三木稔の思い出  音楽

作曲家、三木稔(1930〜2011)は81歳で亡くなられた。

万年青年のような三木稔には、学生時代に何回かお会いし、さらにご自宅に伺った事もあった。

洋楽系の作曲家でありながら邦楽作品を数多く作曲されて、ほとんどが有名な作品であるような、凄い作曲家だった。作品はオペラ、マリンバ、合唱曲、映画など多岐にわたる。

恥ずかしながら、今現在その作品のリストを見て曲名だけは知っている曲が多い。

最初にお会いしたのは、現代邦楽が盛んになっていた頃の大学の3年生の時だった。
三木稔は、日本音楽集団を中心として活躍しており、盛んに定期演奏会では新作を発表していた。

1966年には「古代舞曲によるパラフレーズ」1967年には「四群のための形象」を作曲しており、私は演奏会には良く行っていた。

何しろ、我々尺八吹きは古典曲が中心だから、つまらなさを感じていた。そこに現代邦楽にカッコ良さを見付けだし、定期演奏会に冒険をしたくなっていたので、無謀にも「四群のための形象」の楽譜が欲しかった。
我々の定期演奏会は12月であるから夏休み前のことで、もしかしたら間に合うかも知れないと思ったのである。

そこで、狛江の三木先生宅にM大三曲研究部のK君と共に伺った。面白いことに表札は15p位のいびつな輪切りの木で、真ん中に三木稔と書いてあった。

この時にお願いして「四群のための形象」と「グリーンスリーブス」の楽譜をいただいた。
ただし、この「四群のための形象」は我々では技術的に難しく、大太鼓などいくつもの打楽器も無理だと判断して定演ではしなかった。

1969年には二十絃箏の野坂恵子による「天如」(てんにょ)を発表。その演奏を私はNHKFMで聞いて大変感激して三木稔に手紙を出した。
後日、たまたまW大の友人と三木稔にお会いするため、レコード会社のスタジオに伺った。
ちょうど「天如」のレコード化の編集中だったところを見せてくれた。

その時、「天如」の手紙の話が出て「それは私です」と言ったところ「君だったのか」と言われた。

その後、NHK育成会同期のメンバーを中心とした「生韻」(しょういん)と言うグループを作り活動をしたが、「劇団三十人会」の新宿紀伊国屋公演で秋浜悟史作の「おもて切り」(1971年12月17日〜23日)の劇伴に出演した。

劇中歌の「南部よされ節」や秋浜悟史作詞、三木稔作曲「我鬼」(1970年)を尺八伴奏した。

我鬼の詞は「父と母と子は何日も歩き続けた。逃亡だ。脱走せねばならぬ。山越えの道は、しつっこく険しく曲がりくねって回帰するが・・・」今でもそのメロディーは覚えている。

その後割とすぐに何の縁かは忘れたが、M大の「さわらびコール」と言う合唱団に頼まれて「我鬼」の尺八伴奏したこともあった。
どこでこの曲を知ったのだろうか。
不思議な縁だった。




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