2015/11/6

尺八仲間と合宿  音楽

私が大学3年生だったから、1969(昭和44年)年の時だった。

私のM大一つ先輩のS氏、2年生のS大のK君、1年生のM大のY君、H大のA君と私の5人で、渋谷のJ女子大の筝曲部定期演奏会に賛助出演することになった。
我々は琴古流で、A君のみ都山流だったが、違和感はなかった。

S氏が関東学生三曲連盟(関学三)の委員長を務めた関係で、J女子大との縁が出来たようだ。
その人脈で他大学の尺八演奏者でも気に入った者を集めて、グループとして出演することになった。

賛助出演の曲目は、我々5人で山川園松作曲の「抒情詩曲」「夏の組曲」「稔りの秋」とS氏のもう一曲だった。筝曲家の山川園松だが尺八のメロディが抒情的で、大変美しい。演奏しやすく気に入っている。
その後、山川園松と縁が出来て、作品発表会のスコアをパート譜に移し替える写譜をする為、ご自宅に何日か通った事もある。一人住まいの私にとって昼食に出されたカツ丼は、最高の美味しさだった。

J女子大は定期演奏会の練習の為、夏合宿を長野県蓼科で行った。我々も一緒に合奏練習だと言って、合宿に参加した。

ホテルは別のホテル(我々は横谷温泉)で練習して、箏の合宿所に出かけ何度か合奏練習をした。当時はミニスカート全盛の頃で、尺八は後ろ側に座るので、目のやり場に困ったものだった。

我々のホテルにはT大学オーケストラ部も合宿しており、偶然だが私の高校のブラスバンド部の後輩も来ていた。彼は打楽器で高校と同じであった。打楽器を極めたかに思ったが、卒業後随分経って飯田市で会った時は「学校の先生をしている」と言っていた。ただ細かった体型がすっかり変わっており、びっくりした。

とにかく楽しい合宿だった。

無事、合奏練習を終え、東京までの帰りは何と、J女子大と同じバスに乗り、当時流行った由紀さおりの「手紙」を歌いながら帰京した。

秋の定期演奏会は、もちろん大成功であった。

のちにK君とA君は関学三の委員長を務めた。

その後、皆卒業してA君は北海道に戻った。
私はA君を訪ねて27歳頃、北海道の旅行をしたが、さらにその後、彼の結婚式の披露宴にも参加して尺八を演奏したが、これは後日記載する事にする。

あれから、46年も経つのにA君が上京する度に連絡があって、皆と会うのは不思議な縁だ。
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