今日、車でFMを聞いていたら、懐かしいゴダイゴの「ビューティフル・ネーム」が流れて来た。国際児童年(1979)のテーマソングだった当時に初めて聞いた時と同じくらい「ええ歌やな〜」とじーんとした。
と同時に、「あの頃は、まだ(社会全体が)未来に希望をもってたな〜」という感慨もあった。
「世界にひとつだけの花」は、歌詞だけ追うと個人的には、なにかしら胡散臭いものを嗅ぎ取ってしまう。
プロローグとエピローグだけの小説みたいな。
ものすごくキレイなパッケージなのに、開けたら空っぽ、みたいな。
着ぐるみ着てる人みたいな。そんな違和感。
「ビューティフル・ネーム」には果実のように「皮があって果肉があって」歌をまるごと楽しんだ。ふたつの歌詞のテーマはたぶん一緒だろうに。どうしてこんなに違う感触なのか? およそ20年の間に何が変わったのか?
おととい『広告批評2006.1月号』の橋本治さんの巻頭エッセイ「ああでもなくこうでもなく」を読み、今日は朝日新聞(1月23日付)で藤原新也さんの文章を読んだ。共に(当然のごとく)クールでクレバーなとびきりの時事評論だった。たまにこういう霧が晴れるような胸のすくような文章にいきあたるから、活字を読むのはやめられません。
と収拾がつかないまま、どんどん眠くなってきて、プロローグとエピローグだけ以前の、ほとんど意味不明の文章になってしまいました。ちゃんと繋げようと思ったんだけどな。眠気には勝てませんでした。ごめんなさい&おやすみなさい。


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