2016/8/20

オリンピック雑感  スポーツ・健康

今年のリオデジャネイロのオリンピックで、日本は目覚ましい活躍ぶりで毎日快進撃が続いた。
(金メダル12個、銀メダル8個、銅メダル20個の合計41個だった)

予想通りの金メダルもあれば、予想外の活躍もあり、テレビを見るのが楽しかった。
何故かいつもより早めに寝て、午前5時頃には起きて生の演技を再三見られた。

やはり感激したのは、卓球女子団体戦である。3人のチームワークよろしく銅メダルは立派だ。
さらに男子団体も負けじと、銀メダルは予想以上であった。
いつもはハラハラして見ないけれども、今回はしっかり見た。

私も卓球を久しぶりにしたくなり、近くに住む義弟宅に行って卓球をした。何しろ小学校5年頃には自宅2階に卓球台があり、友人を呼んで卓球を良くしたものだ。
中学1年次には卓球クラブに入って、強くはないがそれらしい事はした。
しかし、愛ちゃんにはかなわないが、ある程度は勝てる。

オリンピックの詳細はテレビ、新聞に任せるとして、私の思い出を書こうと思う。

我が家にテレビが来たのは高校1年の、東京オリンピックの時だから、やはりオリンピックの思い出は東京からという事になる。

特に体操男子の遠藤幸雄の個人総合と男子団体の金メダル、バレーボール女子の金メダル、男子マラソンの(裸足の)アベベや円谷、柔道の無差別級のヘーシンク、体操女子のべラ・チャスラフスカが印象的だった。

東洋の魔女と言われた、バレーボール女子チームは「鬼の大松」監督に導かれ、河西昌江を主将として、厳しいスパルタ式練習が有名である。ここで日本らしい「回転レシーブ」が生まれた。

大松監督の「俺についてこい」や「成せばなる」の名文句で、ついに優勝した。

体操男子の演技でアナウンサーが連発した「これもウルトラCです」が未だに耳に残っている。
演技の難易度で、今回のリオでは「ウルトラC」どころか、最高難度はH難度だから相当難しくなっている。

べラ・チャスラフスカは1942年5月生まれのチェコ出身で「オリンピックの名花」と言われ、個人総合優勝をした人である。当時22歳。
この名前を、親父はなかなか覚えられず、「チャフラフカフカ」と言って何度教えてもダメだった。

(後日談=チャスラフスカさんは8月30日、74歳で亡くなった。ご冥福をお祈りいたします)

東京オリンピックの開幕は、陸上自衛隊を中心とする「ファンファーレ」で始まった。
この曲は、公募により諏訪交響楽団の指揮者だった、今井光也作曲である。
正式には「東京オリンピック・ファンファーレ」であり、30人で特注の長いトランペットで演奏された。

たった8小節の短い曲であるが、中身は濃い。
変ロのユニゾンで始まり、5小節目で四声に分かれてヘ短調の主和音で終結する。

YouTubeにて「東京オリンピック・ファンファーレ」や続けて「東京オリンピック・マーチ」も聞ける。
ファンの中には2020年の東京オリンピックにも、この曲を演奏してほしいと言う要望もあるようだ。私も名曲だと思っている。

しかし、尺八を演奏している手前、今度は尺八で「ファンファーレ」はいかがであろうか。
或いは、箏や津軽三味線での共演もいいかも知れない。誠に日本らしい。
しかし未だ、開会式の演出者が決まっていないらしい。

さらに、私が気に入っているオリンピックのファンファーレは、1984年ロサンゼルスオリンピックのファンファーレであろう。

この曲はジョン・ウィリアムズ(1932年2月〜)作曲で「ファンファーレとテーマ」がその年のグラミー賞を受賞している。
その当時、甥が気に入ったらしくそのCDを購入して聞かせてもらった。

最近の開会式は1964年の東京オリンピックみたいに整然と行進しない。
閉会式はどこもバラバラで入場するが、その東京の時は選手を式典で待たせる間に、酒をふるまったので選手は陽気になったようである。

しかし、東京オリンピックのように開会式は整然と行進してもらいたいのは私一人だけであろうか。
どこかの国なら、100点満点の一糸乱れぬ大変立派な行進をするであろう。

「東京オリンピックマーチ」を作曲した古関裕而は「会心作だ」と言い、内外でも評価が高かった。
最後のメロディーに日本らしく「君が代」を入れたのを、皆さんはご存じであろうか。
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