もうずいぶん前の話だけど、書き落としていたので。
今年の春に、お兄ちゃんであるTくんが「ゼミの世話人になったし」と言った。在阪時間が少なく(遅くとも21時には帰宅モードに入らないといけない)遠方通学者である彼が、またなんで買ってでたのか?
「だって他にやる人いんかったから」
たしかに父譲りの人の良さは受け継いでいる人ではある。
同じ頃妹であるKちゃんもクラスリーダー(学級委員)になっていた。珍しくなかなかクラスになじめなくて、暗い日々を送っていたというのに、なんでまた?
「だって他にやる人いんかったから。しゃーないやん」
確かに彼女は360度周囲が見られて、些細な問題も見逃さずフォローに奔走したりする。一見おっさんのようなおおらかな言動ではあるが、観察力と人間観察はきめ細かく、心優しい。適任ではある。
彼らの行動の源になっているものは、父譲りの優しい親分肌なのかもしれないが、一方では今まで育って来た
近江兄弟社学園の校風によるものなのかもしれない、とも思う。
建学の精神は「イエス・キリストを模範とする人間教育」。
山よりも高い仰ぎ見るような目標である。でも数値目標を掲げて達成にあくせくするより、こっちの方がずっといい。ほとんど憧れにかぎりなく近い目標。
日々の生活の中で、こつこつとしか培われないものは、やはりある。
砂の中にわずかに光る砂金のように、たまに輝くものを掬うような日があったり。あるいは毎日の積み重ねの中で、毛穴から染み通るように伝わってくる何か。
もしかしたら、本人たちには自分たちの培って来た物が、まだよくわからないかもしれない。でも少なくとも、彼らの本来持っていた貴重な何かは、決して損なわれることなく、育ててもらえたと思う。

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