北原鈴淳尺八教室in八王子  音楽

  
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  指導者  鈴慕会 大師範

            
            北 原 鈴 淳







音楽歴  
長野県飯田市立追手町小学校5〜6年で器楽班に入り、小太鼓を担当。

東中学校2年から飯田高校の吹奏楽班でユーホニュームを担当(5年間)

大学の三曲研究部で琴古流尺八を始め、故二代青木鈴慕・人間国宝(2018年8月21日死去)に師事
      
1972(昭和47)年1月 浅草国際劇場の「艶歌のすべて 北島三郎ショウ」 で10日間「仁義」「盃」「誠」を尺八伴奏
      
1976(昭和51)年 渋谷東邦生命ホールで尺八リサイタル
曲目「みだれ」「一定」「箏四重奏曲」「詩曲」「鹿の遠音」「千代の鶯」

1991(平成3)年3月 NHKFM放送「邦楽のひととき」
に「明治松竹梅」出演
さらに1991(平成3)年7月「泉」、1992(平成4)年「末の契り」、1992(平成4)年6月「泉」再放送、など出演

      
2007(平成19)年 北原尺八教室をめじろ台に開設

2021(令和3)年、芸歴(芸道・竹道)55年を迎えた

稽古場 東京都八王子市めじろ台2丁目
      (京王線めじろ台駅徒歩6分)
     
      電話 042−668−1278
(お問い合わせは午前8時〜午後8時まで)

稽古日 日曜日・月曜日・火曜日・木曜日(午前10時から午後5時までの予約制)        
    ご希望により他も可能な日(午前中など)があり、ご連絡下さい。
月謝   
月2回、5000円 (1回約50分間)
月3回、7000円 (1回約50分間)
月4回、8500円 (1回約50分間)
ワンレッスン、3000円 (約1時間)

その他、ご希望により特別ワンレッスン2時間を設けます。(5000円)

入門料 3000円(ホームぺージご覧の方は半額の1500円)
      入門者には自費出版のCD1枚差し上げます。

初心者から対面式で一人一人指導します。まずは基本の音出しから。
 古曲を中心に宮城曲、現代邦楽、歌謡曲までご希望にも応じます。

琴古流本曲 三谷菅垣・雲井獅子・虚空鈴慕・鹿の遠音 など

地唄筝曲  黒髪・千鳥の曲・笹の露・残月・八重衣 など

宮城曲   春の夜・春の海・初鶯・泉・虫の武蔵野 など

現代邦楽  風動・詩曲・一定・萌春・出雲路・箏四重奏曲 など

その他ご希望により 童謡・唱歌・歌謡曲(著作権法に触れない曲)など

体験レッスン 500円(約60分) ご予約ください

初めての方には、安価な樹脂製の尺八「悠」(¥11000+税で、良く鳴ります)を取り寄せます。竹製欲しい方は、別途ご紹介します。
取りあえず、貸し出し用のプラ管あります。

練習の状況により箏や三絃と時々合奏練習をして、年に一度は稽古場でおさらい会をします。

1976年北原康夫尺八リサイタルより、
杵屋正邦作曲・尺八独奏曲「一定」(いちじょう)が聞けます。
長澤勝俊作曲
「独奏尺八のため詩曲」
上記、青色線をクリックしてください。

金曜日・土曜日は箏・三絃教室も開いています。
こちらのホームページをご覧ください。
http://ivory.ap.teacup.com/koto8/


近況と雑感(12/1) 

11月17日と24日に高尾山に登って来た。今年は4回目である。別掲のブログをご覧ください。

11月29日に高校ミニ同級会を東京にいる3人で昼時に行って来た。
S君は小学校1〜4年までと、高校2〜3年が同級生であり、時々メールで連絡を取っている仲だ。
その彼が小学校3年時頃の、親も一緒の集合写真を持参したから面白かった。
何しろ名前と顔がなかなか一致しない。

場所は新宿西口の「がんこ」の個室。私は常連?。ここは良いところだ。
それぞれ好きな膳を頼み、ビール、日本酒と酒が進んだ。3時間たっぷり話し込んで酒を飲んだのだが、さらにカラオケに行った。

O君が会員だと言う「ジョイサウンド」へ行き、1時間30分、しっかり歌を歌った。
私は「心のこり」「仁義」「あの素晴らしい愛をもう一度」「信濃の国」を歌い、彼らは「快傑ハリマオ」「見上げてごらん夜の星を」「星空に両手を」他を歌い、十分楽しんで再会を誓った。

いよいよ師走である。師匠が走り回る程忙しいとは言っても、当方は暇である。

今月25日には自宅で「出雲路」の合奏練習会がある。久し振りの「出雲路」だ。心して練習をせねばならない。

八王子市の健康診断を行った。おおむね大丈夫だ。

門下生へ

毎週月曜日のNHKFM午前11時20分に「邦楽のひととき」があります。聞いてみてください。
又、土曜日のNHKFM午前11時より「邦楽百番」があり、一流の演奏家を中心とした演奏が聴けます。

さらに毎週土曜日にテレビ朝日で「題名のない音楽会」があり、時々邦楽器が出演しています。



高尾山の紅葉  散策・ハイキング

11月17日(水)高尾山に登って来た。奇しくも結婚記念日だったが1人で登ったのである。
最寄りのめじろ台駅発9時46分に乗る。都心から比べれば庭のようなものだ。

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リフト山麓駅前の紅葉スポットはいつも写真を撮る。

前回は6月1日に登ったのだが、今回はやはり紅葉で混んでいた。
先ずはリフトに乗る。

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薬王院を過ぎ、石段を上がったところにあるモミジも撮影スポットである。

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昨年は10月に1回と11月に2回、12月に1回登っているが、昨年の方が鮮やかできれいだった。

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11時過ぎに高尾山頂である。早速おにぎりを食べる。

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山頂の標識を写すのに人の混雑を避けてと思ったが、どうしても次々に写真を撮る人が絶えない。

標識は以前比較で表示したが、ますます剥げて来た。

ここまで写真をトリミングして来たのだが、ここで急に出来なくなってしまった。
パソコンも疲れたのかな?

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今回はこの日が晴れると狙って来たのだが、昨年はきれいに見えた富士山は残念ながら全く見えなかった。

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富士山にさよならをして、山頂はこの人出である。

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帰りもリフトで下山して、新しく出来た注目の京王電鉄が経営する「タカオネ」に行ってみた。

下山すれば自分へのご褒美で、先ずビール。ハイネケンである。

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忘れた頃に注文のパスタ「イカとタラコのスパゲッティ」が来た。サラダ付き。
慌てて写真を撮ったら、新聞やマスクが写ってしまった。下手な写真だな。
スパゲッティは旨かった。

気分良くしてコーヒーも追加で頼んだ。これも旨い。

しかしコーヒーの金額を把握していなかったので、清算したら2000円だった。
パスタ1100円、ランチビール400円は良かったが、コーヒーは500円だった。

思わず会計で「タカイネ」と言葉が出てしまった。

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ここは以前「ラブホテル」だったのを京王電鉄が買収して改装した。

1階がレストランとショップ。上階はホテルだ。
レストランは屋外にも席があるが、夏は涼しくて良いだろうがもう寒いくらいだった。

紅葉で思い出したのが、那須高原に行った中学の同級会の事だ。

友達に聞いても分からなかったので、自分のメモ帳をたどって行ったら、2000年の9月の土日だった。

私の同級会への出席はそれが最後だった。あれからもう21年か。

その時は紅葉には少し早かった。
予定では那須岳(茶臼岳)へのロープウェイに乗って山頂まで行く予定だったが、残念ながら強風で運行が出来なかった。それだけが心残りだ。

当時那須に住んでいたS君が幹事で、彼が運転する車中で尺八を演奏した事が思い出される。女性も含めて10人くらいいただろうか。

翌日は日曜日で日光は結構混んでいた。東照宮の見学をして、鳴き龍で拍手をし、名物の湯葉そばを食べ、宇都宮駅から東北新幹線で東京へ向かった。

中学の同級生の皆さんお元気ですか?

24日、再び高尾山に登って来た。先週からちょうど1週間後である。
今度こそは富士山が見られるかなと期待しての山行きである。

やはり、天候に恵まれ、平日とは言いながらニュースでも盛んに流され、人は混んでいた。まるでゴールデンウイーク並の混雑だった。
前回より一段と紅葉が進み、早いモミジやイチョウは落葉を始めていた。

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山頂の富士山である。今年最高の眺めで良かった。

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アップにしてもほら御覧の通り、雲が全くかかって無くてバッチシ?である。
安いデジカメだから思ったより迫力が無いし色合いも悪く、数多く撮っても、とてもアップ出来ない。

以前から持っている双眼鏡を思い出し、初めて高尾山に持参したら、見える見える。
都心のスカイツリーや東京タワー、横浜方面までしっかり見えた。

園芸・ブドウ棚の修理  趣味

ブドウ(スチューベン)の収穫は9月中旬にした。

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スチューベンは皮の内側がもの凄く甘く旨い。上品な味だ。

NHKの「試してガッテン」の番組で見たが、ブドウは種ありがおいしく、皮はお尻からむくと皮の内側がきれいにむけて、おいしさが倍増するらしい。

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9月22日最後の9袋を収穫して、今期は終了。26日には落ち葉を拾うのは大変なので、全部剪定してしまった。

丸太の横棒が腐ったのが気になり調べたら、8年前に棚を作っていただいた。
工事者に連絡を取り、見ていただいて修理を依頼した。

剪定時には蚊よけに蚊取り線香を専用のケースに入れて、腰にぶら下げる。

やけに煙臭いなと思ったら、渦巻きの2重3重巻にも火が移ってもうもうとしていた。私自身が丸焼けになる寸前だった。(ややオーバー)衣服は燻製状態だ。

以前、家内がスーパーで渦巻きの蚊取り線香を買ってあったが、なかなか使わなかった。
気が付いたら50巻である。いくら毎年使っても7〜8年分ある。

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ついに10月23日、4メートルもある腐った丸太2本を取り外して、新しい丸太を付けてもらった。8センチ丸の立派な丸太だ。

上段の横棒は以前、蜜で袋掛けに頭が入らなかったので、間隔を空けてもらった。

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腐った丸太は40センチくらいに切り、甥がバーべキュ―に利用してくれるようだ。

最近、物が壊れる  随想・日々是尺八

今年1月に掲載したブログをリメークする。つまり又歯が欠けた話を追加するのである。

最近、物が壊れる。

身の回りで物が壊れる。何かの前兆だろうか。

その@、昨年10月に右上の虫歯を治したばかりなのに、12月始め突然口の中に硬いものをかんで、吐き出した。金属の詰め物だったが、その時は何故か他人を疑った。

自分のは鏡をのぞいたが異常無いと見なして、その金属を一度は捨てた。翌日どうも私の右下の詰め物のようだと拾いなおして、後日歯医者に行った。
結局その場所で、詰め物をクリーニングして、はめなおした。

そのA、結婚する時に買った腕時計は、5〜6年後T百貨店で電池交換の際、無くされてしまった。
それで、同等の新品の腕時計をくれたのだ。

その腕時計も経年劣化で、新宿で商売をしている頃、電池交換のサービスを請け負っており、メッキも出来たのだ。それで金メッキをしてもらって、きれいになった。

それも今では大分剥げて来たので、腕が見えない冬にだけ使用していた。
12月5日図書館からの帰りに長袖をめくって時計を見たところ、ガラスが無く、針は止まっていた。

しかもこの時計は4日前に電池を交換したばかりであった。何という不運だ。
100年は持たなかったが、約36年間休まず動いてくれたのだ、感謝する。

その後、ついでがあったのでその時計店に伺って、事情を話し「もうこれはダメだ」と言うことで、店主に「何か部品として使えるならば使ってください。電池も新しいし」と渡すと、お礼として?長さ10センチの携帯用LED照明をくれた。これは便利な「懐中電灯」である。

そのB、べつに壊れた訳ではないが、洗面所の点灯管が突然つかなかったり、翌日にはデジタル体重計の電池が切れた。その前、電話機子機のバッテリー切れで新品を取り寄せた。急に変化が身の回りで起こっている。

12月18日バスに乗っていて追突事故にあった。
八王子に行く予定で、めじろ台からバスに乗り、2停留所目の前の信号待ちで止まっていたところ、「ドン」とバスが前のめりになった。

エンジントラブルかなと思っていると、車内放送があり、追突事故らしい。後部座席にいたので後ろを覗くと、乗用車が止まっていた。80歳くらいの爺さんがぶつけたようだ。

私はあわてて降りて、後部を見ると双方へこみは特になかった。
ちょうど白バイが走っており、パトカーも割と早く来たが処理に時間がかかると思って、めじろ台に向けて歩き出した。振り出しに戻ったのだが15分位かかった。

予定を変更して西八王子行きのバスに乗った。冷静に考えれば、大した事故ではなかったので、それ程時間はかからなかったろうにと思い直した。

軽い衝突だったので、幸いむち打ち状態にもならず、あの時猛スピードでぶつかっていたら、一瞬で命を無くしたと思うとゾッとする。

12月24日、しばらく使って無かったプリンターで印刷しようと思ったら、インクジェットの黒がほとんど無く、印刷できなかった。あわててネットで調べたが、どこも掲載されていなかった。

買って2年程だからまだあるはずだ、と八王子に出かけてヨドバシカメラで購入出来た。
プリンターの品番を調べてあり、従業員に聞いたらすぐに見つけてくれた。自分で見つけるより早い。

しかし、機械に弱い私はセットの仕方に四苦八苦。メーカーのネット上の説明でやっと取り付け完了。やっとの思いで印刷できた。

又新年早々、歯と歯の間にピスタチオの殻が挟まり、自分では取れなくなった。

バカな私は新聞を読みながら、ピスタチオとナッツ類を食べていたのだが、たまたま手にしたのを見なかったら、ピスタチオの殻までかんでしまった。

あわてて吐き出したのだが、その時は気がつかなかった。

しかし、歯の裏側に飛び出した小さな殻は自分では取れなかった。非常に気持ちが悪い。触ると舌が痛い。

これはすぐ歯医者に行かなくてはと、予約なしで診てもらった。結局歯を少し削り除去したのだが、詰め物をする事になった。こうして段々歯が削られていくのかとうんざりする。

時は過ぎ、今年の9月初旬より左上の歯ぐきが痛み歯医者に行った。歯ぐきが化膿したらしく、1か月かかってやっと治ったのが、10月2日だった。

そうしたら、翌日の3日の昼食事に右下奥歯の詰め物が取れ、ついで歯も少し欠けた。
あわてて、詰め物を持って4日歯医者に行ったのだ。年を取り、もろくなってきたかな。

まだ神経がある親知らずで、結局もう少し削って被せるようだ。いやはや、いやな歯だ。

11日、無事詰め物をして終了。女医さんに「親知らずが全部残っていて素晴らしい」と褒められた。

経過観察で18日、クリーニングもしてもらう。
「いい歯並びをしており、虫歯にしたらもったいない」と言われ、3か月毎にメンテナンスするように言われた。

西新宿最新情報そのA   散策・ハイキング

9月中旬、所用で新宿に出かけた。
新宿西口の安田生命ビルの取り壊しが始まり、その区画が更地になりつつあった。
またここも高層ビルが建つようである。

安田生命ホールには数々の思い出がある。
大学4年生の頃、佐藤親貴(ちかき)先生の門下である竹内親園が主催する「園の会」に尺八賛助出演するよう青木先生から依頼された。

この時、母が絹地で紋付きを作ってくれて(手縫い)、初披露となった。光沢があり、立派な紋付きだ。
後で母から聞いたが、生地がとても厚く、なかなか針が通らなかったと言っていた。

着付けを手伝ってもらい「松竹梅」を演奏した。相手は三絃佐藤親貴、箏杉野雅喬だったが、三曲合奏がこんなにピッタリ合うのは初めての経験だった。

その後、家内と結婚した30歳過ぎ、家内が所属する「飛鳥の会」に賛助出演した。
「千鳥の曲」や宮城道雄作曲「初鶯」である。「初鶯」の話は随分ブログに書いた。

鶯が乱れて飛び交い、私は誰の箏に合わせていいのやら、誠に困った演奏だった。

10月2日、朝9時25分からの日本テレビで「ぶらり途中下車の旅!」があり、太川陽介が出演して東京都庁から出発だった。

そこから私が仕事をしていた西新宿に向かった。興味を持って見ていたら、私が何度も通った「サン理容室」が出てそこで道を尋ね、「だんごのやよい」に行きついた。

名物のおばちゃんTさんである。15年程前に太川が別の場所にあった「やよい」さんを思い出し訪ねたのだ。底抜けに明るく、笑い方が面白い。

Tさんは、あちらこちらのテレビ局に放送されて、記念写真を窓に貼ってある程だ。(当時、私の店で写真の現像を取り扱っていたので、お客さんでもあった)
私も何回かだんごを食べたし、3〜4年前にも訪ねた。

だんごやさんではあるが、裁縫が好きで、家内が上手く出来ないスーツやズボンの直しを何度もやっていただいた。それが丁寧で安いのだ。

今度は10月10日朝のTBSテレビの「がっちり」の番組で、「飲食店30種台所1つで開店!㊙技」として丼丸(どんまる)が出ていた。

下の写真はその丼丸の店舗である。

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実はこの店舗は私が印章店を営んでいた跡地である。
以前も丼丸の写真を出したが、その時から看板が変わっていた。

番組によるとえらい儲けているらしく、2坪で月商200万円もあると言う。
この店舗は4.5坪である。ご飯に海鮮を乗せるだけだから、簡単に出来る。

自由な発想で、店舗によって看板を替えてもよく、営業時間も自由。
だから前回より看板が変わっていたのだ。

私が店を止めて9月でちょうど7年経った。
御覧の如くコロナ禍でも繁盛していた。

中学の音楽室  音楽

毎週土曜日の朝7時前に、NHKラジオで「サタデーエッセイ」の番組がある。

先日、南伸坊が話していたのが、中学の時の音楽教室に飾ってある、クラシックの作曲家達の肖像画の話であった。

通常は年代順に左からバッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンと並んでいる。

私の記憶はここまでか。さらに作曲者名を南伸坊は続ける。

南伸坊は他人と変わっていて、バッハと同じ頃生まれた日本人は誰かと考えたと言う。
それが延々と続くのである。

我らの中学生の時ではそんな事は考えられなかった。ひたすら順番に覚えるだけだった。
面白いのはテストのための覚え方である。

古典派のバッハから頭文字を取って、「バっと、へが出る、ハイ、モー、ベンとう(弁当)」と覚えたのである。これはテストに有効だった。未だに覚えている。忘れられない。

これは級友が言っていた。皆さんはどのように覚えたのだろうか。

作曲家の年代を調べてみた。

バロックとして
バッハ(1685-1750)、ヘンデル(1685-1759)
(調べたところ、古典派のくくりでなくバロックになっていた)

古典派として
ハイドン(1732-1809)、モーツァルト(1756-1791)、ベートーヴェン(1770-1827)

前期ロマン派として
ロッシーニ(1792-1868)、シューベルト(1797-1828)、メンデルスゾーン(1809-1847)、シューマン(1810-1856)、ショパン(1810-1849)、リスト(1811-1886)

後期ロマン派として
ワーグナー(1813-1883)、ヴェルディ(1813-1901)、ブルックナー(1824-1896)、ブラームス(1833-1897)、サンサーンス(1835-1921)、ビゼー(1838-1875)、ムソログスキー(1839-1881)、チャイコフスキー(1840-1893)、ドヴォルザーク(1841-1904)

南伸坊が言っていた同年代の日本人は忘れたが、筝曲家の八橋検校は1614-1685である。
八橋が亡くなった年にバッハとヘンデルが生まれたとすると、日本人も凄い。

八橋検校は「六段の調べ」や「八段の調べ」、「乱輪舌」を作曲した。

日本地図を作った伊能忠敬は1745-1818だから、ハイドンやモーツァルトの時代である。

中学で鑑賞する曲では「ツィゴイネルワイゼン」を作曲したサラサーテ(1844-1908)や、バレエ音楽「ボレロ」を作曲したラヴェル(1875-1937)がいる。


日本の有名な作曲家である滝廉太郎は1879-1903、山田耕筰は1886-1965、宮城道雄は1894-1956だから、ドヴォルザークより後に生まれた事になる。

尺八・琵琶を使って「エクリプス」や「ノヴェンバー・ステップス」を作曲した武満徹(1930-1996)の名前も挙げておこう。


ついでに、中学生の時に英語の曜日も面白く覚えた。
Sunday、Monday、Saturdayはそれぞれ、「すんだわい」「もんだわい」「さつう(砂糖)あーるでい」と笑いながら覚えた。


日本・世界の高層ビル  随想・日々是尺八

東京浜松町に世界貿易センタービルがある。竣工時には日本一の高さだった。
そのビルが取り壊されることになり、6月30日閉館したそうだ。

1970年竣工、高さ152メートル、地上40階のビルだ。
取り壊しの跡地に新ビルが建設され、2027年3月完成予定。

このビルにS社と言う会社が当時あり、勤務していた会社の冷蔵・冷凍ケースはすべてこのリース会社にお願いしていた。

あの頃の経済発展はもの凄く、お互い接待もあり、お陰様でそのビルに登る事が出来た。
打ち合わせの後、銀座のスナックに行きS社の社員が仙台で流行っていると言う「青葉城恋唄」を歌ってくれた。

初めて聞いてその良さは分からなかったが、その後テレビで「さとう宗幸」が歌って大ヒットした。

今、渋谷は高層ビルが軒並み出来ている。

「渋谷マークシティ」は2000年2月竣工。地上23階建て、高さは95.55メートル。
井の頭線の渋谷駅の駅ビルになる。ホテルや能楽堂、レストランもある。

「渋谷ヒカリエ」は東急文化会館跡地に出来たビルである。

2012年3月竣工、地上47階建て。
7階にレストランがあり、東急Bunkamuraのオーチャードホールでの演奏会を聞きに行った時に利用した。

当時、東急文化会館の屋上にはプラネタリウムがあり、中学の修学旅行で星座を見た。
眠くてほとんど見てなかったと思う。
帰りのバスガイドが「上の瞼と下の瞼が仲いいですね」と言っていたのが懐かしい。

会館内の「東急ゴールデンホール」で私達は結婚式を挙げたところでもある。

2018年11月には「渋谷ストリーム」が開業した。地上35階建て。
旧東横線の渋谷駅の跡地に建設されて、渋谷川に沿ってビルが建ち、渋谷川を望んでレストランもある。

このビルへ行くには渋谷駅からぺデストリアンデッキ(橋)を通って行ける。国道246号の上を横切る形だ。

最近、話題になったのが「渋谷スクランブルスクエア」だ。いつか46階にある展望台に行って見たい。
2019年11月開業。高さ230メートル、地上47階。

さらに、東急は「東横店西館」の跡地にもビルを建てる予定だ。2027年竣工予定。

新宿では
1971年竣工の「京王プラザホテル」は地上47階の高さ178メートル。

1974年竣工の「新宿住友ビル」は高さ210メートル。
ビル内には「朝日カルチャーセンター」があり、青木鈴慕先生が教えた生徒が鈴慕会に入会している。

1990年竣工の都庁舎は地上48階建て、高さ243メートル。
丹下健三設計で南館と北館のツインビル。それぞれ南展望室、北展望室があり、都心を一望できる。

2008年2月竣工の「コンシェリア西新宿TOWER'S WEST」は地上44階出ての高さ159.8メートル。黒川紀章設計の高層マンション。

私が自営業していた店のはす向かいにあり、販売時にお願いして最上階モデルルームを見せてもらった。見晴らしは良く目の前に富士山が見えた。販売価格は当時2億円だった。

アメリカに行ってみよう。
1988年10月、「米国流通業視察団」でシカゴに行った時に登ったビルが「シアーズタワー」で、シカゴで一番高いビルだ。シアーズ・ローバックの本社である。

1973年竣工、108階建て1450フィート(約442メートル)。
我々が登った時はもう夕闇で、夜景がとても綺麗だった。

ニューヨークではエンパイヤ・ステートビルに日中登った。
1931年竣工、102階建ての443メートル、展望台は86階(320メートル)にある。

我々はその展望台まで登った。確か途中でエレベーターを乗り換えたと思う。
展望台は外に出られる。高くてちょっと怖い。

目の前には2001年9月11日に、同時多発テロで破壊された「ワールドトレードセンターのツインビル」がそびえ立っていた。建設当時は世界一のビルだった。

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記念にエンパイアヤ・ステートビルの模型を買って来たが、何故か頂点のタワーが欠けてしまったのは残念だ。

アメリカの地図も買って来たので、ニューヨークのマンハッタンのページを下にして写してみた。

ついでに2016年7月、シンガポールの旅行に行った時のホテル「マリーナ・ベイ・サンズ」は2011年2月開業、高さ191メートルの屋上にプールがあった。

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船をイメージしており、プールに入って下を見ると、ゾクッとした。

百貨店の終焉か  随想・日々是尺八

新聞によると、新宿西口にある小田急百貨店本館は2022年9月末に営業を終了と発表した。
つまり来年である。

西口再開発で跡地には地上48階、高さ260bの高層ビルが29年度に完成予定。ビルに小田急百貨店が入店するかは未定だそうだ。

現在の本館は14階建てで1967年に開業し50年以上経った。
私が新宿に勤務の頃は地下食料品、文房具、催事、レストランなどを利用した。

隣接する新宿西口ハルクに食料品などは移転するようだ。

同じ頃に建設された近くの京王百貨店も同じような経過をたどるから、いつ建て替えをするか分からない。

一方、東急百貨店は2023年春以降、東急本店の解体作業に着手すると発表されていた。

跡地には東急電鉄、東急百貨店、LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)グループの3社によって開発を進める。

隣接するBunkamuraも大規模な改修工事をする。
東急百貨店はすでに渋谷駅前の東横店を2020年3月末に閉店している。

東急百貨店での思い出は尽きない。

私が結婚を決意した時に、東急本店8階のレストラン「コートダジュール」は私の両親と、家内の両親の顔合わせをしたところだった。

Bunkamuraの大ホールで横山勝也の尺八と、鶴田錦史の琵琶による「ノベンバーステップス」を家内と聞きに行ったこともあった。

作曲は武満徹で開場前にロビーで見かけ、私は家内に知ったかぶりで「あれが武満徹だ」と指をさしてしまったところ、武満氏が気が付き、お辞儀をしてくれた。

面識はなかった。今でも思い出すと可笑しい。

私が20代の頃は未だ東横百貨店だった。
東横店には「東横ホール」なる大きなホールがあって、よく落語なども開催されていた。

ある時、青木鈴慕先生に推薦され、箏の社中の賛助出演に呼ばれて、その東横ホールにて宮城道雄作曲「高麗の春」を演奏した事があった。

とにかく大きなホールだったので、演奏していても音が散って、迫力を全然感じ無かった事だけは覚えている。

八王子の駅ビルも「そごう」だったのが、今は「セレオ」である。
府中も伊勢丹が閉店して、専門店街になった。

今、百貨店の独自の営業は難しい。
元々テナントに貸して、食料品は「のれん街」やレストランなど他店に任せている。
社員が専門性を身につけるのも大変である。

今や「ユニクロ」「ビックカメラ」「無印良品」「ロフト」「ダイソー」だらけで、代わり映えがしなくなって来た。

家庭菜園とその経過  趣味

今年(令和3年)の家庭菜園の様子です。

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これは枝豆である。手間が余りかからないから毎年枝豆にして、ビールのお供にしている。5月12日に種を蒔き、6月中旬こんなに大きくなりました。

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7月11日の撮影。そろそろ食べ時である。
7月18日に30個ほど試しに収穫。未だ皮が硬かったが旨さはある。

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こちらはブドウ棚(スチューベン)である。少しづつ大きくなっている。
今年は、思い切って剪定したのが良かったのか、気候に恵まれたのか、出来が良さそうである。これから摘房を繰り返し、7月に袋掛け、8月に収穫の予定である。

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このスチューベンは義父の頃からあったのを、私が引き継いだ。7月11日撮影。最初はブドウ棚は無く、このように曲がって育ってしまって、苦労してブドウ棚に這わせたのである。義父は袋掛けをしなかったから、鳥が食べ放題だったらしい。

このブドウ棚は何年経っているのだろうか。裏側の上部横木の丸太が腐って垂れて来たので、応急処置として、支柱を何本も束ねて上に缶からを乗せて支えたのである。分かるかな?

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7月10日いよいよ房が大きくなって来て、一部茶色く色づいて来た。
もうこうなると鳥が目ざとく食べにやって来る。鳥と競争である。

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邪魔な枝を剪定しようと気を付けて枝を切ったつもりが、この通り立派なブドウを切り落としてしまった。

今年は出来が良かったので、房が二手に分かれた物は片方を剪定した。小ぶりも選定したから、かなりの量を剪定した事になった。

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7月16日に袋掛けを始める。毎年100枚は買って来るのだが、それ以上のブドウである。
昨年のきれいな袋も再利用して、今年は数えながら袋掛けをしたところ、115枚だった。

このブドウ棚は八王子市のシルバー人材センターにお願いしたのだが、ご丁寧に上部横棒の間隔が狭く、一本置きに外しながら袋をかける。

そうしないと高いところは脚立を使用するので、頭が上に出ない。結構苦労するのである。簡単では無いから農家の苦労が分かる。

今年は房がしっかり出来ており、十分満足出来る。収穫が楽しみである。

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こちらはアガパンサス。手前はもう散ってしまったが紫蘭である。
写真には写っていないが、今年も白ユリ、スズラン、アジサイも綺麗に咲いてくれた。

飯田市の紹介  随想・日々是尺八

自分のブログを見ると、追加したい事が次々と出て来るので、一度アップしても毎日のように日付けが変わる。

今年1月の事であるが、テレビ朝日の「ナニコレ珍百景」に飯田市のトマツ本店の「逆さから読むとエッチな言葉」として、トラックに書いてある「ヨイタネトマツ」(良い種トマツ)が紹介された。(残念ながら私は見逃して、妻から聞いた話)

確かに逆さから読むと「ツマトネタイヨ」である。

この会社は創業100年以上になる、種苗販売店である。
当時は松尾町に昔からあり、大正8年生まれの母が女学校の頃から、そこを「可笑しい」と笑いながら通ったと話していた。

私も高校の頃、ここを通る事があり、店の上に掲げられた大きな看板に筆字で左から「ヨイタネトマツ」と書いてあったのを確認している。

飯田市の事が話題になったので、ここに飯田市の概要を記そうと思う。

飯田市の面積は658.66平方キロメートル、人口96,255人(2021年5月現在)である。

手元に「飯田市の観光ミニ事典」がある。サブタイトルは「りんご並木と人形劇の街」になっている。

この本は、亡き母が飯田信金のコラムに応募して掲載された時の、謝礼だった。
巻頭を飾るのは岸田國士(くにお)の「飯田の町に寄す」で次の通り。
 
「飯田美しき町 山近く水にのぞみ 空あかるく 風におやかなる町。飯田静かなる町 人みなことばやわらかに 物音ちまたにたたず 粛然として古城のごとく丘に立つ町。飯田ゆかしき町 」以下略

岸田は戦争中の昭和20年頃、飯田(当時は鼎町)に疎開して、その娘女優の岸田今日子は現在の飯田風越高校に通った。

飯田市は、江戸時代飯田城(長姫城)を中心にした城下町(旧飯田市)である。
街並みは碁盤の目のようで、小京都と呼ばれている。

城下町だけあって、町名には追手町、馬場町、伝馬町、小伝馬町、銀座などがある。

旧飯田市は河岸段丘の上にあり、遠くに南アルプスの赤石岳(3121m)や聖岳(3013m)が見え、近くには風越山(かざこしやま・ふうえつざん)(1531m)や虚空蔵山(1130m)がある。

河岸段丘の下には松川が流れ、やがて天竜川にそそぐ。

以前は暴れ天竜と言われ急流だったが、下流に佐久間ダムが出来て、少し穏やかになった。天竜下りは有名である。

以前は市田から天竜峡まで1時間30分だったが、今は弁天港から時又港(35分)と、天竜峡温泉港から唐笠(50分)まで行く。

いつの事であったか、舟会社は2社あり、その内1社に我が家の2階を事務所として貸していた。
ガイドさんの名調子を我々家族もそらんじて、今でも言える。
ただ、たった一人のおじさんがふすまに頭髪のポマードをこすりつけて臭く、その上汚して母が愚痴ていた。

飯田市は南信州で下伊那郡に入る。
長野県歌の「信濃の国」はいい歌だが、下伊那にもいい歌がある。

「下伊那の歌 その1」は元気が良く今も歌われているらしい。
「赤石は山並み青く 天竜は川並み白く 母のくに 母のくに 伊那は故郷ーーー」

「下伊那の歌 その2」は静かで落ち着いた曲調だ。
「山紫に水遠く 南の風の吹き香る 揺籃の地をーーー」

これらの曲は作詞を募集して作られ、我々は中学校で習った。
この「その2」の作詞は、我々の追手町小学校の校長先生の池田寿一氏だった。
詩の解釈が難しく、余り歌われていないようだが、いい歌だ。

飯田市の市歌があるかと検索したが、「飯田市歌」は私の知らない曲だった。
私がそらんじているのは、次の通り。
「山はアルプス赤石の 峰に輝く白雪を―――我らが飯田」
多分これも中学で習ったと思うが、検索出来ない。

小学校は飯田市立追手町小学校に通ったが、1872年設立だからもう150年近くになる。
校舎と講堂が2005年、国の登録有形文化財に登録された。

1961年NHK唱歌コンクール小学校の部で全国1位。課題曲は「わかいおじさん」でYouTubeで聞ける。確かに上手い。

追手町小学校の校歌が良い。
「長姫城の名に残る 昔のあとは変われども 今ぞ栄ゆる学び舎の 庭の教えも年事に 進みゆくこそうれしけれ」

飯田、下伊那地区は赤石山(岳)、風越山、天竜川を歌詞に入れるのが定番である。

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飯田高校の校庭から望む風越山。

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飯田病院の2階から望む風越山(左)と虚空蔵山。

飯田市立東中学校の校歌は
「暁の空澄み渡り 若草もゆる東野に 風越山の風そよぐーーー」

飯田高校の校歌も紹介しよう。
「赤石山は巍巍(ぎぎ)として 我が南信の骨をなし 天竜川はいだとして 我が伊那郡の血を成せり―――夏風越(かざこし)の青嵐ーーー長姫城の秋の月ーーー」と歌われる。

ブラバンでライバルだった飯田長姫高校(現飯田OIDE長姫高校)も是非紹介したい。
1954(昭和29)年、春の選抜高校野球で光沢毅投手を擁して全国大会優勝。彼は「小さな大投手」と言われた。ほとんどの家庭でラジオを聞き、町なかが静かだったと父は言っていた。パレードがもの凄かった事は写真に残っている。

飯田市は1947(昭和22)年、4月20日大火に覆われ、旧市内をほとんど焼き尽くした。我が家は火元の西側にあり、火事にはならなかったようだ。後年、酒田市で大火があった時に、過去の大火として飯田市が新聞に載った。

1961(昭和36)年6月、三六災害に見舞われた。私が中学1年生の時だった。我々は通称、三六災(さんろくさい)と言う。
今で言う線状降水帯(集中豪雨)であろうか。

町の道路は川になり、今宮球場は土砂で埋まり、川は氾濫。浄水場も土砂で埋まった為、自衛隊が給水車を出した。私も自宅前の給水車で水を汲んだ覚えがある。

通っていた東中学校の校庭は自衛隊のヘリポートとなり、授業中はパタパタとしばらくうるさかった。

飯田名物に「りんご並木」がある。
横一線にりんご並木の通りがあり、りんごの木が中央に植えられていて、東中学生の「緑化部」が草を取ったり、管理している。(実際の消毒や袋掛けは業者)

昭和22年の大火のあと、東中学の生徒達の「自分達の手で美しい街並みをつくりたい」の気持ちから誕生し、「誰もりんごを盗まない」など美談になっていると我々は道徳で習った。
収穫したりんごは給食で食べた事がある。

1975(昭和50)年、中央道の飯田インターチェンジが開通して、新宿までつながった。
従って、それまでは飯田駅からJR急行「アルプス」で上京したのが、中央高速バスに代わった。

新宿バスタから飯田駅前まで約4時間ちょっと。陸の孤島と言われる所以である。
私がつきみ野に住んでいる頃、新宿駅からつきみ野駅がこれ又、1時間30分位かかった。

今、リニア中央新幹線が話題である。工事はかなり難航、様々な問題を抱えている。
私の生存中に出来るか分からない。出来たら神奈川県橋本駅から長野県駅の飯田まで15分位らしい。夢のような話だ。

中央道掘削時に温泉が噴き出し、昼神温泉郷が出来た。

旧南信濃村の遠山郷も飯田市になり、静岡県と隣になったとは驚きだ。
未だ下伊那には飯田市より南に阿南町、下條村、阿智村、平谷村、売木村、天竜村などがある。

俳優・タレントの峰竜太は下條村出身である。

飯田、下伊那は伝統芸能が盛んで「大鹿歌舞伎」は映画になったし、遠山郷の霜月まつり、人形浄瑠璃の黒田人形座・今田人形座は有名だし、「いいだ人形劇フェスタ」は毎年夏に行われ、世界から演者が集まる。我が家も子供を連れて見せた事もある。

6年に一回お練り祭りがある。申年と寅年だから、来年3月末の3日間に実施予定らしい。
街を挙げての大騒ぎとなる。5年前にブログに書いたところ、知人がわざわざ日帰りで行って来たと聞かされてびっくりこいた。

私は毎回ほとんど見に行っている。親類も集まって来る。友人にも会える。

各地区から出し物があり、「東野大獅子」は毎回追っかけ、銀座商店会は「次郎長踊り」、本町三丁目は「大名行列」だ。

私は中学1年時に妹と「大名行列」に参加した。私の実家は正真正銘の本町三丁目だからだ。その時は鉄砲隊でただ歩くだけだった。

飯田を語る時に忘れてはならない事は、地場産業である。
水引は日本一の生産量を誇る。落語「文七元結」の話の元となった「桜井文七」の墓は長昌寺にある。

城下町だったので和菓子が美味い。どこの和菓子でも美味しいが、特に有名なのは東京銀座歌舞伎座の地下でも売っている「和泉庄」の「名代大きんつば」は甘過ぎない。

東京の百貨店の催事で出店したのは、和泉庄の他、春月の「おたふく豆」、京王ストアのチラシに載った「いと忠」の「巣ごもり」は私も買って来た。

さらに有名なのは市田柿、五平餅、馬刺し、おたぐり(馬のモツ煮)、蜂の子など。
おたぐりは実家の町内の「三ツ輪食堂」で食べられる。

蜂の子は缶詰になっており、高級品故に我が家ではお正月にお客さんに出したり、炊き込みご飯にして食べた。珍味でタンパク質が取れる。

大学生の頃、友人が遊びに来た帰りに蜂の子缶詰を土産に上げたところ、開けてびっくりして捨ててしまったと聞いて悲しくなった。

戸田屋の半生菓子は時々スーパーで見かける。かなりのシェアーらしい。

地酒は喜久水で、名水百選に選ばれた「猿庫の泉」の名前そのものや大吟醸「聖岳」などがある。地元の宴会で飲む日本酒はほとんどが喜久水である。

実家に帰った時には時々買って持ち帰る。一時期、銀座のアンテナショップ「長野NAGANO」で販売していて購入した事もある。

飯田市が日本一を誇るのは、未だある。
人口1万人あたりの焼き肉店が日本一なのだ。私が小さい頃、親父は良くジンギスカンを食べていた。

最近、新宿東口に「焼肉ジンギスカン飯田屋」が開店したはずなのに、コロナ禍だろうか、もう閉店したそうだ。

遠山郷のジビエ料理「鹿肉」「猪肉」などの鍋は、時々テレビで紹介される程だ。
いつも我々が泊まった「島畑」のおじさんが出るので、笑って見ている。

年を取ると望郷の念が募るんだに。




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