食店の予約をしていたのだ。「アッ!もう時間がない」と号令をかけ、掃除道具を片付けて急いで車に乗った。

普通に行っても5分位は遅刻だ。もう半分位走ったところで、私のカバンが無い事に気が付いた。和食店に遅刻の連絡をしようにも、スマホに電話番号を入力してなかった。

あわてて墓に戻ってもらった。カバンは私を寂しそうに待っていた。

結局15分位遅れて和食店に着いた。お詫びを申し上げ、膳についた。
天気も良く「エビスビール」は格別旨かった。
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「飛躍」の思い出  音楽

「飛躍」の思い出と言ったところで、普通の人には分からないだろう。「跳躍」ではありません。

実はこれから述べる「飛躍」とは、久本玄智作曲の「飛躍」の事である。

長くなるので独立した文章にしたい。
私が大学3年生の頃、飯田市の箏の先生のおさらい会で「飛躍」を箏と合奏した。
その「飛躍」を又今、妻の門下生と合奏しようと言う話が出て来たのだ。

私の頭の中では年中「飛躍」のメロディーが鳴り響いている、と言うくらい印象深い曲である。ある程度は覚えている。

しかし、楽譜を探してみたら無い。発行元の出版社はもう無いと聞いていた。
仕方ないからYouTubeで他人の演奏を聴いて、楽譜を書こうかなと思ったくらいだ。

ところが救世主が現れた。琴古流楽譜を扱っている竹友社が販売している情報を得て、やっとこさっとこ手に入った。

解説では尺八、箏二重奏曲で洋楽のロンド形式。
快活な旋律によって飛躍の気分を表した曲。
近代的な感覚をもった曲で、特に若い人に喜ばれている。

しかし、作曲は1931(昭和6)年で、戦前であり、私は未だ生まれていなかった。

飯田市の箏の先生とは故駒瀬竹子先生である。当時で80歳くらいだったろうか。
知り合ったいきさつの話をしよう。

高校生の頃は自転車で学校まで通っていた。
自宅のある旧飯田市は段丘の上にあり、高校は段丘の下側であるから、行きは広い崖路をスピードを出して下りて行く。

帰りは大変だ、立ちこぎで行きの道を全部は上がれない。途中で横道を行くことになる。

飯田市は碁盤の目のような道路になっており、その後はどこの道を通っても自宅に帰る事が出来る。縦の道が坂になっており、横道はほぼ平らである。

ある時、仲之町なる道を通りかかった時に箏の音が聞こえて来た。高校時代は吹奏楽班だったので未だ尺八に興味はなかった。

ところが、大学に入ってなんと尺八を手にしたのである。
そこで夏休みに駒瀬先生宅を訪ねたのが始まりじゃ。

先ず大学1年生頃から、「六段の調べ」や「千鳥の曲」などの合奏をしてみた。
私が行く時には門下生の上手な人も呼んでくれて、夏休み、正月休み、春休みなど通った。

「ゆき」も先生と合奏したのを覚えている。
そして大学3年の夏休みだろうか、先生のおさらい会で「飛躍」を可愛い小学生とも合奏したのだ。

大学3年生の時は当時あった「太宰楼」の舞台で演奏して、終了後は記念撮影して、打ち上げ。

大学4年生の時は「三宜亭」で演奏と打ち上げを行った。先生から「あなたは学生さんだから、無料で良いよ」と言われた。ギャラは無くて7万円の接待では無い。可愛いものだ。

「三宜亭」では母も親類のおばさんも聞きに来てくれた。
地元の尺八演奏者もいて、酒を飲んだが「健康第一に気を付けてくれや」と言われた。

そのおさらい会で知り合った尺八の中川青童氏に誘われて、正月に市田(天竜川舟下りの出発点)のご自宅に伺った事がある。

当時は75歳位のお爺さんで、尺八の練習ノートを見せてくれてびっくりした。

上段に地唄の曲名が書かれており、その下側に練習した回数の「正」ちゃんマークがいっぱい書いてあったのだ。「八重衣」などかなりの練習回数であった。

正月だから酒、肴もいただいた。
話を伺うと、息子さんも尺八を演奏しており、「息子の残月の演奏テープだ」とカセットテープをいただいた。

驚いた事に箏が小林玉枝、三絃が井上道子だから凄いメンバーだった。
帰ってから何度も聞かせてもらった。息子さんは未だ私にとって見知らぬ人だった。

ところが、その息子さんに東京で7〜8年前に偶然縁があって、一緒に飲んだのである。
しかも、その時のテープをお返しをした。(本当は頂いた物だが)

聞いてみれば私の高校の先輩であり、ちょうど10歳年上だった。本当に不思議な出会いだった。

再び中川青童氏の話である。ほろ酔いかげんで中川宅を出たのだが、もうすっかり暗くなっていた。私の実家は街なかで街路灯がついて明るい。

しかし田んぼの中を通ってJR飯田線の市田の駅まで行くのに、月も明かりもほとんどなく、手探りでやっとこさっとこ市田駅に着いたのだった。側溝に落ちなくて良かったと思ったくらいだ。

東京に戻って当時の青木鈴慕先生に、たまたま何かの時に中川氏の話になり「中川さんは地元で邦楽を広めている大変な功労者だ」と褒めていて、先生までも知っていたとは、どこかで繋がっているのだと思った。

駒瀬先生は品の良いおばあちゃんで、カメラが趣味だった。
私が23歳の頃、つてがあって尺八の門下生が一人出来た。そのYさんも連れて夏休みに浴衣を着て駒瀬先生と合奏し、写真も撮っていただいた。

話がどんどんそれるが、合奏を終わって私の中学の同級生Mさんが経営する居酒屋に行った時の事である。

たまたま彼女に尺八を聞かせようと他のお客様に許可を得て、「仁義」などを演奏したところ、あるお客さんが言い寄って来た。
その人に、えらい褒められたのである。

聞けばT設計事務所の人で、元はテイチクだかのミキサーをしていたから、耳は確かであった。話が合って、ごちそうになり、その上「芸者置屋に行こう」と我々二人を誘い出し、ある料亭に行ったが、もう遅く皆帰ってしまったらしい。

大広間で女将さんと4人で世間話をして帰った。ドラマになりそうな、こんな事を思い出した。

駒瀬先生は趣味のカメラで展覧会をしたり、講演をしたらしい。地元の新聞に掲載された。
その頃、先生と年賀状のやりとりをしていたが、駒瀬先生が講演の最中に突然倒れ、そのまま亡くなったみたいだ。

その事が載った地元紙を母が送ってくれて知ったのだが、暮れも暮れ25日頃の事で、要領の良い先生はもう年賀状を私に出していたから、亡くなった先生から年賀状が届いたのである。

妻を連れて紹介をした後だったので、私が30歳過ぎの話である。合掌。
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YouTubeで邦楽  音楽

YouTubeで邦楽の演奏がかなり増えてきた。
大先生達の貴重な映像などもアップされて、参考になる。

最近、藤本昭子の演奏を見た。かなりの数のアップで全てが素晴らしい。

藤本昭子は人間国宝だった藤井久仁江の娘である。(阿部桂子は祖母に当たる)

特に宮城道雄作曲「春の夜」は箏本手藤本昭子、箏替手塚本徳(めぐみ)、尺八田辺頌山の演奏には感激した。

この曲は名曲中の名曲だと思う。
塚本徳さんはNHK育成会で私と同期であり、私のリサイタルでは舩川利夫作曲「箏四重奏曲」の賛助をお願いしたし、木犀会では岩城弘子さんと共に「春の夜」を演奏した仲だ。

この曲を演奏会にかける時、青木鈴慕先生に習い「暗譜で演奏する」旨話したら、目の色を変え「いつ演奏会だ?」と演奏会に来ていただいた。それ程の曲だ。

田辺頌山は都山流の奏者だが、よく考えた演奏で所どころ琴古流の手である「ウ」を使用して陰にこもった音色を聞かせる。

速いところはチのメリのままで、その使い分けが素晴らしい。

それにしても誰か、尺八の稽古の映像を流してくれると、初心者には分かり易いだろう。
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