2015/10/5

ブラバンでユーホニューム  音楽

小学校5〜6年では器楽班に入り、小太鼓を叩いていた。だからリズム感はあると思う。
クラスごとの音楽会の器楽合奏では母に習って「金婚式」のオルガンを弾いた。

中学2年の時に吹奏楽班が出来て、入部した。担当の楽器を決める時に、小太鼓は一つ下の後輩がうまく、とても無理だった。トランペットは鳴りにくく(私は唇が厚くマウスピースからハミ出した)結局、鳴りやすかった低音楽器のユーホニュームを選んだ。小バスである。

ユーホニュームは、ユーホニアムとか、アニメにあるように「響け!ユーフォニアム」とか表示される。

練習では、ヤマハ楽器から津金五郎なるカリスマ先生が見えて、熱血指導してくれた。
独特の指揮法で、解りやすく、面白いように上達した。
だが、その後の発表演奏会で「浜辺の歌」を演奏した時、母が聞きに来て「ヘタで音痴で泣けてきた」と言われた。無理もない。2〜3か月じゃあ上手くならない。

高校に入ってもユーホニュームを担当出来た。ブラバンと言えば大概、行進曲であり、「海兵隊」に始まり、日本の「君が代行進曲」「軍艦マーチ」などから、スーザ作曲の「星条旗よ永遠なれ」「エル・カピタン」「美中の美」「雷神」「ワシントン・ポスト」、タイケ作曲「旧友」など、かなりの曲を演奏してきた。
いまだにメロディーは浮かんできて、楽器の指使いが自然と動く。

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写真の左側は中学生の時に最初に買った「日本行進曲集」の陸上自衛隊中央音楽隊のレコード。何回聞いたか解らない。右側はアメリカ・ミリタリーバンドの行進曲集で、主にスーザ作曲の曲が入っている。

ユーホニュームは対旋律と言って、トランペットやクラリネットが主旋律を演奏する時に、違うメロディーを演奏するので、これが結構カッコ良いのであり、経験者なら誰でもそう言うであろう。

同僚のH君は作曲の才能があり、テレビの主題歌「鉄腕アトム」や歌謡曲を片端から編曲して、野球の応援でも演奏した。私は「君といつまでも」を球場で立ち上がってソロ演奏した事もある。

文化祭では「べサメムーチョ」がユーホニュームのソロで、ほとんどスタンドプレーだった。独奏部分はカデンツァと呼ばれるが、本当に難しかった。

1965(昭和40年)年、高校2年生の時の吹奏楽コンクールの課題曲はブルック作曲・歌劇「パリスとヘレナ」序曲で、自由曲はシベリウス作曲「フィンランディア」だった。
優れたメンバーが揃っており、長野県大会で25人編成以下の部で見事優勝した。

3年生の時の課題曲は大栗裕作曲「吹奏楽のための小狂詩曲」で、この時の全国大会で優勝したのは天理高校でYouTubeで見られる。

便利な世の中になったもので、すっかり忘れていた曲目がネットで調べれば、音源まで検索出来て、まさに50年振りに曲と再会したのである。

その後、わが母校の編成はかなり大きくなり、オーケストラ的になった。
いつか演奏会のお知らせがあり、聞きに行ったところ、私達とは比べ物にならない位うまく、女性も増えていた。ジャズ的な曲も軽やかで見事だった。
大編成になってしばらく経つが、今年は長野県大会で最優秀になり、東海大会で銀賞だったようだ。

新宿に勤務している頃、新宿三井ビル広場で「木曜コンサート」が昼に時々あり、無料で聞けた。コンサートは継続している。
ほとんどが自衛隊のブラバンで、陸上自衛隊や海上自衛隊など行進曲やポップス、ラテン、アニメソング、ディズニーメドレー等の演奏を得意としている。
「エル・クンパンチェロ」を楽しそうに演奏していると、こちらまでが楽しくなる。
海上自衛隊の演奏では歌姫の「三宅由佳莉」さんの歌を聞いたとき、素晴らしいと思った。その後、立て続けにテレビに出演していたから、知っている人もいると思う。

1964年の東京オリンピックの時の古関裕而作曲「オリンピックマーチ」を、2020年東京で開催が決まった時に随分聞いた。まずトランペットのファンファーレで始まり「オリンピックマーチ」を聞くと、あの時の事を思い出す。私は高校1年生だった。私たちも練習をした。
いつ聞いても感動・感激する。けだし名曲である。

ブラバンのお蔭で、簡単な五線譜なら初見で尺八演奏できるのはうれしい。

古関裕而(1909〜1989)は「若鷲の歌」など戦前は軍歌で有名だが、早稲田大学の応援歌「紺碧の空」や、NHKスポーツ番組のテーマ曲「スポーツショー行進曲」や、夏の甲子園大会歌「栄冠は君に輝く」、NHKラジオ「ひるのいこい」と「日曜名作座」のテーマ曲など幅広く使用されている。
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