沢井忠夫とお風呂  音楽

今回は沢井忠夫との関係を書いてみよう。

筝曲家・作曲家の沢井忠夫(1937〜1997)は、その頃ゴールドブレンドのCMで有名であった。

私が大学4年の夏休みの頃、青木鈴慕師に誘われて信州小諸の二葉楽器店主催のニ泊三日合宿に行った。
尺八の講師が青木鈴慕、箏が沢井忠夫、三絃は太田里子らであった。
最初は各パートに分かれてレッスンを受けた。曲目や合奏練習は忘れたが、先生らの模範演奏では、沢井忠夫の「手事」の演奏が凄かった事を覚えている。激し過ぎたのか糸が切れてしまって、すぐ箏糸を張り替えて演奏をし直した。

いつも舞台を見ている時は立派で大きく見えたので、風呂場で一緒になった時、つい「先生はもっと大きいと思いました(背が高い)」と言ってしまった。

次にお会いしたのは、これも学生の頃、W大の友人と沢井忠夫先生宅に伺ったのである。
友人に誘われて行って先生と話している時に奥様もおられて、最初はお茶でも飲んでいたと思う。
その頃、山本邦山と「琴セバスチャン・バッハ」というレコードを出しており、その楽譜を譲ってもらう為だった。
友人は話し好きで、いろいろ話して長くなり夕暮れになった。
当時坊やだった息子さんがぐずり、沢井忠夫先生は「うるさい」と言って彼を外に出して、窓ガラスの鍵も閉めてしまった。申し訳ないと思った。
その上、夕食までいただいたのである。
そこでバッハの「メヌエット」などの楽譜をいただき、W大の新入生のオリエンテーションで友人と演奏した。
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        琴セバスチャン・バッハのレコード

これ又学生の頃、京都で「現代邦楽の祭典」的な演奏会があり、箏は沢井忠夫・一恵夫妻他。
尺八は青木鈴慕師と橋本竹咏(当時は和夫)と私であった。鈴慕師不在の練習時の調絃で尺八のロ(ろ)を吹いた時、音が不安定で沢井先生ににらまれた時はこわかった。プロは凄いと痛感した。

1976(昭和51)年6月、私の尺八リサイタルに招待状を差し上げたところ、代理の人が来られて、沢井先生からと祝いの品をいただいた。これは「足跡形のネクタイピン」で 奇妙奇天烈というか、本当にユニークで遊び心のあるもので、沢井先生の面白さを感じた。
もちろん、これをしばらく愛用していた。沢井先生がお元気ならば、いつかお見せしたいと思っていた。
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あれから何十年経ったであろうか。(たぶん私が40歳の頃)
尺八三本会(青木鈴慕・山本邦山・横山勝也)のメンバーがカラオケ大会の為に関係の先生方や各弟子を集めた時、私は当時某百貨店に勤務していた為、学生の頃の無礼をおわびしようと思って「商品券」を持参して沢井先生にお渡ししたところ「君!もう時効だよ」と笑いながら、やさしく言っていただいた。

ご自宅訪問時は本当にお忙しかったろうに、無礼だったと思う。もう沢井先生はいない。




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