昨年の5月4日、4組の糀谷修一君が亡くなられました。享年57歳、若すぎる死でした。
命日にあたり、故人をしのびたいと思います。
糀谷君といえば、あのさわやかな笑顔です。
高校時代の彼は、あの印象に残る笑顔と共にありました。
平成3年、高校卒業後初めて結婚式の場で再会しましたが、笑顔で近づいてくる彼の姿がいまでも思い出されます。
一昨年12月8日、武生で最後に会ったときも、奥様と共に終止ニコニコとしていました。
そして、死の1ケ月ほど前の初孫を抱いている写真でも糀谷スマイルでした。
彼、糀谷修一君は、笑顔を残し私たちのもとから去りました。
(上の写真は平成20年3月のものです)
彼は、平成19年の同窓会総会に参加予定でしたが、ガンが見つかり参加できませんでした。その後、闘病生活のかたわら、たけふ45のメーリングリストに参加し、メールやブログに投稿してくれました。特に「杜のケヤキ」や、最後の富士山の俯瞰写真などが記憶に残ります。
糀谷君が小学生のころエキストラで出演した映画「かあちゃんしぐのいやだ 」(この映画には武生市内の45年卒の仲間が何人も出ています)の思い出が下の関連投稿「映画「かあちゃんしぐのいやだ 」」にあります。この映画をもう一度見たいとも言っていました。
時は経て、糀谷君のお骨が忌明け法要で実家に帰ってきた時、何人かでお線香をあげさせてもらいました。その帰り道、メンバーのひとりがその映画、「かあちゃんしぐのいやだ 」のDVDを持っていることが判明。奇遇に驚いたものです。
糀谷君には間に会いませんでしたが、家族の人達には見ていただけたと思います。故人の小学校時代の映像に接し、思いはひとしおではなかったでしょうか。
糀谷君は一昨年の12月に奥様と武生に帰郷しました。それから1年後、昨年の12月8日は非常にいい天気でした。空は青く澄み渡り...
その日、宮ちゃんは私のメールを引用しながらこう語ります。(「>」は引用した文です)
> もしかして今日は特別な日だったか。
そうです。昨年の今日(12/8日)は糀谷君と奥さんと僕と坂ちゃんと4人で食事をしましたね。
あのとき、糀谷夫婦は覚悟を決めて、里帰りしていました。坂ちゃんが手配してくれた「希望」という居酒屋で「いのしし鍋」を食べました。それから半年後の5月に他界しました。「今度、ぜひ45卒そば会に行くから」と言い残してーーー。再来年の還暦同窓会も楽しみにしていたのに。
>綺麗な空でしたね、 真っ青ではなくやさしい水色で、 雲ひとつなくて。
>山はくっきりと大きく見えて、道も遠近感がはっきりしてて。
>一日中そんな感じでした。夕焼けも綺麗でした。
そう、今日は彼の人柄のような空でしたーーーーー。
わたしも、糀谷夫妻との会食はよく憶えております。寒い日で、糀谷君の体調が気になり、部屋を暖めておいてほしい、と頼んだ記憶があります。いま思うと仙台に慣れた糀谷君には武生の寒さなど、へのかっぱ、だったかも知れません。
その時、ご夫婦とも非常にいい表情をしており、あぁー信頼し合っているんだなと感じました。食事では、馬鹿話もし、楽しいひと時をすごせたと思います。
心残りは写真を撮らなかったこと。写真を撮らせてもらえれば、あの時の彼に今でも会えたのに、...と、へんな遠慮をしたことを今でも悔いております。
翌日9日、彼は幼馴染でもある工芸作家の10組中西さんの工房を訪ねて作品を鑑賞されたそうです。
故人の最後の帰郷、ふるさと武生は彼の目にどう映ったのでしょうか。
のこされたご家族の方のご多幸をお祈りして、思い出話を終わりたいと思います。
最近また、45年卒の仲間の訃報を聞きました。どうぞ皆様、お体に気をつけられますように。

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