皆さんお聞き及びかもしれませんが、ことしの3月に8組塩瀬さんが名古屋大学大学院で労作「越前若狭における渡来系伝承の研究」で博士号を取得されました。
博士号取得とその博士論文が製本されたこと、塩瀬さんのここ数年の苦労が報われたものと思います。心からお喜び申し上げます。
その博士論文を見せていただいて、ぜひ皆様に紹介いたしたくなりました。塩瀬さんにこのブログでの紹介をお願いしましたら、お許しとともに、丁寧な挨拶までいただきました。ほんとうにありがとうございます。
みなさん、ぜひ一読ください。
最後に、このことのブログへの投稿が管理人の都合で、大幅に遅れてしまいました。塩瀬さん、申し訳ありませんでした。
管理人
皆様こんにちは。暑い日が続いておりますが、お変わりなくお過ごしでしょうか。
つきましては郷土資料としてまとめたものを製本致しましたので、ご案内をさせて頂きます。
タイトルは『越前若狭における渡来系伝承の研究』です。
このテーマに当たってみようと思いましたのは、郷里・越前若狭の海岸に打ち上げられた大陸からの漂着物を目にしてロマンを感じていたこと、福井の方言のイントネーションが、周りで「韓国語と似ている」と話題になったことがきっかけでした。県の海岸の大勢を占める若狭湾は、日本海地方で最大の凹部地形であるため、人や物の帰着がより頻繁に起こったのではないかと考えました。
日本の歴史や文化において渡来人のもたらした影響は大きく、その過程において列島の人々との様々な接触が考えられます。人々はある時は受け入れ、ある時は拒否、またその両極間の葛藤に苦しんだ時もあったと思われます。異質な外来者と接した人の多様な心態を、日本海の一地域・越前若狭を例として、歴史学や考古学からではなく、伝承(伝説、歳時習俗行事、祭事、地名、神社名など)からとらえたいと思いました。伝承には文字を持たなかった庶民の土着の歴史が込められているからです。最後に人と伝承の連関を考察しました。
2011年〜2016年にかけて、渡来系の伝説や伝承、地名等が残る地(主に海岸地域)を訪れました。地域の人々のお話を伺い、伝承の昔と今を明らかにしました。調査地は福井市蒲生町(「あっぽっしゃ」---「ナマハゲ」に似た歳時習俗で由来は異邦人漂着者説が濃厚)、越前市白山地区(解雷ヶ清水の百済姫漂着伝説地)、敦賀市五幡(蒙古来攻伝説地)、敦賀市白木、沓見、南越前町今庄(敦賀湾一帯に広がる新羅系神社所在地)、小浜市矢代(手杵祭---唐の王女漂着に由来)、小浜市内外(うちと)海(み)(異国からの流され王伝説地)の8箇所です。
このうちの白山地区と矢代の伝説は、(2010年頃の)takefu45上でのメールで初めて知ったものです。何とか完成いたしましたのも、皆様を初め地域の方々のお陰だと感謝しております。
製本したものは大学院に提出した2016年度の博士論文ほぼそのままでして、福井県立/越前市中央/南越前町立図書館等に寄贈させて頂きました。関心ある方々の何らかのご参考になれば幸いです。また、ご希望の方には贈呈させて頂きますので、たけふ45のメーリングリストに投稿いただくか、下記までご連絡ください。
連絡先:塩瀬博子
Eメールアドレス shiose■par.odn.ne.jp
(アドレス中の■を半角の@に変えてください。)
塩瀬
以下、管理人です。
塩瀬さんから、論文のテーマを決める際、たけふ45メーリングリストでのやり取りがひとつのきっかけになったと聞いて、非常にうれしく思っています。
そういえば、塩瀬さんが、しらやまの解雷ヶ清水へ行かれた平成24年7月7日、この日はたけふ菊人形、たけふ45還暦同窓会で歌った還暦同窓会のさよなら会の日でした。
その日の朝、本当に土砂降りといってもいい雨でしたが、塩瀬さんが、しらやまの解雷ヶ清水へ行くというので一緒させてもらいました。その日は、解雷ヶ清水の例祭の日だったのです。
塩瀬さんは例祭に参加して地元の人や神主さんにいろいろと聞き取り調査をしていました。その内容が論文のなかに1節を使って書かれています。またこの部分を白山公民館や千合谷町に贈呈していただきました。本当にありがたく思っています。
塩瀬さんは、この論文で渡来してきた人々そのものよりも、それを受け入れた名もない人々の心象風景を考察しています。そしてそれを伝承してきた、あるいは今現在伝承している人々の状況を考察しています。これは、私にとって非常に新鮮な視点でした。
塩瀬さんの今後のご活躍をお祈りしています。
管理人

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