牧野由多可作曲「相剋」の初演  音楽

牧野由多可(1930〜2005)は日本を代表する洋楽系の作曲家であり、特に邦楽作品には現代的な発想で取り組み「茉莉花」「琉球民謡による組曲」「春の海幻想」等の名曲が多い。その他たくさんの曲があるのだが、私は四重奏曲「相剋」の初演に恵まれた。

1971(昭和46)年3月、大学を卒業と同時に第17期NHK邦楽技能者育成会に合格したものの、夏休み前にリタイアしてしまった。
同期の尺八仲間には、三橋貴風・橋本竹咏(和夫)もいた。彼らは大学の4年生だった。

17期生は1年間勉強後に同期で邦楽グループ「宮」(キュウ)を結成して、何回か演奏会を開催した。
私は卒業出来なかったが温情により、仲間に入れていただいた。
そうした中でグループは新しい曲を牧野由多可に依頼した。直接の担当者は三橋貴風だったが、何故か尺八の初演は私だった。1977(昭和52)年の事である。

「相剋」は第一箏・第二箏・十七絃・尺八の四重奏曲である。
斬新な作曲法により、独特のメロディーとリズムで心地よく演奏出来た。
中間部には曲名のとおり、まさに戦いを思わせる各奏者のアドリブ任せの部分があり、その後は一体化して行く。必死で演奏した事を覚えている。

この時の様子を、「邦楽の友」の雑誌に長尾先生が批評している。

『牧野由多可の極めて流動的かつ魅惑的な新作(この人の「風」を超える佳作である)を箏町田徳、宮倉さよ子、十七絃熊木早苗、尺八北原静淳(鈴淳)で初演した最終曲目などはかなり立派な舞台で、特に町田徳の澄んだ感性と技巧には、将来注目すべき才能が十分示されていた』とある。大変うれしい批評であった。

練習にも牧野先生はお見えになったが、特に注文はなかった。
当日のプログラムには「私の若い友人の三橋貴風氏からの依頼で作曲----」とあり、私は後ろめたさを感じていた。
これは何故、私が初演者だったのか不思議で長く疑問であった。

最近、三橋貴風に聞いたところ、彼はすでに箏の大嶽氏と別の曲を演奏する事に決まっていたから、譲ってくれたみたいだった。いわばグループとして依頼したという事だろう。

その後、何ケ月か後に「さわらび会」の演奏会でも「相剋」を演奏されて、尺八は宮田耕八郎だった。私よりさっぱりと演奏していた。

私は、この曲を気に入っており、いつか再演したいと思っていた。
初演から15年経った1992(平成4)年9月、鈴慕奨励会でもう一度この曲に挑戦してみた。

この時、牧野先生に招待状が届けられて、当日お見えになった。
この曲はあまり演奏されていなかったようで、牧野先生は「何故、相剋は余り演奏してくれないのかな?」と首をかしげていた。
初演者の私の演奏がヘタだったのかも知れない。

もう、この曲は誰も演奏しないのかなと思っていたら、2012(平成24)年、第5回牧野由多可作曲コンクール発表会で尺八は、私も面識のあるブルース・ヒューバナー氏が演奏したと雑誌で知った。

もっと演奏される事を切に願う。




※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL





AutoPage最新お知らせ